2014年4月14日月曜日

タクフィール(不信仰者宣告)問題と12イマーム・シーア派から見たイスラーム他宗派


タクフィール(不信仰者宣告)問題と12イマーム・シーア派から見たイスラーム他宗派

 

序.

2014年1月19日、イランの最高指導者ハーメネイーは、以下のようにタクフィール派がイスラーム世界にとって脅威である、との演説を行なったと報道された。

 

【一部のタクフィール主義者は、卑劣なシオニスト体制に注意を払う代わりに、イスラームとシャリーアの名の下で、多数のムスリムにタクフィール(背教徒宣告)をし、〔ムスリム間の〕戦争と暴力、対立のお膳立てをしている。それゆえ、タクフィール主義という潮流の存在は、イスラームの敵にとって、まさに吉報なのである。

 革命最高指導者は、「かれ〔=預言者ムハンマド〕と共にいる者は不信心の者に対しては強く、挫けず、お互いの間では優しく親切である」という貴い章句〔コーラン「勝利章」第29節より〕に言及し、「タクフィール主義は、神のこの明確な命令を無視し、ムスリムを《ムスリムと不信心者》に分けて、彼らを相争わせているのだ」と続けた。

 同師は次のように問うた。「こうした状況下で、このタクフィール集団の存在と、それに対する資金・武器支援が、抑圧諸国やその傀儡政権の邪悪な治安組織による仕業ではないのではないかと疑念を抱くことなど、誰にできようか」。

 アーヤトッラー・ハーメネイー閣下はこうした事実に注意を促した上で、タクフィール主義はイスラーム世界にとって大いなる危険だとし、イスラーム諸国に対して十分注意・警戒するよう呼びかけた。同師はさらに次のように続けた。「残念なことに、一部のムスリム政府は、こうしたグループを支持することがいかなる結果をもたらすのかに、注意を払っていない。彼らはこの危険が、例外なく彼ら自身にも飛び火するということを理解していない」。】

 

 タクフィールがムスリムを分裂させイスラームの敵を利する大きな危険であり、その無害化がムスリム共同体の喫緊の課題であるとの認識は正しい。

しかし、彼の「タクフィール派」の語用は、イスラーム神学的にも、イスラーム地域研究的にも、バランスを欠き不適切である。

本稿は、タクフィール概念について、簡単に説明した後、12イマーム・シーア派のイスラーム他宗派に関する立場を、シーア派神学の基礎となる資料である神学ハディース集『ウスール・ミン・カーフィー Uṣūl min al-Kāfī 』に基づいて精査し、タクフィール問題に対する新たな視座を提供する。

 

1.タクフィール

 タクフィール(takfīr)とは語根k-f-rから派生した動詞派生形の同名詞形で、字義的には「カーフィル(不信仰者)とみなすこと」を意味する。

スンナ派ではブハーリーなどが伝える預言者ムハンマドのハディースに「同胞を『カーフィル(不信仰者)め』と呼べば、二人のどちらかにそれ(不信仰)が帰される」、シーア派でもウスール・アル=カーフィーが伝えるジャアファル・アル=サーディクのハディースに「ある者が別の者に対してカーフィルであると証言すれば、必ずや二人のどちらかにそれ(不信仰)が帰される、「つまり、カーフィル(不信仰者)でないムスリム同胞をカーフィルと呼べば、自分自身がカーフィルになってしまう、とあり、ムスリム同胞をカーフィルと呼ぶことは、それ自体が背教になる大罪である、ということはイスラームの共通理解となっている。

 タクフィールが大罪である以上、いかなる宗派であれ、意図的にムスリムをカーフィルと呼ぶタクフィールを行なうことはない。タクフィールの対象となるのは、ムスリムではなく、カーフィルである、と判断された者である。カーフィルをタクフィールすることは当然であり正当である。タクフィール自体は、他のイスラーム法学上の概念と同じ法的判断の一つ、特にイスラーム法定刑法(フドゥード)の背教罪の裁判に不可欠な判断であり、非難されるようなものではない。従って、タクフィールが社会現象となった場合に論ずべきことは、タクフィールすべき者、タクフィールしてはならない者が誰か、というタクフィールの成立条件をあきらかにすることであり、タクフィールを行なう者をあたかも批判されることが自明な悪であるかの如くに殊更に「タクフィール主義者」と蔑称で呼ぶことではない。

従ってタクフィールが社会問題となっている状況において、タクフィールの成立条件を学問的に詳細に論ずる代わりに、タクフィールを行なう者に一方的に「タクフィール主義者のレッテイルを貼り問答無用で断罪する言説を目にした場合、そこには、人々を判断停止に陥らせ、タクフィールの概念の是非、当該対象のタクフィールの是非を問うことから目を逸らせようとのいかがわしい意図が隠されているのではないのか、とまず疑ってかからなければならないのである。

 

2.シーア派とタキーヤ(信仰隠し)

 ハーメネイーが属するシーア派12イマーム派にはタキーヤ(信仰隠し)という教義がある。タキーヤとは、12イマーム派の信仰を公言することが共同体を危険にさらす場合にその信仰を隠すことを義務づける教義であり、そのため、12イマーム派が公言する教説には、常にタキーヤ(信仰隠し)による嘘ではないのか、との疑惑がつきまとう。

タキーヤであるとの疑惑を完全に払拭することは不可能だが、タキーヤとは非12イマーム派に対して教義を誤解させるために行なうものであるため、12イマーム派同信者に対しては、それがタキーヤであることを知らずに読んで誤解しないように、12イマーム派信徒がタキーヤであることを教える者なしに独りで読むことがないように、シーア派信徒の不特定多数に読まれるように公刊されたものは、基本的にタキーヤではない、と考えることができる。

従って本稿では12イマーム派自身の間で読まれている基本図書にある言説に依拠し、原則的にそれの言説はタキーヤではない、と考えて、そうした言説の全体を総合的、整合的に解釈することによって12イマーム派の教義を理解すべきである、との立場を採る。

 

3.イスラームにおけるメンバーシップの教義の決定

 ムハンマドを創造主である絶対神アッラーの教えを授かりその教えを人類に伝える使命を担う無謬の預言者、使徒であると考え、彼に服従し、彼から帰依者(ムスリム)と認められた者がムスリムであった。ムハンマドの生前、彼だけが専一的に教義が何か誰がムスリムであるかを決定する権能を有した。

スンナ派の理解では、預言者の死後、無謬の存在はなく、教義が何か誰がムスリムであるかを決定する個人も内包と外延が明白な集団もおらず、教義決定に特化した組織、機関も設けられなかった。

 シーア派では、ムハンマドの従兄弟で女婿でもあったアリーが彼の無謬の後継者イマームであり、ムハンマドの死後は彼が教義の専一的な決定者となったと考える。更に12イマーム派は、アリーの後に11人のイマームが続く、と考える。しかし12イマーム派によると12代イマームであるムハンマド・ムンタザルは939年にこの世から姿を隠し、12イマーム派信徒とのコンタクトも絶たれることになったため、12イマーム派においても、現実には教義の専一的な決定者はいなくなる。

 但し、シーア派においては、イマームの幽隠中は、イスラーム法学者がイマームの代理人になる、との教義が確立し、12イマーム派はスンナ派に較べて相対的に数が少なく地理的にも拡散していないため、ナジャフ、マシュハド、コムなど高位のイスラーム法学者を育てる教育センターの数が限られていることもあり、教義の決定権を有する内包、外延ともにかなりの程度に明白なイスラーム法学者集団が形成され、特にイラン・イスラーム共和国成立後はその傾向が強まっている。

とはいえ、12イマーム派においても、イスラーム法学者が公式に任命される、といった形での西欧キリスト教社会のような宗教の制度化は行なわれず、教義やムスリムの範囲を一義的に決定するシステムは現在に至るまでできあがってはいない。

タクフィールの問題も、教義のみならず、誰がムスリムであるかも、一義的に決定する個人、集団、組織、機関が存在しないこの宗教的に柔構造なイスラーム社会の特質に照らして考えなくてはならない。つまり、キリスト教西欧社会のように教義については教皇の回勅や公会議の決定を参照し、メンバーシップについては名簿を調べればよい、というわけにはいかず、ムスリムたち自身が行なっているのと同じく、広く読まれている標準的な書籍を読み、自ら判断するしかないのである。

 

4.12イマーム派と他宗派

 

12イマーム派の自他認識において決定的なのは、12イマーム派の帰属である。12イマーム派には、スンナ派やシーア派他派などの12イマーム派以外の全ての宗派を指すテクニカルタームがある。それがムハーリフ(mukhālif;相違者)である。これにあたる概念はスンナ派にはない。スンナ派の4法学派、2神学派には、他者の総称はない。スンナ派全体をとった場合、12イマーム派のムハーリフに一番近い語はムブタディウ(mubtadiʿ;異端者)であるが、ムハーリフと違い、スンナ派内部の論争においても論敵を非難する呼称としても使われる。

スンナ派にとって、最も、重要な自他認識は「ムスリム←→カーフィル(不信者)」であり、ムスリム全体が救済共同体となり、カーフィル、異教徒は(免責される責任無能力者や無知者を除き)地獄行きの民として十把一絡げにされる。12イマーム派にとっては、スンナ派などのムハーリフは、12イマーム派が少数派として迫害抑圧されている状況下にあってやむをえず法的にムスリムの規定を準用して婚姻などの社会関係を結んでいるが、本当のところはアッラーの御許ではムスリムではなく、そもそもムスリム同胞の範疇に入らない。

 シーア派においてイマームは無謬であり、イマームの言葉はそのまま12イマーム派の教義である。本章では先ず、12イマーム派の神学ハディース集成『アル=ウスール・ミン・アル=カーフィー』において、非12イマーム派がいかに扱われているかを細かく見ていこう。

 

5.信仰と不信仰の中間

 イスラームの教義の基本は、アッラーへの帰依を意味し、帰依(イスラーム)する者がムスリムであり、永遠の天国の救済に与り、アッラーを拒否(クフル)する者がカーフィル(不信仰者)として火獄で永劫の罰を受ける。しかし、例外的に、両者の中間のグレーゾーンが認められる場合がある。

 以下は、12イマーム派の教義を知らない他宗派の信徒の範疇についての、第6代イマーム・サーディクと弟子の議論である。

 

イマーム・サーディク「あなたがたはあなたがたの召使いや、あなたがたの女、あなたがたの家人について何と言うのですか。彼らは、『アッラー以外に神はなし。』と証言しているのではありませんか。」

弟子「もちろんです。」

イマーム「彼らは『ムハンマドはアッラーの使徒♠である。』と証言しているのではありませんか。」

弟子「もちろんです。」

イマーム「彼らは礼拝に立ち、斎戒に勤め、大巡礼を果たしているのではありませんか。」

弟子「もちろんです。」

イマーム「では彼らはあなたがたが奉じるものを知っているでしょうか。」

弟子「いいえ。」

イマーム「では、あなたがたにとって彼らは何者なのですか。」

弟子「この教えを知らぬ者です。即ち不信仰者です。」

イマーム「アッラーこそ超越者におわします。あなたは道の民、水の民(巡礼)を見なかったのですか。」

弟子「もちろん、見ました。」

イマーム「彼らは礼拝に立ち、斎戒に勤め、大巡礼を果たすのではありませんか。彼らは『アッラー以外に神はなし。ムハンマドはアッラーの使徒である。』と証言するのではありませんか。」

弟子「その通りです。」

イマーム「アッラーこそ超越者におわします。あなたはカアバや周回礼拝者やヤマンの民や彼らがカアバの覆いにしがみつく様を見なかったのですか。」

弟子「もちろん、見ました。」

イマーム「彼らは『アッラー以外に神はなし。ムハンマドはアッラーの使徒○である。』と証言しないのですか。彼らは礼拝に立たず、斎戒に勤めず、大巡礼を果たさないのですか。」

弟子「もちろん、果たします。」

イマーム「では彼らはあなたがたが奉じるものを知っているのでしょう。」

弟子「いいえ。」

イマーム「ではあなたがたは彼のことを何と呼ぶのですか。」

弟子「知らぬ者、即ち不信仰者です。」

イマーム「アッラーこそ超越者におわします。それはハワーリジュ派の言い草です。」

イマーム「あなたがたが望むのであれば教えましょう。」

弟子「いえ、結構です。」

イマーム「あなたがわれわれから聞いてもいないものについて物言いをつけることはあなたがたにとって悪しきことではありませんか。」

 

 このハディースは、他宗派の信徒を全てカーフィル、不信仰者とみなしたがる12イマーム派信徒に対し、イマーム・サーディクが、12イマーム派の教義を知らずともイスラームの教えを実践する他宗派の信徒をカーフィルと断定するのは根拠がなく、(初代イマーム・アリーを暗殺した)ハワーリジュ派の考えだとして諫めているものと解することができる。

 次に紹介するハディースは、他宗派の信徒との婚姻に関する第5代イマーム・バーキルと弟子との議論である。

 

弟子「人々の婚姻について何と言われますか。私はご覧の通りに成人していますが、私は一度も婚姻したことがありません。」

イマーム「何があなたにそれを妨げているのですか。」

弟子「彼らとの婚姻が私にとって合法とならぬことを恐れる以外に私に婚姻を妨げるものはありません。あなたは私に何をお命じなりますか。」

イマーム「では、あなたはどうするつもりですか。青年であるあなたが自制するのですか。」弟子「婢(jawār)を娶ることにします。」

イマーム「ならば、答えなさい。あなたは何をもって女中を合法と見做すのですか。」

弟子「まことにその女奴隷(’amah)は自由人(urrah)の地位ではありません。もし、彼女が何か私に疑いがあれば、私は彼女を売り、彼女から離れます。」

イマーム「ですから、そうではなくあなたが彼女を合法と見做すものを私に話しなさい。」

弟子は、答えられず、イマームに「あなたはどうお考えですか。私は婚姻すべきでしょうか。」と尋ねました。

イマーム「私はあなたが為すことを気に留めません。」

弟子。「あなたは『あなたが為すことを気に留めない。』というあなた御自身のお言葉をご覧になりましたか。まことにそれは両義的であり、『私があなたに命じなかったことによって、あなたが罪を犯そうとも気に留めません。』とおっしゃっているようにも取れるのです。あなたは私に何を命じられますか。私はあなたの命によってそれを行います。」

イマーム「アッラーの使徒は婚姻されましたが、彼の婚姻もまた、正しい二人のしもべたちの許に(妻として)いたヌーフの妻とルートの妻の婚姻事例の一つです。」

弟子「それについてアッラーの使徒は、私とは事情が異なります。彼女(アブー・バクルの娘アーイシャとウマルの娘ハフサ)は彼の裁定を承認し、彼の宗教を承認して、彼の手の下にあったに他なりません。」

イマーム「あなたは、[彼女ら二人は(夫である)二人を裏切り](66:10)との尊厳比類なきアッラーの御言葉にある裏切りを知らないのですか。これが意味するところは彼女らの醜行(isha)以外にありませんが、アッラーの使徒○も確かに誰某(ウスマーン)に(娘を)嫁がされたのです。」

弟子「アッラーがあなたを正されますように。あなたは私に何とお命じになるのですか。私はあなたの命により出立し、婚姻すべきでしょうか。」

イマーム「もし、あなたがその気ならば、無垢(balhā’)な女と婚姻せねばなりません。」弟子「無垢とは何でしょうか。」

イマーム「箱入りの淑女です。」

弟子「それはサーリム・ブン・アブー・ハフサの宗教(ザイド派)を奉じる者ですか。」

イマーム「いいえ。」

「では、彼女とは誰の事でしょうか。ラビーア・アル=ラァイ(非シーア派のマディーナの法学者」の宗教を奉じる者でしょうか。」

イマーム「否。そうではなく不信仰者を奉じませんが、あなたがたが知っているもの(教義)を知らぬ娘(‘awātiq)のことです。」

弟子「あなたは彼女を信仰者であると認識されているのでしょうか、それとも不信仰者であると認識されているのでしょうか。」

イマーム「彼女は礼拝に立ち、斎戒に勤め、アッラーを畏れますが、あなたがたの教えが何か知りません。」

弟子「尊厳比類なきアッラーは[彼こそはおまえたちを創り給うた御方で、おまえたちの中には不信仰者もいれば、おまえたちの中には信仰者もいる。](64:2)と仰せです。アッラーに誓って、(中間者は)存在しません。人々のうち誰一人として信仰者でも不信仰者でもない者など存在しません。」

イマーム「アッラーの御言葉はあなたの言葉に優る真理です。ズラーラよ、あなたは、[一方、自分たちの罪を認めた他の者たちは、)正しい行いに他の悪いものを混ぜ合わせた。きっとアッラーは彼らのために顧み給う。](9:102)との尊厳比類なきアッラーの御言葉を知っていますか。おそらく...」

弟子「彼らは信仰者たちか不信仰者たちかでしかありません。」

と言いました。

イマーム「[ただし、男、女、子供たちで薄弱者は別であり、為すこと能わず、(移住への)(信仰への)道へと導かれていない。](4:98)との尊厳比類なきアッラーの御言葉の者たちについて何と言いますか。」

弟子「彼らは信仰者たち、不信仰者たち以外の者ではありません。」

弟子「アッラーに誓って、彼らは信仰者でも不信仰者でもありません。」

イマーム「あなたは高壁の人々について何と言いますか。」

弟子「彼らは信仰者か不信仰者以外の何者でもありません。彼らが信仰者であれば彼らは楽園に入り、彼らが不信仰者であれば獄火に入るでしょう。」

イマーム「アッラーに誓って、彼らは信仰者でも不信仰者でもありません。しかし、彼らが信仰者たちであれば、信仰者たちが楽園に入ったように彼らも楽園に入ります。彼らが不信仰者たちであれば、不信仰者たちが火獄に入ったように彼らも獄火に入ります。しかし、彼らはその良いものと悪いものが均衡する民であり、行いが彼らに不足したのです。そしてまことに彼らは尊厳比類なきアッラーが仰せられた者に該当します。」

弟子「彼らは楽園の民なのでしょうか。それとも獄火の民なのでしょうか。」

イマーム「彼らのことはアッラーが放置されたように放置しなさい。」

弟子「ではあなたは彼らのことを保留なさるのですか。」

イマーム「然り。私はアッラーが彼らのことを保留されたように彼らのことを保留します。(アッラーが)お望みであれば、慈悲によって彼らを楽園にお入れになり、彼がお望みであれば、彼らの罪によって彼らを獄火に送られるのであり、彼は彼らを不正に処されることはありません。」

弟子「不信仰者が楽園に入ることはありますか。」

イマーム「ありません。」

弟子「不信仰者以外の者が獄火に入ることはありますか。」

弟子「ありません。ただしアッラーが御望みになった場合は別です。ズラーラよ、まことに私は、アッラーが望まれたことを語っていますが、あなたはアッラーが望まれたことを語っていません。あなたが年を重ねれば、あなたは思い直し、あなたのわだかまり(‘aqd)が解けるのではないでしょうか。」

 

このハディースでも前のハディースと同じく、他宗派の信徒を全てカーフィル、不信仰者とみなし、その女信徒との婚姻を渋る12イマーム派信徒に対し、イマーム・サーディクは、12イマーム派の教義を知らずともイスラームの教えを実践する他宗派の女信徒はカーフィルとは言い切れないため判断を保留して結婚すべき、と信仰者と不信仰者の間の第三のカテゴリーの存在を示唆しているように思われる。

 ここで注目すべきは、イマームの言葉にある「薄弱者」(4章98節)である。薄弱者(mustaḍʿaf)」とは、文字通りには「弱者であるとみなされている者」であり、スンナ派のクルアーン解釈の通説では、「不正に虐げられている弱者」を指すが、12イマーム派では、むしろ無知な他宗派の信徒を指す。次章では「薄弱者」に関するハディースを紹介する。

 

6.「薄弱者」と「高壁の人々」

「薄弱者」について、第5代イマーム・バーキルは以下のように述べている。

「それは不信仰に至る術に導かれて不信仰に陥ることもなく、また信仰の道へも導かれぬ者です。彼は信仰することもできず、不信仰に陥ることもできません。即ち彼らは子供や、男たちや女たちのうちでも理性において子供のような者で、(行状簿に記入する天使の)筆を取り上げられているのです。」

「ムスタドゥアフ(薄弱者)とは、[彼らは為すこと能わず、道へと導かれていない](4:98)者のことであり、信仰のために為すこと能わず、否定することもない者、子供たち、また男たちや女たちのうちの理性において子供たちのような者です。」

「それは、それによって自ら不信仰を追い払う術を持たず、また、それによって信仰の道へと導かれぬ者です。彼は信仰することもなく、不信仰に陥るすることもできません。」

「また子供たち、男たちや女たちのうち理性において子供のような者です。」

また、バーキルはイスラームについて知らねばならない要理について、「私はアッラー以外に神はないことを証言し、またムハンマドは彼のしもべであり彼の使徒であること、そしてアッラーの御許から齎されたものに対する承認を証言します。そして、あなたがたとの後見を結び、あなたがたの敵たちやあなたがたの首に跨る者、あなたがたに権力を振りかざす者、あなたがたに不正を為す者、あなたがたの権利を侵す者と絶縁します。」と自己の信条を纏めた弟子に対して、それが救済に必要十分な信仰である旨を述べたと述べた後で、更に「これらを知らぬ者で(アッラーの懲罰や獄火から)安全になった者はいるのでしょうか。」と尋ねられて、「薄弱者」だけを例外とし、それを「女子供」と解説した。

 第6代イマーム・サーディクも、「薄弱者」について、宗教的な同信関係はなくとも、婚姻や相続が法的に有効な者であるとし、「彼らは信仰者たちではありませんが、彼らは不信仰者たちでもありません。彼らのうちにはアッラーの裁決を猶予される者たちも存在します。」と述べ、救済の可能性があるムスリムとカーフィルの間にある第3のカテゴリーであるとのバーキルの教説を基本的に追認している。しかし、薄弱者の法的規定自体は変らなくとも、サーディクの時代には社会状況が一変する。

 サーディクは「(宗派の)違いを知ったならば、もはや彼は薄弱者(ムスタドゥ)ではありません。」と述べており、12イマーム派とその他の宗派の教義の違いを知った者は薄弱者ではない。そしてサーディクは、「(シーア派信徒たちがタキーヤ、信仰隠し、の教えを破って)あなたがたのこの教えを触れ歩き、それは、(まず、虐げられた者たちの代表である)深窓の婢たちから婢たちへと広まり、やがて水売り娘たちまでが街の道端でそれ(教え)について話すようになる」、「男たちが男たちに伝え、女たちが女たちに伝えた今日において薄弱者は存在しません。」と述べており、彼の時代には、12イマーム派の教義が外部に漏れ、深窓の女性たちにまで広まってしまったために、もはや12イマーム派の教義を知らない「薄弱者」はいなくなっていた。

但し、7代イマーム・カーズィムは「薄弱者」について尋ねられ、「弱者(ダイーフ)とは論拠が示されていないため、(宗派の)違いについて知らなかった者のことで、違いを知ったならば、もはや彼は薄弱者ではありません。」と答えており、彼の時代にあっても、12イマーム派についての風説を耳にしただけの庶民については、論拠を学んでいない限り、薄弱者とみなしうる可能性を残した、とも考えられる。

 

7.12イマーム派と他宗派

 サーディクは「カダル派にアッラーの呪いあれ。ハワーリジュ派にアッラーの呪いあれ。ムルジア派にアッラーの呪いあれ。ムルジア派にアッラーの呪いあれ。」と言い。「これら(カダル派、ハワーリジュ派)を一度ずつ呪われましたが、これら(ムルジア派)は二度呪われました。尋ねられて「これらの者たちは、われら信仰者たち(シーア派)を殺害し、審判の日まで彼ら(ムルジア派)の服がわれら(シーア派)の血に塗れるからです。...人殺したちと口舌の徒たちの間には五百年もの隔たりがあります。アッラーは彼らが自分たちが為したことに得意になっているがゆえに、彼らに対し彼らを殺害することを必須とされたのです。」と答えている。

 またムルジア派、カダル派、ハワーリジュ派、ハルーリー派(ハワーリジュ派の分派)について、いかなる(典拠となる)ものにも基づかずにアッラーを崇拝する不信仰かつ多神崇拝であるこれらの宗派にアッラーの呪いあれ。」と、ムルジア派について「あなたがたは彼らと同席してはなりません。彼らにアッラーの呪いあれ。また諸事(教義)の何一つに基づいてもアッラーを崇拝しない多神崇拝である彼らの諸宗派にアッラーの呪いあれ。」と述べている。

 11世紀の12イマーム派のハディース学者で『アル=ウスール・ミン・アル=カーフィー』の注釈者マーザンダラーニーによると、ムルジア派とは「アリーを後回しにした者たち」であり、つまり、アリーのカリフ位を簒奪しアブー・バクルをカリフにつけたスンナ派(原スンナ派)を指す隠語であり、それは12イマーム派を迫害、殺害した党派、とのサーディクの言葉とも一致する。ちなみにカダル派はムウアズィラ派の隠語である。

 5代イマーム・バーキルは「アリーはアッラーが開かれた門です。それに入った者は信仰者であり、それから出た者は不信仰者です。」「アッラーはアリーを彼と彼の被造物の間の旗印として立てられたため、彼(アリー)を知る者は信仰者であり、彼を否定する者は不信仰者であり、彼を知らない者は迷える者であり、彼に何かを並び立てる者は多神教徒であり、彼を後見とする者は楽園に入り、彼を敵とする者は獄火に入ります。」と述べており、12イマーム派にあってはアリーをイマームを認めない者が不信仰者とみなされるのが原則である。但し、6代イマーム・サーディクには「知らず、判断をせず、否定したわけでもなく、不信仰になったわけでもなかったならば」との言葉が残されており、7代イマーム・カーズィムは更に敷衍して「アリーは導きの門の一つです。それゆえアリーの門に入った者は信仰者であり、そこから出た者は不信仰者です。そしてそれに入ることも、そこから出ることもなかった者は、彼らについて(楽園か火獄か)はアッラーの意向に帰される者の階層に該当します。」と述べている。つまり、アリーのイマーム位を認めず不信仰に陥った者とは、積極的にアリーを否定した者であり、イマームの問題に無知であったり、判断を留保した者は、否定したことにはならず、救済が必定の信仰者と火獄が必定の不信仰者の間の第三のカテゴリーに分類される、と解されるのである。

 またサーディクは「シャームの民はローマの民よりも邪悪です。マッカの民は明白にアッラーを否定しますが、そのマッカの民よりもマディーナの民は邪悪です。」「ローマの民は不信仰ですが、彼らはわれわれに敵対しません。しかし、シャームの民は不信仰者であって、彼らはわれわれに敵対します。」とも述べている。

 シャームの民とは12イマーム派に敵対したウマイヤ朝、ローマの民はキリスト教徒、マッカの民とは多神教徒だったクライシュ族、マディーナの民は12イマーム派を見捨てた原スンナ派を指す、と考えられる。従ってこのハディースは、12イマーム派を迫害したのでない限りにおいて、信仰の教義においてあからさまに不信仰な異教徒であるローマのキリスト教徒やマッカの多神教徒のクライシュ族よりも、12イマーム派に敵対する他宗派の方がより悪質な不信仰者である、との12イマーム派の他宗派理解を示していると考えられる。

 つまり、12イマーム派において、原則的に他宗派は全て不信仰者、多神教徒であるが、単に教義的に間違っているだけでなく、12イマーム派を迫害する宗派は、その中でも特に悪質とみなされており、異教徒以下の扱いを受けている、と言うことができる。

 12イマーム派の大ハディース学者マジュリスィー(1698年没)は『アル=ウスール・ミン・アル=カーフィー』の注釈の中で以下のように述べている。

 

たとえイマーム位のように宗教(イスラーム)に不可欠なものでなくても、信仰箇条の一部に瑕疵がある者に対して(「不信仰」の語をもって)呼ばれる。彼らは来世においては、相違者(ムハーリフ)やその他の12イマーム派以外のシーア派の諸分派と同様に、不信仰者と規定され、火獄に永遠に留まる、というのが通説である。...但し、多くの伝承から、薄弱者たちやアッラーの(救済の)御命令が期待される者たちのように、相違者の一部は救済される可能性があることが明らかになることを私は知った。「碩学(アッラーマ)」(ヒッリー)らが相違者(ムハーリフ)が火獄に永住しないとの説を唱えているが、それは薄弱者やその類以外については極めて弱い説である。なぜならイマーム位は、シーア派にとって宗教の根幹だからである。自分の時代のイマームを知らずに死んだ者は、(イスラーム以前の)無明の死に方をしたことになる、との言葉は預言者から不特定多数が伝えており、それに関する(イマームの)伝承は数え切れない。

一方、清浄、婚姻、相続などの現世での法規定については、その全てにおいて彼ら(ムハーリフ)はムスリムと規定される。サイイド・ムルタダー(d.1044)と一群の者は、彼ら(ムハーリフ)は現世の事項においても不信仰者と規定される、と唱えている。一部の(イマームの)伝承から明らかになることは、彼らは(現世と来世の事項の)規定の全てにおいて実際には不信仰者と規定されるが、アッラーは相違者(ムハーリフ)たちが国家権力とシーア派に対する支配権を有しており、彼ら(シーア派)には彼ら(ムハーリフ)との交際が必要なことをご存じなので、その全てにおいて彼らに軽減を許され、相違者たちに対して休戦と信仰隠し(タキーヤ)の時代にはムスリムの諸規程を準用させられたが、執行者(カーイム)の時代には彼らと不信仰者たちの間には区別がない、ということであり、それによって(全ての)伝承を整合させることが可能になるのである。(「迷誤(alāl)」節第1ハディース注釈)。

 

 次章では、12イマーム派の法学書の他宗派の不信仰に関する記述をより詳細に検討したい。[1]

 

8.12イマーム派法学書における他宗派の不信仰

イスラーム法学の構成の中で、信仰と不信仰の問題が主題的に論じられるのは背教罪の章である。

トゥースィーは(1067年没)、「背教者と生来の不信捕者のイスラーム入信の言明は等しく、アッラーの他に神はないということ、ムハンマドはアッラーの使徒であること、及び、イスラームに反するいかなる宗教とも絶縁することであるが、『アッラーの他に神はないということ、ムハンマドはアッラーの使徒であると私は証言する』と言えばそれで十分である」と述べており、またムハッキク・アル=ヒッリーも「イスラーム入信の言葉は『アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒であると私は証言する』であり、もしそれに加えて『私はイスラーム以外のあらゆる宗教と絶縁する」と述べてもそれは強調であり、前者のみで足りるのである」と述べており、スンナ派と同じくムスリムたることの要件はアッラーの唯一性とムハンマドの預言者性の承認としており、イマームへの信仰にはなんら言及していない。

またこれらの12イマーム派法学の権威ある古典のみではなく、ムハッキク・ヒッリーの『シャラーイウ・イスラーム』に対して19世紀に書かれた注釈書でシーア派における最も浩潮な法学書の著者ナジャフィーも、「肉体の復活」や天使の否定は背教事項として挙げているが、イマームへの信仰の有無には触れていない。またアルニナジャフィーは他の箇所で、12イマーム派宗徒がイマームを否認した場合は背教が成立すると述べているが、ハワーリジュ派や過激シーア派を除けば、イマームの否認は永遠の火獄の懲罰に値する不信仰ではないと述べており、アリーと武力を用いて戦ったのではなく単にそのイマーム位を認めなかっただけの者は不信仰者というよりも悪人である、とのアッラーマ・ヒッリーの説に付合している。

またナジャフィーは12イマームへの信仰について、「宗徒による(min dhi a1−madhhab)一時婚のような宗派の自明事項の否認によっても背教が成立する。なぜなら『宗教(dīn)』とは『人がよって立つところのもの(ma huwa‘alai−hi)』だからである。12イマーム派宗徒による彼ら(12イマーム)の一人の否認もその中に入ろう。」と述べ、12人のイマーム全員への信仰が特殊12イマーム派的信仰であることを明らかにし、それが神事(イバーダート)の有効性の条件であると述べ、シーア派信者がそれを否認した場合は、背教となる、としている。

しかしナジャフィーはイマームへの信仰の欠如によって義(アダーラ)は失われるが、火獄への永住を帰結する不信仰が確定するわけではない、とも述べており、12イマーム派以外の宗派の「不信仰」については、アリーと戦った礼拝の方向を共有する民(ahl a1-qiblah)(ムスリム)についての「彼らが不信仰者か」との質問に対するアリーの「彼らは諸規定に対して不信仰であり、また御恩に対して不信仰に陥っているが、それは預言を否認し、イスラームを認めない多神教徒の不信仰とは違う」との回答が引用している。

以上、上記のイマームたちの言葉と法学者の学説を総合的に考察すると、12イマーム派は、アッラーの唯一性とムハンマドの預言者性に加えての12人のイマームへの信仰をイスラームの信仰の成立の条件としているが、知識や理性の足りない「薄弱者」などには、イマームへの信仰を免じており、初代イマーム・アリーと戦った叛徒に対してさえ、不信仰者としながらも、預言者ムハンマドを認めない異教徒の不信仰とは区別していることから、12イマーム派は不信仰を、永遠の火獄を必定としイスラームから完全に排除される異教徒と同じ不信仰と、永遠の火獄を必定とするわけではなくムスリムとして救済に与る可能性を残す不信仰の二種に区別している、と考えることができる。つまり12イマーム派は、他宗派の信徒でも、イマームを積極的に否定、敵対した者を前者の異教徒と同じ不信仰者とみなすが、イマームを消極的に認めなかった者は後者の救済の可能性を残す不信仰の罪を犯したムスリムとみなすのが、最も整合的なのである。

 

9章.12イマーム派における叛徒の規定

 12イマーム派は、既述のようにマジュリスィーによって最強硬派とされているムルタダーでさえ「埋葬、相続、彼ら(叛徒)の財産の戦利品として配分において、両者(叛徒と不信仰者の敵)の規定にある程度の違いがある」と、他宗派の信徒の中でも最悪のカテゴリーであるイマームと戦う叛徒でさえ異教徒とは法学上扱いに違いがあることを認めており、通説では、他宗教の信徒は来世では火獄に落とされるとしても、現世ではイスラーム法上同じムスリムとして扱われ、12イマーム派信徒が他宗派の信徒と結婚することもその屠殺肉を食べることも許される。

 つまり、12イマーム派は、原則的に12イマーム派信徒のみが来世で楽園に入る信仰者の救済共同体である、としながらも、現世では他宗派の信徒もイスラーム法上、同じムスリムとみなすことで、不正な抑圧と戦う正義の宗徒との自分たちのアイデンティティーを護りながら日常生活において他宗派との折り合いをつけ現世における共存を可能にする教義を発展させてきた。

 12イマーム派法学は大枠においてスンナ派法学と同じであり大きな違いはない。しかし、フムス(五分の一税)と並んで、12イマーム派法学とスンナ派法学が構造的に違っているのが、叛徒の規定である。

スンナ派法学において、叛徒はムスリムであり、叛徒討伐は異教徒との戦いであるジハードとは別のカテゴリー「法定刑」章で、つまり対「外」的「戦争」ではなく対「内」的「治安」の問題として扱われる。ところが、シーア派法学においては、叛徒は不信仰者であり、対「外」的「戦争」ジハード章で扱われる。

ムハッキク・ヒッリー(d.1277)の標準的古典Sharā’i‘ al-Islāmが「ジハードをしなければならない相手について(man yajibu jihadu−hu)は、以下の3種である。(1)ムスリムの中のイマームへの叛徒(bughāh ‘alā al−lmām min al−muslimin)[2](2)庇護民、即ちキリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒が、庇護契約の約款に違反した場合、(3)上記を除く様々な不信仰者」と述べている通り、シーア派法学は、「ジハードをすべき対象」を(1)庇護民(dhimmi)、即ちキリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒、(2)敵性異教徒(arbī)、即ちキリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒以外の全ての不信仰者、(3)叛徒、の三種に分類するのが通例であり、ムルタダー(d.436/1044)al-Intiṣārにおいて、イマームの無謬性を認める者は全て、彼に対する叛徒、彼への服従を放棄する者が不信仰者であるとみなしているのである」と述べ、叛徒が不信仰者である、と断じている。

しかし12イマーム派法学において叛徒は不信仰者とされるが、たとえ一旦イマームに反旗を翻して戦いに及んだ後ですら、彼らが矛を収めさえずれば、庇護民のような税を課されることもなく、他のムスリムと同じイスラーム法上の権利を享有し「イスラームの家」の中での定住が許され、現代の研究者Khaledも述べている通り、「叛徒の処遇に関するシーア派の言説は実質的にスンナ派の教説と類似している。...叛徒に適用される交戦規定はむしろ寛大である。」

但し、12イマーム派の叛徒の規定が寛容なのは、12代イマーム派が政権を握っていないからに過ぎない。ナジャフィーが「要するに文献上『休戦の時代(zaman al−hudnah)』と呼ばれる今の時代においては、彼ら(叛徒)に対して、浄化、屠殺肉の食用、結婚、財産の不可侵などにおけるムスリムの諸規定の全てが適用されるが、真実が勝利する時が至るまでであり、その時には、彼らには敵性不信仰者の諸規定が適用されるのである。」と述べている通り、12イマーム派が権力を握れば、叛徒はジハードの対象として異教徒と同じ扱いを受けることになるのである。

しかし実際には12イマーム派で政権を握ったのは初代イマーム・アリーだけでそれ以降のイマームたちは政治権力を持たず、あまつさえ、12代イマームはこの世から姿を消したため、叛徒の規定は完全に空文化していた。

ところが、12イマーム派のイスラーム法学者がイマームの代理人として統治権を握るとの「法学者の後見(wilāyah faqīh」論を国家イデオロギーとする

12イマーム派のイスラーム法学者がイマームの代理人として統治権を握るとの「法学者の後見(wilāyah faqīh」論を国家イデオロギーとするイラン・イスラーム共和国が樹立されたため、この状況は一変する。そこで次章では、12イマーム派の叛徒理論の現在を概観する。

 

10章.12イマーム派の叛徒論の現在

現代のシーア派法学書にはジハード論を欠くものが散見される。例えばランキャラーニー、タブリーズィー、イラク在住のスィースターニーらの大アヤトラの所謂『レサーレ(法学回答集』はジハード論を欠いている。イラン・イスラーム革命前にホメイニー(d.1989)が書いた法学『タフリール・ワスィーラTarīr al-Wasīlah』も伝統的な法学書の章立てを踏襲して書かれているにもかかわらず叛乱論を含むジハード論が抜け落ちているが、実は同書は、「勧善懲悪」章の中に「防衛」と題する項を立て、以下のように述べている。

「第1:敵がムスリムの土地か、それによってイスラームの土地と彼ら(ムスリム)の社会が脅かされるような国境を侵略した場合、財産と生命を捧げて可能なあらゆる手段でそれを防衛することが、彼ら(ムスリム)にとって義務と

なる。第2:それにはイマームの存在も、その許可も、その特定代理の許可も、不特定代理の許可も条件とはならない。無制限かつ無条件にあらゆる手段によるその防衛が、全ての責任能力者に義務付けられる。」

 「特定代理」「不特定代理」の概念は、既にアル=シャヒード・アル=サーニー(d.1567)が、「それはジハードのため、あるいはより一般的な任務のために任命された特定代理である。法学者のような不特定代理については、第一の場合[先制(ibtida’i)ジハードの場合]には、(イマームの)幽陰の状況においては、彼(不特定代理)には(ジハードの)管掌は許されないが、[防衛]その他の場合には、それ[イマームの存在]はその(ジハード)の合法性の条件とはならない。」と述べており、法学者がイマームの不特定代理であり、「イスラームの家」の防衛戦争などのやむをえない場合を除き、ジハードの開戦にはイマームの特定代理である法学者の裁可が必要であると論じていた。

 ホメイニはその「法学者の後見」論の中で、イマームの不特定代理としての法学者のイスラーム国家の元首として統治権を総撹することを論証することになるが、同書においては、この「不特定代理」の概念と関連付けて叛乱の問題を法学的に論ずる作業は行っていない。

叛徒討伐の規定に、特定代理の概念を組み込んだのがルーハーニーである。彼は「正義のイマームに反逆する者全て」と叛徒を定義したアッラーマ・アル=ヒッリーの「イマームかその任じた者の呼びかけによりその者との戦いが義務となる」との言明の「その任じた者」の語について「特定(代理)であれ、不特定(代理)であれ、義務において違いなく」と注釈し、「(内戦におけるジハードが許されるのは)彼らが宗教において捏造を行い、私の命令に背き、私の家族の殺害を許したためである。」との預言者のハディースを引いて、「この伝承は(1)『イマームに直接に反逆した者』と特定していないこと、(2)宗教において捏造を行い、ムジュタヒド(独自の法判断を下せる高位の法学者)たちに背き、アッラーの諸規定を改変する現代の不正の為政者たちを含んでいること、は隠れも無く明白である」と述べ、法学者に背く者を叛徒とみなし、「正しくは、無謬者への叛徒との戦いが義務であるのと同じく、その反抗者が『待ち望まれる徴(hujj ah)=12代イマーム」への反抗者とされる彼の代理への叛徒との戦いも義務である。」と述べて、第12代イマームの不特定代理である法学者に背く者もまた叛徒であると断じている。

 つまりルーハーニーの許で、イマームの不特定代理である法学者の権威は、単に叛徒討伐の宣戦権を有するのみならず、その命令への背反が第12代イマームへの叛乱と等置される支配の正当性を獲得するまでに昇格しているのである。

 また既述の通りシーア派法学では自ら仕掛ける先制ジハード(jihad ibtida’i)はイマームの許可を要するとするのが通説であったが、イラン・イスラーム共和国最高指導者ハ一メネイーは、「(先制ジハード)は、ムスリムを統治する有資格の法学者が公益がそれを要請すると判断した場合にはその裁可が許されるとの説は無理ではない。いやむしろその説がより有力なのである。」とイマームの代理の法学者には、先制ジハードの宣戦権があると述べている。

 また、イランの体制派として知られる大アヤトラのマカーリム・アル=シーラーズィーは、以下のように述べている。

 

前述のクルアーンの節(「もし信徒たちの2党派が相争うなら両者の間を仲裁せよ。もし両者の一方が他方に対して無法を働くなら、アッラーの命に帰順するまで無法を働く方と戦え。そして帰順したなら両者の問を正義をもって仲裁せよ。... 499)が提起しているのは別の課題、つまり信徒の二集団の間に生じた紛争であって、その紛争には正義のイマームに対する蜂起は含まれておらず、また正当なイスラーム政府に対する蜂起も含まれていない。一部の法学者やクルアーン注釈者たちはこの節に前述の問題(叛徒討伐)の典拠を見出そうとしているが、その立論は、アル=ファーディル・アル=ミクダード(d.1423)(その著)Kunz al-‘lrfānの中で述べている通り、明らかな誤りなのである。なぜならば正義のイマームへの反抗、蜂起は不信仰を帰結するが、ムスリムの間の内紛は不信仰ではなく、堕落(fisq)を帰結するだけだからで

ある。」

 

 こうして彼は「正当なイスラーム政府」の概念を持ち込むことにより、第12代イマームを「正当なイスラーム政府」に置き換えているのである。イマームの不特定代理たる法学者に対する背反をイマームへの背反とみなしたアル=ルーハーニーの議論は古典シーア派法学の概念構成の中での展開であったが、このマカーリム・アル=シーラーズィーの議論は、古典イスラーム法学にそもそも存在しない法人概念である「イスラーム政府」を用い、政治的忠誠の対象をイマームや法学者の人格からイスラーム政府という機関の抽象的な法人格に移している点において、概念構成の根本的な変化を示している。そしてマカーリム・シーラーズィーは「最後に、これらの叛徒の規定は、無謬のイマーム、あるいは正義のイスラーム政府に対して逆らう者たちに対する規定とは別であることを再確認しておく。この後の徒党には、イスラーム法学のジハード章に述べられたより厳しく過酷な規定が当てはまるのである」と述べ、不信仰者とのジハードと比べて寛大な古典シーア派法学の叛徒討伐規定を否定し、イスラーム政府に対する反逆者への厳罰を要求しているのである。

一方、レバノンの大アヤトラ・ムハンマド・フサイン・ファドルッラー(2010年没)

は叛徒について、「『叛徒』とは聖法によってその服従が義務である無謬のイマームへの叛

乱者である。...  中略...  ジャワーヒルの著者(ナジャフィー)は、これらの叛徒たちがたとえイスラームへの帰属を称しようとも不信仰者であると考えているが、我々は彼らが不信仰により近いとはいえどもやはりムスリムであると考える。」と述べ、シーア派の通説に反し、叛徒がムスリムであると明言している。

 シーア派の叛徒論の現代的展開を纏めるなら、ホメイニーの法学者の統治権理論によるイマームの不特定代理である法学者の権威の昇格に伴い、法学者の命令に背く者がイマームに背く叛徒とみなされるようになり、更にイラン・イスラーム共和国の成立により、イスラーム政府に反逆する者も叛徒とする議論も登場することになった。シーア派法学の叛徒論はイマームの幽陰により長らく空文化していたが、ここに叛徒の規定が新たに現実性を帯びて復活したのである。一方、レバノンの大アヤトラ・ファドルッラーが、叛徒もムスリムとみなすとの新説を唱えていた。

 

終りに

 以上、我々は12イマーム派神学の基本文献『ウスール・ミン・カーフィー』、及び古今の法学書に依拠し、伝統的には12イマーム派は、原則として全ての他宗派の信徒を不信仰者とみなす(タクフィールする)にもかかわらず、12代イマーム・マフディーの再臨までは、他宗派を現世の規定においてはイスラーム法上同じムスリムとして扱う、との理論を確立することで他宗派との共存を図ってきたが、イスラーム法学者をイマームの不特定代理とみなすホメイニの「法学者の後見論」に基づくイラン・イスラーム共和国が成立したことで、イランに政権をイマームと等値する政治理論が生まれ、空文化していた叛徒論が、イランの現政権に敵対する他宗派を現世においても不信仰者とみなし(タクフィールし)殺害すべきとの伝統的な叛徒論よりもより不寛容な形で復活することになった。大アヤトラとしてこの傾向に反対し、叛徒をムスリムとみなす新説を唱えていたレバノンのファドルッラーが2010年に亡くなると、レバノンでもヒズブッラーの強硬派の指導者ナスルッラーがスンナ派をタクフィールしシリア内戦に介入することになった。

 つまり、ハーメネーによる、スンナ派サラフィー主義者をイスラーム世界の団結を危うくする「タクフィール主義者」との批判は、12イマーム派こそが本来「タクフィール主義者」と呼ばれるべき宗派であり、更にイラン・イスラーム共和国成立後は、不信仰の他宗派も現世ではムスリムとみなす、との伝統12イマーム派教学の他宗派との共存の理論を放棄し、現世においても敵対する他宗派を不信仰者として扱う、という意味で、文字通り、イスラーム世界の団結を壊し戦争を招く「タクフィール主義者」と化している、との現実を隠蔽するものであり、受け入れがたいのである。

 以上、我々はハーメネイーの「タクフィール主義者」批判を手掛かりに、12イマーム派の他宗派観を歴史的に詳細に跡づけ、現代イスラーム世界の現状におけるその問題点を明らかにした。現代のイスラーム世界の問題を解決するには、先ず12イマーム派は他宗派への「タクフィール主義者」とのレイベリングを止め、12イマーム派教学の他宗派との共存の伝統に立ち返るべきであると考えられる。

 

 

 

 

 





[1] 本稿で引用した12イマーム派の法学書の典拠に関しては拙稿「シーア派法学における古典ジハード論とその現代的展開

一スンナ派法学との比較の視点から」参照。『山口大学哲学研究』2008年、1-15頁参照。Cf., http://ci.nii.ac.jp/naid/120002661765


[2] 「ムスリムの中のイマームへの叛徒」との表現は、叛徒がムスリムであることを示しているように見えるが、この言葉は「ムスリムであったがイマームに背いた者」を意味しており、イマームに背く以前の帰属を指しているだけで、叛乱時においてもムスリムとみなされることを意味していない。

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