2017年9月27日水曜日

ダウトオウル『戦略的縦深』1部 1章 Ⅲ.応用分野例:防衛産業

Ⅲ.応用分野例:防衛産業
1.パワーのパラメーターと防衛産業
 国の防衛産業はその国のパワーバランスの産物でもあると同時にその重要なパラメーターでもある。この枠組において、国の防衛産業は基本的に変項の産物であると共に前記のパワーの等式の全ての要素が相互に影響する領域で生まれる。防衛産業の成り立ちは、変わらないものとして我々が扱ってきた国の歴史と対外政策の間のバランスに応じて決まる。カール大帝の神聖ローマ・ゲルマン帝国以来現在に至るまで、ヨーロッパの北から中央へと拡大していったドイツの中枢とその中枢の東ヨーロッパの草原地帯における後背地が必要とする陸地が優先的に防衛され、歴史的な遺産が防衛されてきたことは、影響がいかなる形をとるかを示す良い例である。同様にヨーロッパ大陸の政治と、グローバルな国際政治を、ユーラシア大陸を取り囲む海を支配することによって行う伝統を有するイギリスの国防が海洋を重視するのも、歴史的与件による戦略と防衛の重点化の所産である。
 歴史は、パワーの等式における定数として、国防に直接的に影響する。この点で、オスマン帝国の継承国としてのトルコ共和国は、いまだに形を変えて帝国的性格を維持し続けようとするロシアとも、そのような遺産を守る義務があるルーマニヤとも、歴史にあまり拘束されないデンマークとも、大変大きく異なる防衛戦略を取る必要がある。
 定数である地理も防衛体制や産業の発展に直接的に影響する。たとえば海に全く接しない内陸国オーストリアのような国には、海洋戦略を編み出すことも、その戦略に必要な海軍力を持つことも問題とはならない。ただ海に通ずるドナウ川でのどのようなことができるかを立案できるだけなのである。逆に数千の島からなるインドネシアは海軍を無視した陸軍重視の国防戦略では生き残ることができない。アフロユーラシア大陸と遠く海で隔てられたアメリカ大陸から世界中にヘゲモニーを行使しなければならないため、アメリカは陸海空軍を統合的に使用する特殊な戦略に対応できる独特な戦略を有することになった。機動力と兵站補給能力を有する海軍と航空母艦保有の優位は、アメリカがこの独自の地理から必要としたものなのである。
 人口は短期間には変わらない定数であり、また国防体制と産業構造に影響する要素の一つでもある。そのことは防衛産業の生産段階と、生産された武器使用の領域の双方において見いだされる。人口7千万のトルコの国防と、2百万人のアルメニアの国防では、必要とされるものは同じではない。防衛産業戦略は、経済開発戦略全体と調和する最適な比率でこの人口という要素(人材)を配分することによってこそ成果をあげられる。
 この定数の多方面にわたる影響にもかかわらず、防衛産業のあり方を直接的に決める主たる要因は、経済的、技術的、軍事的能力のような変数である。国家の歴史、地理、人口のパワーがどれだけの規模の防衛産業を必要とするとしても、それを実現する変数は、その経済の発展レベルとテクノロジーの力なのである。経済発展戦略と国防が必要とするものとを調和、統合することができない防衛産業が、経済全般の均衡と無関係に重要な発展を成し遂げることは不可能である。こうした国々はせいぜい武器の密輸ができる規模での武器の生産と輸送をする程度の国家になることができるだけである。
 重要なのは経済発展なのか、安全保障のパラメーターなのか、との議論が割れている国がその双方で一貫して目に見えた成果をあげることは大変難しい。この件で最も不経済な行動を取るのは、安全保障のパラメーターが必要とする費用を優先し、経済発展を二の次にしておきながら、その安全保障のために必要な兵器と防衛体制を全面的に輸入に頼る国々である。このような国々は、一方で、乏しい資源を経済的には利益をもたらさない兵器の購入に振り向けながら、他方で、自前の防衛産業の経済部門(育成)を疎かにしたせいで、一般的には対外債務のバランスと兵器生産の依存のような国家の経済的、軍事的脅威結果の形で見ている。逆にこの件で最も生産性が高いのはは、防衛セクターを経済の独自分野として位置づけ、そのセクターが防衛の需要に対応し、また生産した兵器、防衛体制が経済を牽引するように計画を立案する国家である。第三世界の国家はこの分類では第一の範疇に入り、先進国は第二の範疇に入り、それによって新植民地主義体制の(存続)を保証している。
 防衛産業で経済力、経済の発展水準と並んで二番目に重要な要素は技術力である。軍事的要請と経済発展、技術のイノベーションの間には、想像以上に近い関係がある。経済発展とパラレルな技術のイノベーションが軍事戦略は重要な規模で影響するが、逆の過程も同様である。多くの重要な技術的発見、イノベーションは、最初はまず軍事的要請によってなされ、この意味で防衛産業は技術的発展の機動力をなしている。アメリカの国防において使用された多くの新技術は、後に民生に転用されたが、第一次世界大戦は技術的観点からはるかに大きな重要な変化があったことが忘れられてはならない。同様に、特に飛行機産業において第二次世界大戦の継続を可能にした技術の進歩は、後に重要な技術として民生に転用されたことも事実である。
技術の裏付けなく単なる安全保障上の一時の危機的状況に強いられて国家が防衛産業に参入したとしても、短期的には生産の限界を克服できたとしても、長期的には技術の拘束性を逃れることはできない。
 国家の防衛戦略とそれに適した産業構造は、その定項が要請する最適水準と経済的、技術的、軍事的能力の間の最適のバランスの実現の下で決定されるのであるが、そのバランスの調和をその時々において適切にもたらすためには、それを動かす要因としての政治的意思と、戦略的計画立案が必要である。したがって、このきわめて多面的な与件の間の関係を可能にする主たる要因は、戦略的な計画の存在と、その計画を発展させたり実行に移す政治意志なのである。
 そのような政治意志も戦略的な計画もない行動は、人間は短期的には見かけ上の成功を収めることがあっても、長期的には国家の全体的な均衡を方向づける機動力になることない。長期的な計画の中で行為する国は、後に残る成果を積み重ねていくが、短期的な危機的状況に場当たり的に反応する国は、継続性がある戦略から逸れる定めにある。この戦略から逸脱することは、長期的には、防衛体制を腐食し、同時に対外依存をもたらす。防衛体制がこのような状態で、外国に依存する国家は、独立国家としてのぶれ、のない政治意志を有することはできない。
 長期的かつ継続性がある要素に基づいたアメリカ、ドイツ、ロシアは、その防衛産業の構造を、定項と変項といかなる規模ででも正確に適応させられることは明白である。アメリカが大陸を超えた戦略において依拠する原則は、いまだに海洋地勢学者マハンが20世紀の初めに定式化した基本法則に基づいている。この戦略的連続性と確固たる政治的権威こそが、アメリカをして、勢力均衡における定項と変項を有利に利用して世界覇権国(ヘゲモニック・グローバル・パワー)にさせた根本的な理由なのである。その逆に、仲間内での見栄の張り合いから巨額の武器を購入している富裕な中東産油国は、戦略的計画性も確固たる政治意志もない国防政策によって、武器の代わりに石油収入を言いなりに差し出す相手方の金庫のようなものになっているのである。

2017年9月19日火曜日

ダウトオウル『戦略的縦深』第一部 1章 2節:人材とその戦略への影響



Ⅱ.人材とその戦略への影響
 パワーの定式においては、定数と変数は組み合わされて相互に影響する。つまり、歴史、地理、人口学的、文化的要素、そしてその他の要素の影響の合計がパワーに及ぼす影響の規模となる。そのための定式によって、すべての指標によって示されているのである。戦略思考、戦略計画、政治意志は、これらすべての要素に、わかりやすい例として大きく影響する。つまり、定数や変数にどれだけ大きな優位があるとしても、戦略的に思考せず、戦略的計画と戦略的意思を十分強く一貫して行動に移さない国家は、パワーを実現することはできない。(逆に)時にはネガティブな戦略立案と政治的意思があれば、マイナスの乗数さえ、定数と変数の総計である(国家の)パワーを減ずるという形で実現される。
 第一次世界大戦で、特に、コーカサスとパレスチナの戦線での戦略的計画の不在が道を開いた悲劇が、オスマン帝国のパワーバランスにマイナスの乗数による大いなる衰退をもたらしたことが、その分かりやすい例である。アッラーフエクベル山脈で7万人の兵士が凍死したことも、拙劣な戦略の計画が、変数としての軍隊を加速度的に弱体化させた最も明らかな例の一つである。同じ地域で数年後にカズム・カラベキル将軍がカルスとアルダハン地域を救い出した「東方作戦」は、凋落した国家の極度に弱体化した軍隊であれ、正しい一貫した戦略計画があれば通常のパワーの定式のパフォーマンスを示すことができることの良い例である。
 同様にアブデュルハミド2世の治世の政治意志を実行に移すことを可能とする外交的手段である国家の歴史と地理という定数が、加速度的な国家崩壊を(一時的に)食い込めたことは明瞭である。それとは逆に第二憲政期における政治意志の混乱は同じ定数と変数にマイナスの乗数効果を及ぼし、史上最も長く続いた国家(オスマン帝国)を終焉に導いたこともまた事実である。
 ワイマール共和国とヒトラーのドイツの間のパワーの相違も、同じ定数と変数であっても、(違って)戦略的計画に政治意志によって、いかに異なったパワーバランスに道を開くか、のもう一つの分かりやすい例である。この事実は我々の地域からの例も支持している。サウジアラビアのパワーバランスにおける最も重要な要素としての石油を中心とする経済の潜在力は、(皇太子から国王への)移行期のファイサルの治世の政治意志を伴うことで、重要なパワーの要素となったが、その後に、政治意志を欠くことにより、機能しなくなったことはだれの目にも明らかなことである。
 要約すると、国家のパワーバランスにおける重さは、定数と変数の戦略的計画と政治意志は、加速度的決定が結果的に現れた。良い戦略的計画と政治意志があること、定数と変数、弱い国に自己潜在力の上でパワーとなることを実現して、一貫性のない戦略的計画と弱い政治意志、潜在力のある国自身の基準よりもっと下がったレベルでパワーバランスを有することに道を開くことができる。
 この状況は国家の最も基本的な戦略的なパワーが人材であることを明らかにする。戦略上の定数としての地理と歴史は変えることはできない。しかしこの優秀な人材はこの地理と歴史に新しい地平を開く意味を与えることができる。(逆に)人材が劣悪であれば地理と歴史という要素が同じであっても国家は弱体化する。
 神聖ローマ‐ゲルマン帝国の内部でドイツ人がばらばらに住んでいたことは、カール大帝(814年没)以来18世紀に至るまで、歴史と地理に由来する大きな弱点であった。同じ歴史と地理の与件は、フリードリッヒ2世の手で捏ね合わせて作られたパン、ビスマルクの鉄拳の下で柱石を積み重ねた建物、ヴィルヘルム2世の手でグローバルなパワーとなった。この伝統から無敵の紋章を引き出したヒトラーは同じ地理と歴史を悪用したために大破滅を招くことになった。こうした例は大規模な戦略を展開するすべての共同体に見いだされる。
 歴史と地理に反する戦略の変数の間に場を得る経済発展は、技術的、軍事的能力は、直接的に人的要素の質と力にかかっている。質が高い、高等教育を受けた、民族の目標を体現する人材は、廃墟からでも偉大な経済を復興することができる。ドイツと日本が第二次世界大戦後に成し遂げた経済発展、アメリカの1929年の大恐慌を克服することで示したパフォーマンスは、人材と民族の戦略的団結の関係の最も分かりやすい例である。莫大な天然資源の潜在力を有する中東諸国が、その潜在力を戦略的パワーに変換できない主たる原因は、人材の欠如、あるいは良質の人材が政治制度によって戦略目標を正しく具体化できる計画に沿って組織されていないことである。
 トルコの戦略方針における最も良い例もまた人材に関わるものである。トルコは歴史と地理の与件とそれらの与件の活用を可能にする文化的下部構造の観点からは、グローバルな戦略を展開する多くの国々を羨ましがらせる蓄積を有している。しかし、それだけでは十分ではない。これらの戦略的パワーを構成しうる全ての要素も、それをダイナミックに意味づけし、変転する国際情勢に適応させ、相対立するパワーの諸要素を調整することができる牽引力があり視野の広い人材を欠くならば、これら全ての潜在力から動力を引き出すことはできないのである。こうした牽引力のある人材が存在する場合でさえ、その人材と政治制度による戦略的選好との間に調和的な理解と正当性の共有関係が成り立たないと、その有能な人材も、不適切な職場で能力を発揮できずに無駄骨を折らされることになる。
 国家の戦略的な開放性の最もデリケートで重要な要素は、制度の中枢の政治意志と社会の指導的市民の人材の間の正当性(meşruiet)共有関係である。現代において頻繁に用いられる慣用表現で言うと、「深遠な国家には深遠な国民がいる」のである。国民の深遠に達せず、その深みにおいて共有された価値システムに由来する霊的一体性を発現させることができない国家の深遠性は、粗暴なパワーになり下がるほかないのである。
 人材と政治システムの間の正当性共有関係の最も重要な点は、信頼関係である。人材の信頼をかちえることができない国家は戦略的地平を開拓することも、社会の潜在力を動機づける戦術的目標を設定することも、その戦術的目標に適した手段を正しいタイミングで実行することもできない。同様に、国家の意思決定メカニズムから疎外された人材は戦略の立案者となることも、その一翼を担うこともできない。戦略的パワーは、そのパワーを実現することができる人材を信頼することで、真の実存を獲得するのである。

2017年9月10日日曜日

ダウトオウル『戦略的縦深』 第一部 1章 1節 4項:戦略計画と政治意志


4.戦略計画と政治意志

 戦略思考と戦略計画の間には、内容‐形式の関係が存在する。与件が決定する戦略思考の内容は、その潜在項を合理的な筋書きに整序する戦略的計画によって理解できるように造形される。著名な軍略学者カール・フォン・クラウゼビッツ(1831年没)は戦術と戦略の間の関係を「戦術は、兵力を戦争のために使用する技法、戦略は戦争を最終的な平和のために使用する技法である」と定義している。どのような兵力が、どんな小さな戦争で、どのような規模で使用されたかは、それらの戦争の結末の平和が何を目的にしているかを明らかにすることで確定することができる。これは両面的関係である。戦略の方針を決める軍団が互いに無関係な小競り合いで単発的な勝利を収めても、最終的な平和をもたらすことにはならない。同じく、理論的な戦略的方針と共に、その一部をなす戦闘の戦術を有さない軍団が成功することも可能ではない。

 外交においても事情はそうは異ならない。ただ最終目的に到達するための手段が違うだけである。戦術に従事する人間たちを一つの方針の中で纏めあげることは、時間が経つと戦略方針を大きく変えることにも繋がる。なぜなら戦術にかかわる人間を任命する外交官たち自身が戦術にかかわる人間を戦略上の駒として見始めるからである。自分が指揮する戦闘を、平和に向けての戦略全体と同一視する将官が、最終的な平和に関して軍の戦略においてどれほど誤った方針に道を開くか、自分の戦術的選好を国家の外交の中心に据える外交官も同じように深刻な過失を犯す。オスマン帝国軍が第一次世界大戦において多方面で戦果をあげながらも最終的には敗北したことは、その最も良い例である。自らの戦略的方針が定まらなかったため、オスマン帝国軍をドイツの戦略に追随させた(オスマン帝国の)軍事/外交的指導者たちが、その戦略の一貫性を失って以来、戦況はオスマン帝国に不利になっていった。

 特に一時的で経済的利害に基づいているような同盟関係において、短期的戦術が決定的であるようなダイナミックな勢力均衡が成り立っている状況で成功するための最も重要な条件は、長期的戦略と短期的戦術の均衡のとれた組み合わせである。あらゆる種類の変化に対応して勢力均衡を実現できる戦略的目的を短期、即決の戦術に落とし込めることができる国家が発展するのである。それは意思決定において、外交関係を絶対化せず、千変万化の戦略目的の選択にあたって柔軟でありながら右往左往しないことが必要なのである。そのように活動できる国家は、長期的な勢力均衡を実現する上で有利になっていく。冷戦終了後の僅かな間、アメリカ一極構造なった国際関係は、今日では加速度的に(再び)勢力均衡の諸特性を示し始めているようだ。前もってその準備があった地域大国は、多くの選択肢を有する政策と、柔軟な外交に舵を切ることができた。

 このような状況では、こうした戦術を完全に指揮下において、軍事/外交のユニットを自在に操縦する戦略の政治的意思がなければ、戦術的勝利をいくら積み重ねても戦争に最終的勝利を手にすることはできない。国家の安全保障とその未来に開ける地平は、国際関係のスケジュール立案、交渉プロセスにおける心理的優位、イニシアチブのパワーによって測られる。未来に関わる地平は、縦深性を有する国家の政治的指導者たちは、決定した議題の跡ではない。逆に議題の彼らの手で片付くった、そしてこの形の受信、これはその国家に第三国の関係においてさえ効果ある要素になる。

 政治的意思の不十分さによって、対外政策を危機的状況の浮沈の流れに任せ、スケジュール計画を受け入れることができない国家は、他者からの提案を示されての場当たりの反応によって矛盾し混迷の状況に陥る。この種の国家の政治的エリートたちは、依って立つべき歴史もなく、目指すべき地平もなく、大胆でなく決然としておらず、臆病で受け身である「解決のために私はいる。」は大胆さではない。危険なところには私はいない。」防御に熟練した心理の中でふるまう。

 この個性のないエリートたちは、危機的時代に前線に踊り出る決断的人間ではなく、覚悟もなく、イニシアチブを取らないことが条件となる。国々を世界管理計画の議題で役立つようにしておくことは、新たな責任を負うために受動的であることが安全で危険がない政策と見做す。議題を決定した後で舞台に出て交渉のテーブルの端に連なるようにあがく。目立つことから逃げる。しかし一旦、列車に乗り遅れるとの不安に襲われると、あわてふためいてどんな怪しい関係であれもぐりこもうとする。現象の中心にいれば安全であると思うのでもなく、傍観者であることにも満足しない。問題の中心に直接関わる責任から逃れる道を探しながらも、蚊帳の外に置かれると、中心に一歩でも近づくためなら、なんでも代わりに差し出そうとする気紛れである。行動と期待がもたらす責任から逃げることと、放置されないできることの間で行きつ戻りつし、おどおどと落ち着くことがない。

 チェスの駒を操る棋士なのか、それともチェスの駒なのか、己が何者なのか謎なままの矛盾を彼らは抱えている。駒を操る棋士として踏み出す一歩の結果は恐れるが、他人が操る駒となることにも甘んじられない。駒でもなく、ゲームでもなく、棋士でもなければよかったのに、と考えて混乱し、最も強い棋士の陰に隠れることが最も安全であると自己暗示をかけるのである。その後には、そのゲームは、最強の棋士たちが操る盤上(の前線)の歩兵が戦争のカギとなる。歩兵は戦争での小さな勝利を勝ち誇り、桂馬、女王、王が盤上(の前線)にないという理由で自分の弱さをごまかそうとした。ゲームのルールを変え、自分の力(弱さ)を思い出させるすべてのものを恐れる。危険を予防して、自己の潜在力を隠して、他の者たちが有する本当リアルパワーの流れに合わせて泳ぐほうがより安全だと考える。自己の歴史と地理の広大な地平で真摯に利害を考量し決断的に行為するより、他者の戦略の陰で右顧左眄することを選ぶのである。彼らが有しているのは、歴史の伝統ではない「請求書」、地理が有する戦略的潜在力とも資産でもないグレートゲームに捧げられた掛け金なのである。

2017年9月4日月曜日

ダウトオウル著『戦略的縦深』第一部 1章 1節 3項:戦略思考、文化的アイデンティティー


3.戦略思考、文化的アイデンティティー
 共同体の戦略思考とは、文化的、心理学的、宗教的、社会的価値世界も含む歴史的伝統とこの伝統が作り反映される地理的生活領域の共同産物としての意識と、その共同体が世界の上でいかなる位置を占めるかについての観方の決定の産物である。この観点からは、思考と戦略の関係は、地理的与件に関わる空間把握と歴史意識に関わる時間把握が交差する領域に生成する。異なる共同体が異なる戦略的視点を有することは、本来この異なる場所と時間の次元による世界観の産物である。
 共同体自体の地理的位置を枢軸とする空間把握と、自己の歴史的経験を枢軸とする時間把握は、方針と対外政策策形成に影響する思考の下部構造を作る。民族の昔からの政治的一体性は、移ろいゆく個々人から成る社会よりもずっと安定した過程の産物としての長い歴史の事象の積み重ねの一体性を受け入れるなら、その戦略思考が政治プロセスの中でアイデンティティー意識を主張することと、不断に更新される一時だけの仮象の政治的浮き沈みを共に超えた連続性を示していることを我々は知ることができる。
 たとえばドイツの戦略的発想は、神聖ローマ・ゲルマン帝国の起源に遡り9世紀にわたる歴史的経験の、近代国民国家が哲学的基礎、歴史的現実性、イデオロギー的下部構造を備える19世紀に至るまで伸びた歴史意識の所産である。この(歴史)意識は、中世の封建的/宗教的伝統と近代世俗/イデオロギー的伝統の諸要素とを共に含む。ヘーゲルによるドイツ意識の歴史的起源を明らかにする歴史的解釈とヒトラーの第三帝国の概念の間にある平行関係はこの戦略的発想の継続性から生まれた。
 同じように正教に基づくロシア帝国と無神論に基づくソビエト連邦共和国の戦略上の優先事項の間の平行関係と継続性も、共同体の戦略が歴史や地理のような与件によってどの程度まで決定されていたかを示す指標である。ロシアのアイデンティティーが普遍的イデオロギーとしての社会主義であったにもかかわらず、冷戦期に急進マルクス主義が取ることになった新しい民族主義的潮流の中でも自己の政治的アイデンティティーを再設定して存続できたことは、この戦略思考が継続していた結果である。政治的キャリアを、社会主義者として始めたミロセヴィッチがポスト冷戦期に急進的な人種主義者に変わったスラブ民族主義のリーダーになったこともその例である。
 我々自身の歴史から例を挙げるならば、セユートで勢力があったトルコマン人が建国した小侯国(ベイリク)から始めて時を経て、古代から場を占めてきた文明の圏域全体に広まり、人類史上最も多様、混交的、複合的な政治構造体の一つにオスマン朝を進化させた主たる要素も、その政治的下部構造を織りなす時空意識なのであった。この戦略思考がオスマン朝の伝統のパワーと、この伝統のパワーが作るオスマン体制(オスマンの平和;パクス・オスマニカ)の安定を実現させた。過去に遡る「万古の」という概念も、未来を規定する「不滅の国家」という概念も、この戦略的思考を作り上げる歴史とアイデンティティー意識を反映している。
 オスマン朝の解体過程も、トルコ共和国の樹立から今日に至るまで直面してきた国際問題の中で現れた最も重要な緊張の領域も、この連続する戦略意識のさまざまな要素と国際的パワーバランスの間の差が生んだ心理的緊張と、この緊張のアイデンティティー意識の上に、トラウマとしての影響を及ぼしている。この視点から、オスマン‐トルコ戦略意識の主なもろもろの要素のうちで継続するものと変化するものを改めてこの視点から議論することは、我々が直面しなければならない最も重要な例の一つである。
 アイデンティティーと時空意識を歴史的伝統と目前の現実の枠組において再構成することが、歴史の中での存在し、人類の伝統を守ることができるための必須条件である。戦略思考なしには、翻弄されるばかりである。戦略思考を有し、その戦略思考を変更条件に応じて新しい概念、手段、形式によって再生産できる共同体は、国際的パワーのパラメーターを操作することができる。この逆に、戦略思考を急に破却することでアイデンティティーを失った共同体は、自らの歴史的実存を危険に晒し、他の共同体を操るべき対象としかみなさいことで人間性の理念を見失い自己疎外に陥る。