2014年1月18日土曜日

ガザーリー「許されたもの(ハラール)と禁じられたもの(ハラーム)の書」序 『宗教諸学の蘇り』より


『宗教諸学の蘇り』「許されたもの(ハラール)と禁じられたもの(ハラーム)の書」序 イブン・マスウードが伝えるところ。預言者は言われた。「ハラール(許されたもの)を求めることは全てのムスリムの義務である。」この義務は全ての義務の中で理性にとってそれら(の義務の)中で理解するのに最も困難で、肉体にとって最も難儀なのである。それゆえそれは認識においても行為においても完全に消滅してしまい、知識の不足が行為の消滅の原因になっている。というのは、無知な者はハラールは失われてしまい、それを得る道は閉ざされ、良きものは、甘露と荒野に生える草しか残っておらず、それ以外のものは不正な手によって汚され、邪な商行為によって侵されていると考え、それで草を食むことで満足するのは難しいので、禁じられたもの(ハラーム)を緩和するしかなくなり、財に関する区別、詳細を理解せず、宗教(イスラーム)のこの枢軸(ハラールを求めること)を全て拒否してしまうのである。なんと嘆かわしいことか。ハラールは明白であり、ハラームも明白であるが、両者の間には曖昧な事項があるのであり、状況がどんなに変ろうとも、これらの3つは相関しているのである。そしてそれが宗教全般に害を及ぼし、人々に悪影響が広がっているビドア(新奇な説)であるので、ハラールとハラームと曖昧事項を区別する標識を正確かつ明晰に示すことで、その過ちを明らかにし、厳格にしてそれを不可能にしてしまわないようにしなければならない。  我々はこれを以下の7章に分けて説明しよう。第1章「ハラールを求めることの徳とハラームの譴責、ハラールとハラームの段階」、第2章「曖昧なことの段階、その論点、ハラールとハラームとの区別」、第3章「ハラールとハラームについての検査、審査、襲撃、放置、憶測」章、第4章「金銭的不正において悔い改めた者の贖罪の方法」章、第5章「権力者からの下賜、彼らとの関係、それにおいて許されることと禁じられること」章、第6章「権力者の許に赴くこと、彼らとの交際」、第7章「雑多な問題」