2024年3月1日金曜日

『イスラーム諸学の革新・要約』とイスラームの解釈学的アプローチ

『イスラーム諸学の革新・要約』とイスラームの解釈学的アプローチ


1.はじめに


本稿は、現代世界に求められるイスラームの解釈学的アプローチにおけるガザーリーの『イスラーム諸学の革新・要約』の有用性とその限界を明らかにする。

現在の世界は、サミュエル・ハンチントン が予言した低強度のフォルトライン紛争が同時多発的に世界中で発生し、特にガザ戦争以降、第二次世界大戦後の国際秩序の既得権益を守ろうとする欧米(+日本)とその偽善と不正に異議を申し立て、西欧列強が作ったゲームのルールを変えようとする「グローバルサウス」と総称される非西欧文化圏の対立が一挙に加速、先鋭化し、コントロールの利かない世界大戦に発展しかねない危機的状況にある。

この現状はミクロとマクロの両レベルでの行き過ぎたアイデンティティ・ポリティクスによって煽られた人々の分断をもたらす国家主義的で排他的なジンゴイズムの言説の世界各地での増大を特徴としているが、それにはデジタル資本主義の急速な発展によって引き起こされた側面が大きい。私見によると、この全世界/人類を巻き込む破滅的な戦争の危機を解決する鍵は、創造物への絶対的な忠誠を要求する偶像崇拝の束縛から人類と地球を解放する共役不能な異なる価値観を有する複数の文明圏が共存する新たな国際秩序を構築することにある。

そのためには、自己と異なる文化的背景を有する異文明圏の住人である「他者」の世界観、価値観を理解しなくてはならず、それには異文化理解の方法論としての解釈学的なアプローチが必要である。しかし我々が今必要としている解釈学的方法が古典研究や人類学などで用いられる異文化理解の方法論とは異なることを認識するには、現代の時代精神(Zeitgeist)を文明的に概観する必要がある。 そこで迂遠になるが、ここではサミュエル・ハンティントンの論文『文明の衝突』を手がかりに現代世界を紐解いてみよう。

ハンティントンは、西洋文明が普遍的な文明ではないことを認め、国際関係のルールは将来、非西洋文明のさまざまな主体によって決定されるだろうと予測し、非西洋文明との戦争がより頻繁になるだろうと警告した。それを放置すると世界大戦に発展する可能性があるため、西側諸国は他の文明の宗教的前提を理解し、彼らが大切にしているものを考慮して共存する方法を見つける必要があるのである 。

しかし、冷戦勝利後の全能感と多幸感に浸っていた西側諸国は、ハンティントンの忠告に耳を貸さなかった。 彼らは西洋の世俗主義を普遍的な文明、非西洋文明を劣ったものとみなし、その真実性の主張(Wahrheitsanspruch)を無視し、近代西洋文明の非西洋文明への度重なる文化的侵略の隠れ蓑として自らの経済力と軍事力を利用した。 

その結果、西洋文明に対する最も可能性の高い脅威は儒教文明とイスラーム文明の同盟にあるというハンティントンの事前警告にもかかわらず、イスラーム文明の中で最も西洋化された国であったトルコはないがしろにされ、反西洋文明圏に追い込まれるという事態に至っている。 

しかし、より注目すべき失敗はロシアの扱いである。 ハンティントン自身はロシアの封じ込めに楽観的であり、1993年の出来事に基づいて、ロシアとウクライナは同じ正教文明内のスラブ民族であるため、文明の点で共存できると述べていた。 

ハンティントンは、ロシアを西洋文明と正統派スラブ文明の間で世界で最も重要な「引き裂かれた国」と表現し、ロシアが伝統主義的、全体主義的、権威主義的な反西洋世俗文明の陣営に加わる可能性があることに気づいていた。 しかし、彼はロシアを日本と並んで近代西欧文明に近い国と考えていた。ハンチントンによると、短期的にはロシアや日本との協力関係を促進し維持して、中華儒教世界やイスラム世界の軍事力の拡大を抑え、地域的な文明間紛争が大規模な文明間戦争にエスカレートするのを防ぐことが西側の利益になることは明らかである。それゆえ彼は「ロシアは儒教文明やイスラーム文明といった西洋文明陣営に追いやられるべきではない」と考えていた。

しかし同時に、上で述べたように、ハンティントンは、長期的にロシアと共存するためには、西側は近代西側文明の真実の主張(Wahrheitsanspruch)を放棄し、ロシアの価値観が西洋文明の価値観とは相容れないものであることを受け入れた上で妥協点を探さなければならないと付け加えることを忘れなかった。

しかし欧米はハンチントンの提案に応えるどころか、自由、人権、民主主義の名の下に、正統文明を分断しようとし、西洋世俗主義文明による文化侵略政策を推進した。  その結果、今日私たちが見ているように、欧米は正教スラブ文明帝国であるロシアを中国、北朝鮮、イランの側に追いやることになり、期せずしてハンティントンが予言したいわゆる「儒教文明とイスラーム文明の同盟」がロシアを触媒として形成されることになったのである。さらに、2023年10月以来紛争を引き起こしたガザにおけるイスラエルの大量虐殺行為に対する西側諸国の支持は、西側文明が提唱する人権、民主主義、自由などの二重基準と偽善を暴露した。 この支援により、総称して「グローバル・サウス」として知られるアジアとアフリカ諸国の大部分が、西洋文明に対する反対だけを理由に反西洋的になるようになった。

だからと言って、ここでの論点は西洋文明の二重基準と偽善を批判することではない。 そうではなく重要なのはハンティントンが「西洋文明は西洋的であり、また近代的でもある。そして非西洋文明は西洋になることなく近代になろうとしてきたのである。 …非西洋文明は、近代の一部である富、技術、技能、機械、武器を獲得しようと試み続けるだろう」と述べた西洋近代文明の二重性である。

ハンティントンによれば、文明とは「人々の最も高度な文化的集団であり、人間を他の種から区別するものを除いて人々が持つ最も広範なレベルの文化的アイデンティティである。そしてそれは、言語、歴史、宗教、習慣、制度などの共通の客観的要素と、人々の主観的な自己認識の両方によって定義される」

イスラーム文明、中国文明、正統スラブ文明、インド文明などの非西洋文明は、主観的な自己同一化によって民族の自己同一性を維持してきた。しかし、共通の客観的要素という観点から見ると、絶滅の危機に瀕しているブラジルの未接触の先住民族を除いて、地球上のすべての民族は現在、「近代化された」西洋のやり方を採用を強いられている。

西洋帝国主義列強によるアジア・アフリカの植民地化の時代であった19世紀に、西洋列強によって未開人のレッテルを貼られて奴隷のように扱われ植民地化されるのを回避するために、アジア・アフリカの全ての民族が西洋化を強いられたのである。この現象は一般に「富国強兵」政策と呼ばれている。その結果、西洋式の学校教育が義務化され、時間と生産活動の管理、近代的な工業生産と戦争が、ライフスタイルの西洋化を目的とした厳しい規律訓練を通じて実現した。

この意味で近代西洋文明は「普遍文明」として特徴づけることができる。したがって、たとえ中国の儒教文明、イスラーム文明、オーソドックス教会スラブ文明などに属していても、現代人はすべて近代西洋文明の一員とみなすことができる。

ハンティントンが雄弁に表現したように、私たちは皆、二つの文明の間で「引き裂かれ」ている。 イスラームを信仰する日本人であり、歴史的に黒船来航により開国を余儀なくされ第二次世界大戦の敗戦後の軍事占領によって「民主化」されるという米国の圧倒的影響を受けた国である日本で仏教と神道のルーツを持つ家族の中に生まれた筆者は近代西洋文明、儒教中華文明、日本固有の文明、そしてイスラーム文明の間で四つに「引き裂かれている」ことを自覚しているが、数は重要ではない。本質的なのは、非西欧文明に属する人間はすべて、近代西洋文明と自分が生まれ育った文明の間で「引き裂かれ」ているという葛藤を自覚しなければならないことである。

本稿では、この現象を社会学用語で「疎外(alienation, Entfremdung)」、イスラーム学のアラビア語で「グルバ(ghurbah)」と呼ぶ。 イスラームの疎外、グルバが、現代世界において、イスラームについての知識も理解もない非イスラーム文明圏の住人に対してだけでなく、イスラーム文明の地で生まれ育ったムスリムにイスラームを伝える場合にも、解釈学的なアプローチが必要とされる理由である。


2.イスラームのグルバ(疎外)

イスラームへの主観的な帰属意識は、現在のような世界的危機に対処するには役に立たない。そうした主観的な帰属意識を共有する者の多さは、むしろ有害無益である。なぜなら自称、他称のムスリムたちが主観的にはイスラームの教えに則っていると信じ込んでいる行動の多くが往々にしてイスラームの根本教義であるタウヒード(唯一神信仰)の原則に反しており、むしろ預言者ムハンマドが厳しく非難した「ジャヒリーヤ(「無知」を意味するアラビア語。イスラームに対比して用いられ,預言者ムハンマドにクルアーンの啓示が下る以前のまだイスラームを知らないアラブの状態を言うが、歴史用語としてはムハンマドの時代に先行する約150年間のアラブ社会を指す場合が多い) への呼びかけ(‘azā’ jāhilīyah)、あるいは党派/部族意識(ta‘aṣṣub)でしかないからである。

確かに、客人をもてなすことや貧しい人々への慈善行為などイスラームの美徳は、学者であるか庶民であるかを問わず、今なお民族の違いを超えて多くのムスリムに身体化されて共有されている。 しかし規律正しい時間厳守のライフスタイルは、近代西洋文明の産業資本主義段階で「教育」の名の下に人々に強制された労働倫理とともに、「ハビトゥス」(ピエール・ブルデュー)、あるいはエートス(マックス・ウェーバー)となって学校、工場、軍隊などの施設での訓練を通じて具体化され、無意識のうちに私たちの行動を支配している。

この意味で、私たちがクルアーン、ハディース、また千年ほど前に書かれたイスラーム学の古典を読んだとしても、それらの解釈の仕方やそれを読むことの社会的意義は、ホワイトカラー労働者が獲得すべき知識と教養に他ならない。それらの知識と教養は近代西洋文明の枠組みの中で定義され、教育の一環として学習され、その習得は社会的地位に直結している。

それゆえ現代世界の危機に対処できるダイナミックな勢力としてイスラームを復活させたいと心から願うのであれば、単にイスラームへの主観的な帰属意識を誇るだけでは十分ではなく、内省を通じてイスラームを理解しようとする自分たちの行動や属性の客観的なパターンが近代西洋文明によって飼い慣らされ、近代西欧文明の価値観を体現していることにまず気づかなければならない。言い換えれば自分自身がイスラーム文明から疎外されていることを認識し、対自的な自己理解を達成するためには、自分自身を反省の対象にしなければならない。

自分自身のイスラームからの疎外を客観的に認識することは学問的に困難なけでなく、それを主観的に認めることは感情的にも苦痛な試練である。しかし、ガザーリが『学知の革命(Iḥyā’ ‛Ulūm al-Dīn)』で強調しているように、悔い改め(タウバ)は救済の出発点であるため、イスラームを真に理解するためにはまず自己の誤りを自覚することが不可欠なのである。

しかし教義的にもイスラームの疎外に必ずしも落胆する必要はない。なぜならイスラームの疎外が預言者のハディースで予告されており、それ自体がイスラームの真実性の証しでもあるからである。 

「イスラームは奇妙なものとして始まり、また奇妙なものとして始まった姿に戻るだろう。奇妙な者たちに幸あれ」(ムスリム正伝集)

「『大食漢どもが呼びかけあって大盆に群がってくるように、諸民族があなたたちを貪ろうと呼びかけあうようになる』とアッラーの使徒が言われ、「その日には我々は少数なのか」と尋ねられると 「いや、その日あなたがたは多数だが、あなたは激流を流れる塵芥のようなゴミでしかない。アッラーがあなたの敵の胸からあなたへの恐れを取り除き、あなたの心中に弱さを投げ込むからである」と答えられた。更に「 弱さとは何でしょうか」と尋ねられると、 「現世への愛と死の恐れである」と答えられた。(アブー・ダーウード正伝集)

 約千年前、ガザリーの師であったアブドルマリク・ジュワイニー(シャーフィー派法学者、アシュアリー派神学者:1085年没)はすで「そして私たちの時代は、その状態からそう遠くない」と述べている  ジュワイニーによると、彼の時代には学匠たち(a’immah)は姿を消し、その後継者は絶え、似非学者たちはシャリーア(クルアーンとハディースの明文の教え)の枝葉末節にこだわって本質を見失い、新奇な珍説を唱えて物議を醸す問題を引き起こしたが、彼らの研究の目的は、無内容な美辞麗句で煙に巻いて議論に勝ち、無知な学徒や大衆の注目を集めることだった。それでは、シャリーアの知識は衰退し、その担い手は居なくなり、異説を列挙した書物の数は増え続けるだろう。しかし書物が増えても正しく指導してくれる教師がなければ、独学は混乱と理解の欠如を招くだけであり、人々はもはや全てを読むことができなくなり、我慢強く学ぼうとの興味が失せ、学ぶ者がいなくなるのである。 

イスラームの疎外は預言者の孫弟子(tābi‛)の時代にすでに起こっていた。預言者ムハンマドの時代には女性はモスクで男性と一緒に祈っていたがハナフィー法学の一通説では女性は自宅で祈るべきである。

ハナフィー派の法学者でハディース学者でもあったバドルッディーン・アイニー(1453年没)はその理由を以下のように説明している。


アッラーの使徒ムハンマドの未亡人アーイシャは「もし使徒様が生きていて女性たちが今何をしているのかを見ていたとしたら、イスラエルの民の女性たちと同じように、女性たちがモスクでの祈りに参加するのを必ずや阻止しただろう」(ブハーリーとムスリムの正伝集)

著名なハディース学者でハナフィー法学者のバドルッディーン・アイニー師はアーイシャのこの言葉を解説して「もしアイーシャが、近頃の女性が様々な僻事や悪行に手を染めているのを目撃していたら、女性のモスクへの立ち入りをもっと厳しく禁じるていただろう」(Badr al-Dīn al-‘Aynī, ‘Umdah al-Qāri’, Vol.3, p.230) 


アイニーは、カイロのアッバース朝カリフを名目上の宗主とする当時のスンナ派の盟主であったマムルーク朝治下に生きた碩学だった。アイニーが生きたアッバース朝カリフ政権下のマムルーク朝時代のムスリムでさえ、イスラームから疎外されていたことを自覚し、預言者ムハンマドの死後に彼の弟子たちの間で起きたものの何千倍ものイスラームからの逸脱が起こったことを嘆いていた。このような歴史的背景を考慮すると、西洋列強によって文化的に植民地化され、近代西洋文明に部分的に組み込まれている今日のムスリムが、どれほどの疎外を感じているのかを考えなければならない。

イスラームからの疎外の最も深刻な問題は、イスラームからの疎外の現実に無自覚であることである。特に今日では、クルアーンやハディースだけでなく、何万冊ものイスラーム学の古典がインターネット上にアップロードされている。さらに有名なウラマーは言うまでもなく、イスラーム諸国のイスラーム問題省や大学や、民間のイスラーム組織、正体不明の有象無象の自称宣教師、説教者によって発布された「ファトワ」が大量に存在する。実際、これらのファトワの一部は現在 AI によって作成されており、この割合は将来的に更に増加していくだろう。イスラームに関する「情報」はかつてない規模で爆発的に増加している。 しかし、正しい理解のない情報は知識ではない。{憶測は決して真理の代わりにはならない} (クルアーン10章36節)

 むしろそれらの情報は人々に自分の無知に対する謙虚な認識を失わせ、うぬぼれと虚栄心を生じさせ、 そして最終的には学ぶことに倦み疲れさせ興味を失わせる、真理を覆い隠すノイズに過ぎない。これが現代におけるイスラーム疎外の現代的形態なのである。

既述のように、この種のイスラームからの疎外の前兆はジュワイニーの時代に既に現れており、ジュワイニーの弟子であったガザーリーの著作『誤りから救うもの』や『イスラーム学知の革命』はその疎外の克服を目指して書かれたと言われている。 

しかし現代のイスラームの疎外は、ジュワイニーやガザーリーの時代よりもはるかに複雑かつ深刻である。 ガザーリーは、当時のイスラーム疎外への処方箋として、『哲学者の意図』や『哲学の自己矛盾』などで当時流行していた哲学者の語彙や論述スタイルを、利用し、シャリーア、つまりクルアーンとハディースの明文テキストから演繹されたイスラームの本質を同時代人にも理解できるように「神学、法学、スーフィズム」というパッケージの形で提示するスタイルを編み出した。。

現在求められているのは、ガザーリーが彼の時代に採用したアプローチに似ている、つまり現代西洋文明に固有の語彙と概念的枠組みを用いてのイスラームの本質を伝えるための新しい方法の定式化である。しかしそれらの語彙と概念枠組みはあまりにも深く根付き身体化されているため、その影響を対自的に自覚することは難しい。現代人の心に届く言葉で伝える解釈とは、イスラームが疎外されているために現在私たちが直面している文化的、社会的、経済的、政治的な問題にイスラームがどう対処できるかを示す解釈である。

本稿では方法論として解釈学的アプローチが使用されるが、それは「非イスラーム文明で生まれ育った非ムスリムにイスラームを伝える」といった月並みの異文化コミュニケーションの方法論ではない。 むしろ、幾重ものベールの背後に隠されたアッラーのメッセージを解読するための最初のステップは、自分自身がイスラームから疎外されていることを自覚し、自己の「内なる西洋」の毒を「自ら身を切り血を絞り出し」て解析し、その解毒剤を探し出すことなのである。


3. イスラームと解釈学サイクルの理解

前章で述べたように、今日ではイスラーム文明の中で生まれ育ったムスリムにとっても、解釈学的アプローチは不可欠である。 現在、統計ではムスリムの数は15億人から20億人と言われているが、アラビア語を母語とする人の数は約3億人に達する。 イスラームの経典、クルアーンとハディースはすべてアラビア語で書かれている。 したがってアラビア語を知らない人は、たとえムスリムであっても、アラビア語のイスラーム本来のメッセージを突然聞いても、その内容は一言も理解できないだろう。

非アラビア語を母語とするムスリムにとって、異文化間のコミュニケーションにおける翻訳の最も基本的な形式、つまり異言語間翻訳の必要性は自明である。 標準アラビア語(背側アラビア語)では、古典アラビア語と現代アラビア語は文法的に近く、外国人向けの標準アラビア語文法教育においては両者に明確な区別はない。 

しかし、すでに述べたように、預言者ムハンマドが生前長年にわたって親しく言葉を交わしていた高弟たちでさえ、自分たちの導き手である預言者を失った後は、クルアーンとハディースのメッセージを理解することができなかった。

言語学では、意味を統語論(syntaxs)的意味、意味論(semantics)的意味、語用論(pragmatics)的意味に分類する。 古典アラビア語は現代アラビア語文法で理解できるため、アラビア語話者にとって「内なる西洋」であるイスラームの疎外感を認識することは困難である。 しかし、クルアーンとハディースの統語論的意味や意味論的意味はアラビア語話者にとって理解しやすくても、彼らがライフスタイルを共有し、「言語を共に生きる」ことがなければ、語用論的な意味は理解できない。

そして、クルアーンとハディースは、その統語的意味を文法的および辞書的な神学的意味で説明する釈義を書くために人間に啓示されたのではなく、自分の置かれた状況を診断し、その中でどう生きるべきかを知るための「ガイド」として、それを行動の指針として使うために啓示されたのである。言い換えれば、イスラームにとって本当に重要なのは実践的な理解、あるいはプラグマティック(語用論的/実用的)な理解なのである。。

だとすれば、排外主義やジンゴイズムによる分断と紛争による人類滅亡を救うダイナミックな力としてイスラームを復活させるために必要なのは、イスラームの解釈学的な理解でなければならない。

イスラームに対する解釈学的なアプローチの必要性は、アラブ人にとっても非アラブ人ムスリムにとっても同様であり、すべてのムスリムに共通の課題であるが、非アラビア語話者の場合には解釈学的アプローチの必要性は明らかであるのに対して、アラビア語話者にとっては解釈学的アプローチの必要性はかえって理解が難しい。

そこで本稿では、イスラームとは全く触れずに非イスラーム文明で生まれ育った非アラビア語話者がイスラームをどのように理解し、どのようにその理解を他の人々と共有すべきかについて、主に『イスラーム学知の革命・要約』の和訳を例に用いて解釈学的なアプローチとは何かを明らかにしていく。なお以下では『イスラーム学知の革命・要約』を『要約』と略記する。

「部分は全体から理解されなければならず、全体は部分から理解されなければならない」と表現される解釈学的循環は、シュライエルマッハー(Friedrich Ernst Daniel Schleiermacher) に始まり、ディルタイ(Wilhelm Dilthey) 、を経て発展し、ガダマー(Hans Georg Gadamer) のもとで普遍的な重要性を獲得したものであり、あらゆる種類のテキストの解釈に適用できる包括的な理論となっている。

創造主なる神アッラーの創造物である宇宙には、たとえ私たちには理解できなくても、それぞれに独自の表現によるあらゆる被造物の創造主への賛美が響きわたっている。宇宙とは、万物の創造神に向けられた賛美が複雑に織り込まれたテキストである。ガリレオは、聖書と宇宙は神によって書かれた二冊の本であると述べたが、セム系/アブラハム的唯一神教のアッラーの意志を理解するための主要な文書の役割を担っているのはむしろクルアーンと宇宙である。

クルアーンは、創造神にいかにイスラーム(服従)すべきかを教えると同時に、宇宙とは被造物がどのように神に服従しているかを洞察するために読むべきテキストである。イスラームを理解するとは、世界の真相を把握し、人間の生活を支配する原則を理解することであり、イスラームを正確に理解するには、宗教に関する包括的な知識が必要となる。しかしそのような理解は一夜にして得られるものではない。イスラームの理解の道行は、全体の断片的な側面の探求から始まる。しかし部分を理解するには、解釈学的循環によりその部分が置かれた文脈を認識することが不可欠である。

イスラームの教えは、信仰告白句「lā ilāh illā Allāh」に簡潔に表現されている。「lā」という用語は英語の否定詞「no」であり、「ilāh」は神を意味する。「illāh」は「しかし」を表し、「Allāh」は崇拝に値する真の神を意味する。 イスラーム全体の探求を始める出発点としては、簡潔なこの信仰告白句が最適である。この句はイスラームの最小の断片、「部分」であるが、それを構成する単語との関係においては「全体」となる。

このイスラームの信仰告白句を総合的に理解するには、まず「lā ilāh」(神は存在しない)を理解する必要がある。ただしこの最初の部分「lā ilāh」だけを取り出すと、神の存在の否定となる。「lā ilāh」まで読んで、本を閉じ、イスラームの教えは神を否認する無神論だ、と結論したなら、それはイスラームの理解として不完全であるばかりか、完全な根本的誤解となる。

これは極めて簡単な例にすぎないが、イスラームを学ぶことの本質が凝縮されている。ゼロからイスラームを理解する旅に出ようとする者は、特に日本のようにムスリム学者と実際に接する機会が少ない環境では、最初は不完全で偏った情報から始めるしかない。つまり包括的な文脈を欠いたたまたまその時点で自分に提示されたイスラームの不完全で部分的な断片をイスラームだと思いなすことになる。

「lā ilāh illā Allah」という信仰告白句のフレーズは甚だ簡潔であるため、その全体を簡単に見渡すことができる。しかしクルアーンという啓典となると、文庫本(岩波文庫)で3巻、学術書となると分厚いながら一冊に収まる一点の書物であるが、一目で見渡せる量ではなく、概要、大意であれ全文の意味を理解することは簡単なことではない。クルアーン全巻を暗唱しているのは言うまでもなく何千、何万ものハディースに精通していた千年前のアラブ系のイスラーム学の碩学たちにとってさえ、その意味を理解するのは容易なことではなかった。長年にわたって数多くのクルアーン釈義書(tafsīr)が書き継がれてきたのはそのためである。

たとえアラブ人であっても、特に西洋の社会文化システムの枠組みの中で教育を受けたアラブ人にとって、何年もかけて古典アラビア語を習得し、古典釈義書を参照しながらクルアーンを研究することは、解釈学的螺旋を昇る最初の第一歩としては適切ではない。なぜならば解釈学的サイクルのうち、全体に見通しを与える部分は、それ自体が一目で見渡すことができる包括的な全体でなければならないからである。

その意味でイスラームを学ぼうとする初学者に、ガザーリーの『要約』をテキストして用いることは、たとえ部分的なものであるとしても、イスラーム理解の予備的な概要を提供し、イスラームの全体を垣間見る、という目的に役立つ。その理由は次章で詳しく説明しよう。


4.イスラーム学の革新

クルアーンとハディースに明らかにされた神の意志を理解するために、イスラーム文明は 神学、法学、スーフィズムの三つの学問分野を確立した。アブー・ハーミド・ムハンマド・ガザーリー(1111年没)は、神に仕えるイスラーム研究体系の発展において極めて重要な役割を果たした。彼は、精神性を失い外枠となった「外面の学問」(‛ilm ẓāhir)神学、「内面の学問(‛ilm bāṭin)」であるスーフィズムとを有機的に統合することによってこそれを達成したのであり、 彼の記念碑的な大著『イスラーム学知の革命』は、この統合の証である。

イスラーム学の書誌学者として名高いハーッジ・ハリーファ(1657年没)は、『イスラーム学知の革命』の永続的な重要性を強調し、それをスンナ派イスラーム研究の標準的な古典であり、『神学大全』と呼んでいる。シーア派神秘哲学者でハディース学者のファイド・カシャーニー(1680年没)による『イスラーム学知の革命』の注釈である『白い大道(al-Maḥājjāh al-Bayḍā')』は、それが世界的に認められ、よく練り上げられた構造を有し明晰に書かれ論理的に整理されていると述べている。つまり同書はスンナ派とシーア派の間の根深い宗派対立を超えて900年以上にわたって世界中のムスリムの間で広く受け入れられており、あらゆる形の党派主義による人間社会の分断が特徴的な今日の世界において、非常に貴重で有益な作品と言うことができる。

この意味で『イスラーム学知の革命』も『要約』にも、人間相互間の問題(‘ādāt)に焦点を当てた第二部に「イマーム/カリフ職」に関する章が含まれていないことは注目に値する。この時代、ガザリー自身が『信条における中庸(al-Iqtiṣād fī al-I‛tiqād)』の中で述べているように、神学書の中にイマーム/カリフを擁立する義務を論証する「イマーム・カリフ職」の章を設けるのがイスラーム学の慣行であった。そうであるならばイスラーム学大全である『イスラーム学知の革命』に「イマーム・カリフ職」の章が存在しないのは不自然であり、説明を要する。  その理由の一つは、ガザリがイマーム/カリフ論を論ずるに足る重要な問題とは考えていなかったことである。それどころか、彼はこれをムスリムの間の分裂と内戦を助長する可能性のある危険な問題とみなしていた。

ガザーリーの時代には、アンダルスのウマイヤ朝と北アフリカのファーティマ朝の両王朝がカリフを自称し、アッバース朝カリフの権威が失墜しただけでなく、イスラーム世界全体で半独立の地方政府が乱立して混乱に陥っていた。イランでは、イスマーイール派の分派のニザール派がアラムート要塞から暗殺部隊を派遣し、アッバース朝カリフを宗主とするセルジューク朝に対して激しい武力闘争を行っていた。

ガザーリーは「それは狂信、独善、党派意識の源泉であり、たとえそれが正しかったととしても、それを深入りするよりも避ける方が賢明である。正しくてさえ避ける方が良いなら、間違っていたならどれほど有害であろうか」と述べているが、誰が正当なイマーム/カリフかについて議論することは、合理的な議論によって解決され統一をもたらすのではなく、独善と分裂と内戦を招くだけだという彼の政治的見解は当時の政治状況を反映していると考えられる。 

しかし、『イスラーム学知の革命』にカリフに関するセクションがないことは、ガザーリーが読者に「政治」から完全に遠ざかるように促していることも、彼が権力者に媚びへつらい、その不正を容認する「静寂主義者」であったことも意味しない。それは『イスラーム学知の革命』にはカリフに関する章の代わりに「勧善懲悪(amr bi-l-ma‛rūf wa-nahy ‘an al-munkar:善を命じ悪を禁ずること)」に関する章を設けていることによって裏付けられる。  この章では「勧善懲悪」の主体がカリフではなくすべての信者であることが強調され 、カリフがはむしろその悪行、不正、暴虐が非難される対象となる。((暴君に対する勧善懲悪を進めて、ガザーリーは「最高の殉教者は、ハムザ・イブン・アブドゥルムッタリブであり、次に、イマームの前に立ち、彼に服従し、神の意志に反する行為を禁じた人物であり、そのために殺された者である」「不義の支配者のもとでの真実の言葉は最高のジハードであり、そのような行為をした者が殺された場合、彼は殉教者である」の二つのハディースを引用している))

ガザーリーは、イマームの正当性について論ずることが、イスラーム社会に分裂や内紛が生じさせることを警戒していたが、彼のこの懸念は「勧善懲悪」にも当てはまる。 彼によれば、「勧善懲悪」には、(1)告知(ta'rīf)、(2)忠告(wa'aẓ)、(3)脅迫( takhshīn fī qawl)、(4)暴力による強制阻止(man' bi-qahr)の4つの段階がある。しかし権力者(スルタン)に対しする暴力による脅迫や強制的阻止は、内戦(fitnah)を引き起こし、既に悪い状況をさらに悪化させる危険があるために許されない。

但しガザーリーは、内戦の危険がなければ、それは許され、さらには推奨されるだろうとも付け加えている。  自分の同時代のウラマーが臆病な俗物であり、暴君を前にして何も言えなかったという『イスラーム学知の革命』での彼の痛烈なウラマー批判は、それを裏付けている。

 

シャリーアはカリフの擁立(naṣb al-imām)が命じていることがイスラーム法学の合意事項であることをガザーリーは認めているだけでなく、政治哲学的にカリフ制が不可欠性であることを論証している。 シャリーアが最後の審判に至るまで妥当するとの法的安定性の観点からも、人々がカリフ制の義務を理解することは教学的にも極めて重要である。しかし当時の現実に照らすと、イスラーム法的に正当なただ一人のカリフを選ぶ法的義務をいかに果たすべきか、と、実践に踏み込んで考えることは、学識を欠く初学者が無い知恵を絞ってみても、かえってイスラーム共同体の分裂、紛争、内戦を招くだけなので考えない方がましであると『要約』は教えているのである。私見によると、この『要約』のリアリズムはイスラームの疎外という現在の状況においても示唆的である。

厳密な学術的研究、特に数学を基礎とする研究では、体系的な「積み上げ」式アプローチが不可欠である。この学習スタイルでは、各ステップが個々の概念 (パスカルが「幾何学の精神」と呼んだ哲学) の正確な理解に基づいて、一歩ずつ着実に歩を進めることが求められる。 しかし、宗教、文化、文明の理解には、それとは別のアプローチが必要となる。事象の全体を「瞬時に」(tout d'un coup)、「一目で」(d'un)把握できる「繊細な世親」が必要となるのである。  。こ繊細な精神により解釈学的循環が可能になり、全体とその構成部分の理解の間での不断の螺旋状の上昇による理解の深化が実現するのである。本稿ではこの解釈学的理解の深化の過程を「解釈学的螺旋」と呼ぼう。

異言語および異文化翻訳の場合、最初のステップは字義通りの翻訳、または逐語訳であり、「ソース言語」のテキストを別の「ターゲット言語」に翻訳する。 例えば、5世紀初頭頃、日本は朝鮮半島を経由して中国から漢字とともに仏教や儒教などの中国文化を学んだ。 そして、最初の日本語辞書『新撰字鏡』は、9世紀末から10世紀初頭に僧昌住によって書かれた。 

辞書を使った逐語訳は、厳密な学術研究の体系的な「積み上げ」式アプローチに似ており、幾何学の精神と相性が良い。クルアーンとハディース、そしてイスラーム学の古典はすべて、辞書で各単語のアラビア語の意味を調べれば、一語一語日本語に翻訳できる。しかし、解釈学の文脈では、この逐語訳は理解の手始めの最も低いレベルでしかない。

前述の通り、イスラームの信仰告白句は英語では「No god but Allah」と訳される。英語の「God」は通常、日本語では「神」と訳される。しかし、特に8世紀に書かれた古事記 や日本書紀 のような作品を紐解くと、日本語の「神」には、先史時代以来の重層的な含意が意味があることが分かる。そしてそれらの意味は、クルアーンの「神(ilāh)」の意味とは大きく異なる。逐語訳はイスラームやセム系あるいはアブラハムの一神教に対する深い理解のない一般の日本人にとっては、イスラームの大まかな理解の第一歩としてなら許容可能ではあるかもしれない。しかしその時点で理解したと思って何の疑問も抱かず好奇心を失い知識を求める旅(ṭalab al-‛ilm)を止めてしまっては、イスラーム文明圏の住人たちの平均的なイスラームの理解のレベルにさえ達することはできない 。

こうした解釈学的螺旋は『要約』の翻訳にも同じことが当てはまる。したがって同書を読み進めるに当たっては、個々の単語の厳密な意味の理解にこだわるのではなく、この一冊の本もまた本来の理解の対象である「全体」の「一部」に過ぎないことに常に自覚的であることが不可欠となる。『要約』を読む目的は、「一目で」そして「一息に」全体像を見渡すような読書体験を通じて『要約』に通底するロジックを「一気に」把握することにあるからである。

筆者は、6年前にイスラームに改宗したばかりの日本の大学でアラビア語を学ぶ学徒のために、アラビア語古典原文講読のテキストとして『要約』を選び1年余りをかけて通読し 、昨年(2023年)マルマラ大学神学部の山本直輝先生と共訳して公刊したが、最優先事項は、真のイスラームの知識を求める初学者にこの作品をできるだけ早くアクセスできるようにすることだった。つまり『要約』の翻訳は、イスラームの厳密な文献学的読解を目指す学究を読者として想定してではなく、イスラームに興味を有するすべての識字層の読者を念頭において行われたものなのである。

従って『要約』がその「一部」として位置付けられる「全体」の文脈を設定することは読者に委ねられている。その文脈には、宗教現象全般でも、セム系/アブラハム的一神教でも、イスラーム文明でも、スンナ派イスラームでも、より専門化された古典イスラーム文献研究でも、あるいは『要約』の元になった『イスラーム学知の革命・要約』自体であっても構わない。読書の目的を選ぶ責任はあくまでも読者自身のものなのである。


5. 解釈学的地平融合

解釈学的には、イスラームに対する私たちの理解は解釈学的循環を経て、地平線融合の途切れることのないプロセスを通じて上向きに螺旋を描く。 ただし、私たちが立っている地平線を正しく認識することなしには、実りある地平の融合 は起こり得ないことに注意することが重要だ。

19世紀の西洋の時代以降、東アジアの中国文明、アフロ・ユーラシアのイスラーム文明、東ヨーロッパのロシア正教文明を含む地球全体が、世俗主義的な近代西洋の文化植民地、西洋文明の従属文明となった。 西洋文明の 私たちは、歴史的なイスラーム文明の多くの要素を共有し続けている一方で、政治、経済、教育、文化制度などのさまざまな領域でその覇権の下にいる。 すなわち、私たちは現代西洋文明と伝統的なイスラーム文明の両方からの二重の疎外を経験しているのである。

実際、疎外感は単なる客観的事実ではなく、主観的に認めるのが苦痛なトラウマ的経験でもある。 しかし、私たちの人生を解釈学的螺旋と地平融合の場として考えるならば、疎外はむしろ新たな真実の開示の機会として積極的に見ることができる。

翻訳理論では、元の言語を「ソース言語」と呼び、翻訳された言語を「ターゲット言語」と呼ぶ。 クルアーンの日本語翻訳の場合、「原文言語」は古典アラビア語、「訳文言語」は現代日本語となる。 本稿では、文化解釈学において解釈される文化を「ソース文化」、その中で解釈される文化を「ターゲット文化」と呼ぼう。

最初の段階では、私たちが生まれ育った幼少期の母語や、初等・中等教育で学んだ語彙のネットワークからなる「ターゲット文化」の中で、さまざまな「ソース文化」を解釈する。

気が付いた時には我々は国家に登録された家族の子供である。 次いで国家の管理する学校に通う子どもたちには、定められた学齢に達すると、国家が定めた国語あるいは公用語で書かれた教科書が与えられ、定められた学区で固定の人数のクラスに配置され、国家によって任用された教員によって定められた国家が定めたカリキュラムを教えられる。それが私たちの「ターゲット文化」である。

国家も国語も学校も住民登録も家庭裁判所も法定通貨も存在しない時代に預言者ムハンマドの信奉者たちがどのようにしてシャリーアの知識を獲得したのかを理解するための最初のステップとしては、我々は「ソース文化」に自分の先行理解を投影するしかない。「ターゲット文化」となる現代アラブ世界では、初等教育は「タルビヤ(tarbīyah)」、中等教育および高等教育は「タアリーム(ta‘rīm)」と呼ばれる。事実「イスラーム的タルビヤ」や「イスラーム的タアリーム」などの表現が使用されており、本質的に近代西洋文化の概念を預言者の時代に押し付けている。これは完全な時代錯誤、誤解であり、よく言ってもミスリーディンであるが、その是非を問うても無意味である。なぜなら最初の段階では、それ以外のことはできないからである。

第二段階から解釈学的循環が始まる。ここで「ターゲット文化」は現代アラブ文化であるが、「ソース文化」は西欧列強による文化植民地化以前の前近代・イスラーム世界である。実際、近代以前の西洋とイスラーム世界は、ヘブライ語聖書のヘブライズムとギリシャの学問であるヘレニズムという二つの学問体系を共有する双子文明であり、学校制度などではイスラーム世界の方が進んでいた。アラブ・イスラーム文化は西洋文化に大きな影響を与えてきた。

したがって、ソース文化とターゲット文化の間の距離は近く、はるかに理解し易い。そして現時点では、アラビア語と西洋諸言語の両方で「客観的な」学術研究があり、それも参照することができる。ガザーリーの『要約』が解釈学的アプローチの最も適切な参考文献として使用できるのもこの段階である。

解釈の最初の段階では「ソース文化」の個々の概念を「ターゲット文化」のそれに類似した概念に置き換えるだけで理解できたように感じて、それで十分である。しかし次の段階では、ソース文化とターゲット文化の近似概念の正確な意味を、それぞれの意味ネットワークの文脈に戻した上で、文献学的手続きによって厳密に確定し、その微妙な差異を明らかにした上で、それぞれの分化システムの中における両概念の構造的な位置と機能を探らなければならない。

この段階では、同じ単語、たとえ類似した概念であっても、異なる歴史的文脈ではまったく異なる状況の現象である可能性があることが理解される。この段階で初めて、解釈学的地平融合が起こり、西洋近代文化を古典イスラーム文化との違いを意識して相対化し、逆に古典イスラーム文化をその意識を介して相対化し、その過程において認識主体としての二つの文明の間で「引き裂かれ」た自己の変容が生ずる。 

我々は現在、ナショナリズム、人種差別、ジンゴイズム、排外主義の蔓延から生じる分裂と紛争の増大によって加速される世界のブロック化、グローバリゼーションと様々の非国家主体の増殖による相互確証破壊理論 による拡大核抑止の向こうかによる核戦争のチキンレースによる第三次世界大戦の脅威に直面している。

私見によるとこれらの問題は、世俗主義的な現代西洋文明によって促進された「本来の自己」の存在を前提に自己と他者との差異を強調する行き過ぎたアイデンティティ・ポリティクスによって引き起こされたものである。それゆえ古典的なイスラーム研究と近代西洋に生まれた世俗主義を批判的に比較するための指針として『要約』を利用しすることで、解釈学的なアプローチを通じて、自他の相違を強調する排外主義の蔓延という現代の課題に対するイスラーム文明のあるべき対応とは何かを明晰に分析することができるのである。

実のところ、次のような疑問が生じる。数千年にわたってイスラーム文明が発展させてきた多元主義社会における多言語、多民族、多宗教の共存システムを、近代西洋文明の文化帝国主義的覇権主義に対抗するものとして、今日の国際関係においてどのようにして復活させることができるのだろうか?そしてさらにどうすればそれをムスリムと非ムスリムの双方に効果的に伝えることができるだろうか?

しかし実のところ、ガザーリーの『要約』を参照しての哲学解釈学を通じたイスラーム文明と近代世俗西洋文明の地平融合は、準備段階にすぎない。現代の危機を克服するための真のイスラーム的対応の探求は、哲学的解釈学の範囲をはるかに超えているからである。哲学解釈学は、イスラーム文明と近代西洋文明の間で引き裂かれている現在のムスリムの疎外感を癒す効果をもたらしているに過ぎない。

実際、ガザーリの『要約』の文脈で証明されているように、イスラーム文明と現代の世俗的な西洋文明を融合するために哲学解釈学を採用することは、単なる初期段階を表している。 現代の危機に対処するためのイスラーム的解決策の探求は、哲学解釈学の領域を超えている。 哲学解釈学は、イスラーム文明と西洋文明の間で引き裂かれているムスリムが経験している現在の疎外感を緩和し、トラウマからの回復を促進し、新たなスタートを切るのに役立っていますが、まだ始まりにすぎない。 私たちの前には、挑戦的で未知の道が待っている。


6.ネオ・イジュティハード

一般的なケースに適用できる規定(ḥukm)をシャリーアから演繹するにせよ、特定の実際の問題にいかに対処すべきかを問われて回答(iftā')するにせよ、現実を深く理解しその状況の中で具体的にいかに行動すべきかを考える必要がある。

我々の用語では、「現実の理解」とは、「ターゲット文化」の文脈における状況の理解に相当し、「現実を深く理解しその状況の中で具体的にいかに行動すべきかを考える」とは、すなわちクルアーンとハディースの「ソース文化」の文脈における意味が文献学的に確定できる「明文テキスト(nūṣūṣ)」を通して、「現実を深く理解しその状況の中で具体的にいかに行動すべきかを考える必要がある」とは「解釈学的地平融合」が求められることを意味する。 


既述のようにガザーリーはイスラーム研究を神への奉仕に捧げられた学問として再生させた。当時偽善的な形式主義に堕していた神学と法学にスーフィズムの精神性を吹き込み三つの学問分野を統合することでそれを達成した。そして、シャラフ・ナワウィー(Sharaf al-Dīn al-Nawawī:1277年没) の『諸目標(al-Maqāṣid)』を皮切りに、神学、法律、スーフィズムを一冊の本に纏めた初学者(ṭalabah al-'ilm)向けのイスラームのさまざまな入門書が書かれてきた。

クルアーンは一冊の書物ではあるが、論理的に順序付けられた章に編成されておらず主題毎に整理されてもいない。ましてや数百万冊のハディースは預言者ムハンマドによって書かれた本でさえなく、多くの伝達者によって記憶された預言者の記憶を聞き取り調査をした後世の学者によって収集された記録のコレクションである。そのように乱雑に並べられた膨大なハディースやクルアーンを「一目見て(d'un seul respect)」「瞬時に(tout d'un)」把握できる人間はいない。 

ガザーリーが統合した神学(uṣōl al-dīn)、法学(fiqh)、スーフィズム(taṣawwuf)の三対の教義体系は、初学者(ṭalabah al-'ilm)がシャリーアの総体を学ぶために、ウラマーが8世紀半ばから13世紀半ばまでの約5世紀にわたって切磋琢磨し地平融合を繰り返し解釈学的螺旋を昇りながら作り上げた「解釈体系」である。

しかしアイニーが生きた14-15世紀や、ガザーリーとその師のジュワイニーが生きた11-12世紀だけでなく、預言者の高弟子たちさえも神の啓示を授かった完璧な指導者である預言者ムハンマドの死後、「グルバ」つまりイスラームからの疎外を自覚していた。

ガザーリーでさえハディース学は弱かったと言われており  そして、ハディースに精通した学者ḥāfiẓ、ḥujjah、ḥākim (「ハーフィズ・ハディース」とは10万のハディースについて、その内容や伝承経路の全てについて知識を持つ者、「フッジャ」とは30万のハディースについて、その内容や伝承経路の全て、そしてその語り手の伝記情報について詳しく知る者のことであり、ハーキムとは、語り継がれているすべてのハディースについて知識を持つ者のことである)は偉大なウラマーの中でも稀であった少数だった。「たとえイスラーム学の文献がすべて失われてしまっても『イスラーム学知の革命』だけが残ればそれだけで十分である」とまで称賛された『イスラーム学知の革命』も、実のところ、神の啓示の全体に直接アクセスできずクルアーンとハディースを自分で解釈することのできない学徒のための「間に合わせ」でしかない。

私見によると、初学者がイスラームを理解するための第一歩の教材としての『革命』の重要性はまだ失われていないとしても、ウンマ(ムスリム共同体)の今日の危機に対する処方箋としてはすでに期限切れになっている。それはイスラームに関する情報が不足しているためではなく、今の時代が議論に勝ち富や名声、権力を獲得することを目的とした空虚な美辞麗句や奇を衒った詭弁、フェイクニュースがインターネット上に溢れている時代だからである。今の時代、真実は曖昧になり、何が真実なのかはもはや誰にも分からない。ジュワイニーはこのような状況を既に予見していたが、今日の現実は彼の予測を上回っている。インターネット上で質問をするだけですぐに回答が得られるこの時代に、何十年にもわたる学問の修行に勤しむ動機付けはもはや殆ど失われている。また疑わしい正体不明のWebサイトを閲覧すると、誰もが自分の好みに合った回答を見つかることができる。したがって、『要約』のような短い書物であっても、碩学の指導の下で忍耐強く読み切る学徒は稀である。

したがって、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが「梯子の上に登ったなら、梯子を捨てなければならない」(Tractatus Logico-Philosophicus:6.54) (Tractatus Logico-Philosophicus:6.54)と言ったように、ムスリム知識人、特に若い世代は、ガザーリーの『要約』を読み終えれば、それを捨て去り、未知の新たな段階に足を踏み入れなかればならない。この新しい段階を「ネオ・イジュティハード」と呼ぼう。

スンナ派イスラーム法学の一般的な見解によれば、既成の法学派の方法論に束縛されず、クルアーンとハディースを独自に解釈できる「無条件のムジュタヒド(mujtahid muṭlaq)」はもはや存在しない。しかしイブン・タイミーヤ(1328 年没)が『シャリーアによる政治(al-Siyāsah al-Shar‘īyah)』の結語で述べているように、すべてのムスリムはこの世で啓示の命令を実現するために自分の能力と知識の限りを尽くして努力しなければならないという意味で、イジュティハードを義務付けられている。

法学で概説されているイジュティハードの資格を満たしていないにもかかわらず、私たちは、スンナ派だけでなくシーア派のハディースも含む何百万ものハディースのテキストにインターネット上で容易にアクセスできる時代に生まれ合わせた以上、私たちはイブン・タイミーヤが述べた意味でのイジュティハードを行う使命があるのである。

そしてそれを実践するためには、(1)私たちが実際に住んでいる現代の世俗主義的な西洋文化の「ターゲット文化」を理解し、(2)ソース言語である古典アラビア語でクルアーンとハディースが語っていることが、我々が住んでいるこの世界で何を行うことを求めているのかをターゲット言語の適切な表現に置き換えて理解し、(3)その理解した内容を「ターゲット文化」の若い世代の共感を呼ぶ最も適切な形で伝える表現方法を理解しなければならない。

ネオ・イジュティハードの解釈学的なアプローチでは、イブン・カイイムが述べているように 、「ソース文化」から「ターゲット文化」への翻訳は弁証法的であり、解釈学的螺旋となる。 ここで強調しなければならないのは、たとえこの解釈学的アプローチが弁証法的であっても、最も重要なことは「ターゲット文化」の理解であり、特に現代の危機への対応においては、未来を担う若者の「ターゲット文化」の理解であるということである。彼らの心に響く言葉で語りかけるすことが重要なのである。 なぜなら、クルアーンやハディース、イスラーム学の古典を自由自在に引用しどれほど雄弁に滔々と論じたて、高尚な説教を行おうとも、彼らの心に届かなければ、それは単なる衒学趣味の自己満足に過ぎないからである。


7.結論に代えて

したがって、イスラームの解釈学的理解を達成するには、まず我々が永遠で不変の強固な基盤の上に立っているという幻想を払拭する必要がある。これは、本質主義者がしばしば抱く誤解だ。既に引用した「イスラームは奇妙なものとして始まり、また奇妙なものとして始まった姿に戻るだろう。奇妙な者たちに幸あれ」と「大食漢どもが呼びかけあって大盆に群がってくるように、諸民族があなたたちを貪ろうと呼びかけあうようになる」との二つのハディースがこの自覚への手がかりを提供する。

預言者の地平と我々自身の地平の違いの認識に基づいて求められる地平の融合は、現代の西洋文明をヒステリックに拒絶するものでも、無批判に受け入れるものでもない。それは「叡智は信仰者の迷いラクダである。それゆえそれを見つけた者がそれに最も権利がある」(『ティルミズィーのスンナ集成』)と「ある民族の真似をする者はその者の仲間である」(『アブー・ダーウードのスンナ集成』)の二つのハディースのバランスを考慮して行われなければならないが、イスラーム学の標準的な古典である『要約』は参照するのに最も相応しい参考文献と言えよう。

しかし中庸のバランスは確かに重要だが、近代西洋文明と衰退したイスラーム文明との間の安易な妥協を決して伴うべきではない。地球規模の人類生存の危機に対処し、異なる文明間の公平な共存を促進する新たな多元的国際秩序を生み出すには、人間の理解を超えこれまで何人も思いつかなかった真に独創的なイジュティハード、「目に見えず、耳に聞こえず、人の心に思い浮かぶことがないもの(mā lā ‛ayn ra'at wa-lā udhn sami’at wa-lā khaṭara ‛alā qalb bashar)」(ブハーリー正伝承が収録するハディース)が求められる。我々の若者たちの中に、未だ姿を現していないヒジュラ暦15世紀の「革新者(mujaddid)」(「革新者/ムジャッディド」とは、イスラーム暦の変わり目に現れ、イスラーム共同体を刷新すると言われる改革者を意味する) を見出す洞察を主が我々に授け給いますように。

したがって、この「ネオ・イジュティハード」の段階において最も重要なことは若者の「ターゲット文化」を理解し、彼らの心に響く方法で話しかけることである。筆者がラノベの形でイスラームの入門書『俺の妹がカリフなわけがない!』(晶文社2020年)を書いた理由は、それが今では東アジアの若者だけでなく、西洋、中東、中央アジアのムスリムの若者にとっても「ビルドゥングスロマン(教養小説)」、生きる指針、成熟の為のロールモデルとなっているからである。(「トルコの若者は『心臓を捧げよ』と話しかけてくる…イスラーム圏で日本アニメが愛されている納得の理由」『プレジデントオンライン』(2024年1月16日)参照。https://news.infoseek.co.jp/article/president_77566/)

筆者は現在、その続編でムハンマド・ブン・ハサン・シャイバーニー(ハナフィー派法学者:805年没)の『大スィヤルの書』とフーゴー・グロティウス(オランダの国際法学者1645 年没)の『戦争と平和の法』の比較によって、異なる文明、帝国、国家間の正義に基づく多元国際社会の共存の原理と規則からなる「真の国際法」とは何かを提示する『愛紗と学ぶイスラーム国際法』を執筆中である。同書が若い同胞たちのネオ・イジュティハードの呼び水となりますように神佑を祈り筆を擱く。


2021年11月13日土曜日

アンドリュー・H・ワトキンス著「タリバンの復権から3ヵ月後の評価」 (CTC SENTINEL第14巻第9号) 序文仮訳

タリバン政権の3ヵ月後の評価

(CTC SENTINEL第14巻第9号)

著者

アンドリュー・H・ワトキンス

要旨:過去10年間にタリバンの影の統治が浸透し、軍事的・政治的な勢いが増しているにもかかわらず、復活したイスラーム首長国の最初の3カ月間は、国家の統治の担当に苦労していることが明らかになった。タリバンは、政権掌握に専念し、脅威には迅速かつ厳しく対応してきた。彼らは国家の管轄や構造を明確に定義しておらず、2021年8月15日以前と同じように活動を続けている多くのメンバーたちに長期的な計画を知らせていない。タリバンの指導者たちは、内部の結束を維持することが引き続き重要であると考えている。これはタリバンの昔からの特徴であり、差し迫ったアフガニスタンの経済的・人道的危機への対応の障害となる可能性が高い。

2021年8月15日、春先に開始された激しい軍事作戦でアフガニスタンの大部分を制圧した後、アシュラフ・ガニー政権指導部と実質的にすべての治安部隊が姿を消ししたカブールに、タリバンは進軍しほぼ無血で同日中に入城した 。(注1)

欧米が支援するイスラーム共和国の崩壊は迅速かつ広範囲に及び、米国やその他の同盟国が混乱した避難を完了するために奔走している間にも、タリバンは直ちにその空白に踏み込んだ。

ある意味では、タリバンは自分たちの幹部たちや戦闘員を、手早く新設の政府に押し込んだ。タリバンは2カ月足らずの間に、国内に残っているほとんどの政治指導者から忠誠を誓うか、少なくとも黙認のジェスチャーを引き出し、暫定政府(あるいはそのように見せかけた政府)の閣僚を任命し、都市部では厳しいく強圧的だが概ね秩序ある新しい治安体制を確立し、国境をしっかりと管理し、経済的苦難を考慮して税関を設定した。周辺国との地域内域外交を行い、山岳地帯の州で起きた抵抗運動を迅速かつ冷徹に鎮圧し、イスラーム国ホラーサン(ISK)支部に対する戦闘や、多くの元治安当局者への報復など、治安上の課題を根絶するために多くの資源を投入した。  (注2)

しかし多くの点で、タリバンの意思決定は、指導者たちの協議と合意形成による時間のかかる保守的なものであることが明らかになった。それは彼らの武装闘争が長続きした原動力であったが、全国規模での責任ある迅速で効率的な統治には妨げにもなる(注3)。 

政権復帰後もタリバンの行動の多くは、彼らがそうではないと主張したり、観察者が不和の証拠だと指摘したりする行為であっても、タリバンを特徴づける目標や原則に基づいている。

1)タリバンは、組織レベルでも個人レベルでも、脅威の認識に基づいて行動している。20年以上にわたって抵抗運動を存続発展させるためには、潜在的な脅威を常に認識し、解決する必要があった。脅威を特定し、狙いを定め、排除するか、懐柔することは、昔も今もほとんどのタリバンのメンバーたちの中心的な仕事である。

2) タリバンの指導者たちが政策を議論したり、戦略的な行動を決定したりするときには、内部の結束力を維持することを優先し、それを確実にするような選択をしてきたという一貫した実績がある 。(注4) 派閥による権力争い、若い戦闘員の間での過激化した意見、ISKによるイデオロギー的な挑戦、技術者の能力不足にもかかわらず、政権を取ってからのタリバンは、抵抗運動であった時期に育んできた結束力を今のところ維持することができている。しかし、アフガニスタンの民衆に大きな犠牲を強い、飢えた民衆を遠ざけたり、近代国家を維持するのに十分な資金を確保できなかったりするリスクを冒してでも、内部分裂を防ぐことを最優先しようとの決意によって、あらゆる場面で意思決定がなされてきた。

3)最後に、イスラーム共和国の崩壊とタリバンの全国制覇があまりに早かったため、8月15日の時点ではタリバンはまだ不安定で、国内の掌握には更に努力を要すると考えられていたことが忘れられがちである。

政権を握ってからの3ヶ月間、この反体制組織は、自分たちが倒した国家とあまり変わらない近代国家の輪郭に沿って機能し始めようと、あるいはそうする気がない/できない場合には、少なくとも機能しているように見せようと奔走している。(注5) タリバンの各層のメンバーや戦闘員たちは、ジャーナリストやアフガニスタンの人々に、この国の問題を解決するには時間がかかると繰り返し語ってきた 。(注6)このような能力不足のために、タリバンは多くの点で戦時中のデフォルトのスタイルや作戦モードに戻り、民間人に厳しい制限を加え、場合によっては人権侵害、誘拐、殺害を行っている 。(注7)

本稿では、この最初の3カ月間の出来事を、ガバナンスと安全保障に焦点を当てて検証する。第1章では、タリバンがカブールに侵入した後の政権交代を検証する。第2章では、タリバンが権力を固めていく過程での、タリバンの統治の主要な目標と原則を明らかにする。第3章では、タリバンの政府形成と統治スタイルを詳細に検討する。第4章では、「イスラーム国」の挑戦にどう対応したかなど、安全保障に対するタリバンのこれまでの取り組みを評価する。第5章では、過去3カ月間に同グループが課した社会的制約、「イスラーム国」との関係にどう対応したか、女性の教育問題への取り組み方など、タリバンによる社会サービスの提供について検討し、最後に、結論を述べる。

筆者は、8月15日以降、アフガニスタンの複数の地域に残っていた数十人のアフガニスタン人や外国人に遠隔地でインタビューを行った(安全上の理由で正式なインタビューができなかった場合は、証言を得た)。本稿では、国際的なメディアやアフガニスタンのメディアの報道を引用しながら、和平交渉や政治的イデオロギーに対するタリバンの考え方や、結束力を重視してきたタリバンの長い歴史について、筆者のこれまでの研究成果を紹介する。

注:本稿では主にタリバンを単一のアクターとして捉え、そのように分析している(ただし、全体を通して派閥や個人の行動には注意を払っている)。しかしそれは、タリバンの錯綜した利害関係者、派閥、部族連合、思想潮流、家族の徒党、個人(時には国境を越えた)のネットワークの複雑さや多様性を無視したり、最小化したりすることを意図したものではない。そうではなく、この分析手法は選択は認識論的、文体的なものである。米軍や外国軍がアフガニスタンに駐留していた時期でさえ、タリバンは指導者の死を2年近くも極秘にしていた。この3ヵ月間、アフガニスタンでは多くのことが変化してきた。タリバンの様々な構成要素とそれらの間の力学に関する外部の人間の認識はしょせんは不完全で、すぐに時代遅れになる可能性が高いことは確かなのである。


(注1)反乱軍の2021年キャンペーンについては、Jonathan Schroden, “Lessons from the Collapse of Afghanistan’s Security Forces”, CTC Sentinel 14:8 (2021)参照。
(注2)  元治安当局者の標的については、Yogita Limaye, "Amid violent reprisals, Afghans fear the Taliban's 'amnesty' was empty," BBC, August 31, 2021.
(注3) このグループの意思決定の遅さは、武装抵抗勢力としてのタリバンが戦争の政治的解決を目指して米国との交渉を開始した過去2年間のほとんどの期間で目立っていた。米国およびイスラム共和国の代表者との交渉の中で、タリバンは何度も重要な場面で、指導部に持ち帰って厳しい協議をするために一時中断を要求した(そのために何度もパキスタンに戻っている)。Kathy Gannon, "Taliban leaders visit Pakistan to talk Afghan peace push," Associated Press, August 24, 2020.
(注4)Andrew Watkins, "Taliban Fragmentation: Fact, Fiction and Future," U.S. Institute of Peace, March 2020.
(注5)タリバンは、COVID-19の対応が実際には貧弱なものであったことを増幅させようとした広報キャンペーンと同様に、各州での閣僚会議や法令、活動を広報しているが、その中には包括的で持続可能なサービス提供を開始したと思われるものはほとんどない。パンデミックへの対応については、Ashley Jackson, "For the Taliban, the pandemic is a ladder," Foreign Policy, May 6, 2020.
(注6)一例として、Ayesha Tanzeem, "What's next in Afghanistan. "を参照。VOA speaks with a Taliban footsoldier," Voice of America, October 21, 2021.

2021年10月14日木曜日

試訳(Tentative translation of Speech by Minister of Foreign Affaris of Afghanistan):「アフガニスタン暫定外務大臣アミール・ハーン・ムッタキー演説 」

アフガニスタン暫定外務大臣アミール・ハーン・ムッタキー演説

   於:ドーハ・インスティテュート紛争人道研究センター 2021年10月11日

       Center for Conflict and Humanitarian Studies at Doha Institute 2021/10/11

あなた方に平安と神の慈悲と祝福がありますように

こんばんは、何よりもまず、皆さまを歓迎します

アフガニスタンに平和と安定が戻り、40年に及ぶ戦争の後、初めてアフガニスタンが単一の政治的権威の下に置かれた時に、ドーハで友人たちに会えることを、私は心から喜んでいます。

ドーハという名前は、アフガニスタンの独立と平和というテーマと結びついています。2020年2月、ここでアメリカと歴史的な協定を結んだことで、外国軍がアフガニスタンから撤退し、主権が回復し、大きな前向きの変化が生じました。

良き友スルタン・バラカト教授とその同僚の方々が、これまでもアフガニスタン問題の専門家と関係者を集めて学術会議をアレンジしてくださっているスルタン・バラカ先生と同僚の皆さまに大変感謝しています。

ご列席の皆さま。

昨年8月、アフガニスタンは重大かつ歴史的な変化を遂げました。この変化は、多くの分析や予測に反して、非常に平和的な形で展開されました。20年間にわたる正当な抵抗の後、私たちはついに、外国の干渉を受けずに独立したイスラーム政府の基礎を築くことができました。

レジスタンス運動が勝利した時には、流血と大規模な破壊が起こるのが常です。それゆえこの(平和的)展開は多くの人にとって驚きでした。しかし私たちの軍は復讐心を持たず、平和、兄弟愛、相互承認、国民の団結というメッセージを掲げてカブールに入り、長年の政治的・軍事的ライバルをも受け入れました。

当初、我々は話し合いによって納得の上でカブールに入ることを目指していましたが、旧政権のトップとその治安担当者の逃亡に伴う権力の空白が生じたため、地域のリーダーやカブールの住民から我々の軍がカブールに入り、安全を提供することを求められました。

参加者の皆さま

アフガニスタンは全世界に前向きな関係のメッセージを伝えています。我々はどの国の内政にも干渉せず、また他の国も我々の内政に干渉しないことを期待しています。アフガニスタンは、1978年以来、外国からの干渉、侵略、内戦、その他さまざまな不幸の犠牲となってきました。

私たちは、地域や世界との外交関係、そして国内での良き統治の新たな頁を開きたいと考えています。私たちは、他の国々の正当な利益と要求を十分に尊重し、その代わりに他国からの互恵的な扱いを期待しています。私たちは、アフガニスタンの不安定さと紛争が長期化した主な理由のひとつは、外国人による占領と政治体制への干渉であると考えています。もし外国人による干渉や押し付けられたモデルがなければ、平和を愛する国家としての我々アフガニスタン人は、すでにずっと前に和解し、平和と安定を手に入れていたでしょう。アフガニスタンの状況が改善された主要な原因の一つは、我々の国が政治的独立と自決権を回復したことです。

外国軍の全面撤退に先立って私もメンバーとして参加させていただいた交渉チームは、アフガニスタンの人々を代表して米国と約2年間にわたる真剣な交渉を行い、2020年2月に合意書に署名しました。ドーハ合意は、アフガニスタンからの外国軍の安全な撤退への道を開いただけでなく、アフガニスタン・イスラーム首長国と国際社会との間の前向きな関係の新たな段階を迎えたのです。

ドーハ合意は、アフガニスタンと世界、特に米国との関係を定めるための枠組みを提供しています。ドーハ合意が完全に実施されれば、アフガニスタン・イスラーム首長国と米国およびその同盟国との関係における既存のすべての障壁を取り除くことができると、私たちは信じています。そのためにも、当事者はドーハ合意の内容にコミットし続けなければなりません。

親愛なる皆さま。

先ほど申し上げたように、私たちは全世界との前向きな関係を望んでいます。私たちはバランスのとれた外交政策を信じており、バランスのとれた政治的アプローチのみがアフガニスタンを不安定な状態から救い出し、私たちの利益と世界の利益を守ることができると信じています。

また、私たちは協力と相互理解に基づく隣国、地域との前向きな関係を望んでいます。地理的な観点から言えば、アフガニスタンは地域の十字路の役割を果たしています。新政府は、アフガニスタンのこの能力を十分に活用し、地域の大きな経済変革への道を切り開く決意をしています。

アフガニスタンはイスラーム教国として、イスラーム世界の政府や国家と緊密で前向きな関係を望んでいる。アフガニスタンは、イスラーム世界の重要な一部です。また、アラブ諸国や湾岸諸国との特別な関係を望んでいます。アフガニスタンは外国の紛争に巻き込まれることを望んでおらず、すべての側との前向きな関係を望んでいます。

さらに、欧州連合(EU)の理解と積極的な関与も求めています。アフガニスタンは、戦争を終えた以上、積極的な関わりを持ちたいと考えています。新政府は、自国民が欧州に避難することを奨励したり、強制したりすることを望んでいません。そのような状況は誰の利益にもなりませんし、アフガニスタン難民がヨーロッパの負担になることも望んでいません。アフガニスタン人は、故郷であるアフガニスタンで豊かな生活を送らなければならないのです。

錚々たる参加者の皆さま。

私たちは、グローバルなレベルでの政治的多様性を信じています。思想、イデオロギー、民族、言語の違いは現存しており、この現実は認められなければなりません。

アフガニスタンという国、そしてアフガニスタン人という国民は、他の世界の国々との類似点と相違点を持っています。私たちが他者との違いを理解しているように、他者もまた私たちとの違いを理解してくれることを期待しています。アフガニスタンでは、外国からイデオロギーや政治モデルを押し付けても、成功しません。今、アフガニスタン人は、自分たちの社会的、国家的、宗教的な価値観に沿った政治体制を樹立する機会を得ており、国内での説明責任を果たすとともに、国際的な義務を果たすことができるようになっている。

アフガニスタン新政府の内閣は、国内のあらゆる地域から能力ある者が参加する管理内閣です。行政サービスの遅れを防ぐために、我々の指導者(信者たちの長:ハイバトゥッラー・アフンザダ)は暫定内閣を発表することを決めました。改革は内閣と省庁のレベルの両方で行われています。

私たち(タリバン暫定政府)の下で、前政権(アシュラフ・ガニー政権)で働いていた50万人の公務員が働いており、給料をもらっています。私たちは、前政権で働いていた公務員を一人も解雇しておらず、その能力を新イスラーム政府のために活用したいと考えています。新政府は、既存の能力を差別なく活用し、すべてのアフガニスタン人、特に若い世代が政府に参加できるようにすることを目指しています。

親愛なる同僚の皆さん。

私たちはここ数日、上級代表団の一員としてドーハに滞在し、米国をはじめとする各国の代表者と生産的な会議を行いました。これらの会合は、双方の関係にポジティブな影響を与えると信じています。

ここに改めて、戦争と抑圧の段階が終わったことをお伝えしたいと思います。アフガニスタンは国際関係の新しい段階に入っており、この新しい段階に応じて新たに必要とするものが生じます。それゆえすべての当事者は共通の利益に向けて努力すべきなのです。

最後になりましたが、長年にわたって私たちに交渉の場を与えてくださったカタール国に、改めて感謝の意を表します。また、本日、皆様の前でお話をさせていただく機会を与えてくださった私の良き友人である「紛争・人道問題研究センター所長」のバラカット教授にも感謝いたします。そして今回の会議に共に参加してくださったゲストの皆様にも感謝しています。

どうもありがとうございました。

みなさまの未来が祝福されますように。


Speech by Minister of Foreign Affaris

Director of the Center for Conflict and Humanitarian Studies at Doha Institute Prof. Sultan Barakat, Doha-based ambassadors, representatives of International Organizations and respected academics, 


Assalam o Alaikum Wa Rahmatullah wa Barakathu, 


First and foremost, I welcome you all and good evening, 


I am overjoyed that I see friends in Doha at a time when peace and stability has returned to Afghanistan and for the first time after four decades of war, Afghanistan is under the shade of a single political authority. 

The name Doha is linked with the topic of independence and peace in Afghanistan. In February 2020 when we signed a historic agreement with the United States of America right here, it resulted in foreign troops withdrawing from Afghanistan, our sovereignty being restored and a great positive change taking place. I am very thankful to Prof. Sultan Barkat and his colleagues who, from time to time, have arranged academic discussions between experts and professionals regarding issues affecting Afghanistan.

Distinguished participants, 

Afghanistan passed through a crucial and historic change last August. This change, contrary to many analyses and calculations, unfolded in a very peaceful manner. Following two decades of legitimate resistance, we were finally able to lay down the foundation of an independent Islamic government without any foreign interference. 

The development was a surprise for many because when a resistance group succeeds, bloodshed and widespread destruction naturally occur, but our forces entered Kabul sans spirit of revenge and with a message of peace, brotherhood, acceptance of one another and national unity, and we even embraced our longtime political and military rivals. 

At the beginning we sought to enter Kabul through talks and understanding, however, following a power vacuum left in the wake of the escape of the head of the former regime and his security officials, community leaders and Kabul residents solicited our forces to enter the city and provide security. 

Honorable participants, 

Afghanistan conveys a message of positive relations to the whole world. We do not want to interfere in the internal affairs of any country, and our expectation from others is also that they not interfere in our domestic affairs. Afghanistan – since the year 1978 – has been a victim of foreign interferences, invasions, civil wars and a range of other miseries. 

We want to open a new chapter of diplomatic relations with the region and the world, and good governance at home. We fully respect the legitimate interests and demands of other countries, and in return we expect reciprocal treatment from others. We believe one of the major reasons for prolonged instability and conflict in Afghanistan has been occupation and interferences in our political structure by foreigners. Had it not been for foreign interferences and imposed models, we the Afghans, as a peace-loving nation, would already have reconciled and attained peace and stability a long time ago. One of the major reasons for the current positive situation in Afghanistan is the political independence and the right of self-determination of our entire nation. 

Prior to the full withdrawal of foreign troops, our negotiating team in which I also had the honor of being a member, held almost two years of serious negotiations with the United States of America on behalf of Afghan people, culminating in signing of an agreement in February 2020. The Doha agreement not only paved the way for the safe withdrawal of foreign forces from Afghanistan, but it also opened a new chapter of positive relations between the Islamic Emirate of Afghanistan and the international community. 

The Doha agreement provides a framework in defining relations between Afghanistan with the world, and particularly with the United States of America. We believe that the complete implementation of the Doha agreement can iron out all existing barriers for relations between the Islamic Emirate of Afghanistan and the United States of America along with its allies. On this basis, parties must remain committed to the contents of the Doha agreement. 

Dear colleagues, 

As I alluded to earlier, we want positive relations with the entire world. We believe in a balanced foreign policy and we believe only balanced political approach can rescue Afghanistan from instability and also protect our interests and interests of the world. 

We also want positive relations with our neighbors and the region based on cooperation and understanding. From a geographical perspective, Afghanistan serves as a regional crossroads. The new government is determined to fully utilize this capacity of Afghanistan and to pave the way for a great regional economic transformation. 

Afghanistan, as a Muslim country, wants close and positive relations with the governments and nations of the Islamic world. Afghanistan is an important part of the Islamic world. We also want special relations with the Arab and Gulf states. Afghanistan does not want to partake in foreign conflicts, rather we want positive relations with all sides. 

Moreover, we also seek to have understanding and positive engagement with the European Union. Afghanistan wants to have positive engagement after closing the chapter of war. The new government does not want its people to be encouraged or be forced to take refuge in the Europe. Such a situation is not in the interest of anyone, nor do we want Europe to be burdened with our refugees. Afghans must have a prosperous life in their home, Afghanistan. 

Distinguished participants, 

We believe in political diversity on a global level. The differences of ideas, ideologies, ethnicities, languages is a reality, and this reality must be acknowledged. 

Afghanistan as a country, and Afghans as a nation have similarities and differences with other world nations. Just as we are able to grasp differences of others with us, our expectation is that others also grasp our differences with them. The imposition of ideologies and political models on Afghanistan from outside has not yielded results. The Afghans now have an opportunity to form a political system in line with its societal, national and religious values such that it will be accountable at home and also be able to fulfill its international obligations.

Cabinet of the new Afghan government is caretaker and qualified individuals from all parts of the country are represented. In order to prevent delay in government services, our leadership decided to declare a caretaker cabinet. Reforms are being undertaken both in the cabinet and ministerial level. 

We have five hundred thousand civil servants working and being paid by us that also used to work in the previous administration. We have not discharged any former government workers, and we want to use their capabilities for the new Islamic government. The new government seeks to utilize the existing capabilities without any discrimination and allow all Afghans specifically the young generation to partake in the political structure. 

Dear colleagues, 

We have been in Doha for the last few days as part of a high level delegation. We had productive meetings with representatives of the United States and other sides. We believe these meetings will have positive impact on the relations of both sides. 

I once again want to remind you that the phase of war and pressure has ended. Afghanistan is entering a new chapter in its relations and this new chapter has new requirements. Therefore, all parties should work towards our common interests.

To end, I again express my gratitude to the State of Qatar that has hosted our negations for many years. I would also like to thank my good friend Prof. Barakat, the Director of the Center for Conflict and Humanitarian Studies, who has provided me with the opportunity to be in your presence for a few moments today. And I am also thankful to all the guests who have participated with us in this meeting

Thank you very much, 

May you remaining time be blessed



2021年10月7日木曜日

「戦争犯罪で告発された CIAのアフガン人の代理人たちは アメリカで再出発することになった」(2021年10月6日)

 「戦争犯罪で告発された CIAのアフガン人の代理人たちは アメリカで再出発することになった」(2021年10月6日)

アンドリュー・キルティ、マシュー・コール

『インターセプト』

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%97%E3%83%88)


https://theintercept.com/2021/10/05/zero-units-cia-afghanistan-taliban/?utm_campaign=theintercept&utm_source=twitter&utm_medium=social


― CIAはゼロ部隊とその家族を優先的に避難させ、多くの弱者である米国の従業員や人権活動家を取り残した ―


2021年8月24日、アフガニスタンのカブールで、ハミド・カルザイ国際空港への入国を希望するアフガニスタン人たちは、悪名高いCIAが支援する準軍事組織「01」の戦闘員によって締め出されていた。

タリバンが8月にカブールを制圧する前、アメリカの支援を受けたアフガニスタンのコマンド部隊「ゼロユニット」は、アフガンの戦場の亡霊のような存在だった。CIAのアドバイザーとともに、彼らは恐れられ、近年ではほとんど目立たなくなっていた。

しかし、タリバンが勝利してから米軍が撤退するまでの慌ただしく激しい数週間、「01」と呼ばれるゼロ部隊に所属する戦闘員たちは、他の連携した民兵たちと合わせてNSU(National Strike Unit)と呼ばれ、アメリカ軍がハミド・カルザイ国際空港を確保するのを助けた。昼夜を問わず威嚇射撃を行い、「01」の戦闘員は、避難便に乗るために空港に入ろうとするアフガニスタン人や外国人の群衆を拘束し、捜索しようとした。同時期にタリバンの戦闘員が他の空港入口で支配権を維持しようと奮闘していたのと同じである。

8月下旬のある晩、空港の北西ゲートを警備していたアフガン「01」の司令官が、写真を撮っていたインターセプトのジャーナリストに、その戦闘機のアメリカ人ハンドラーに自分の名前を教えてほしいと頼んだ。野球帽をかぶり、腰に拳銃を下げていたそのハンドラーは、ジャーナリストが避難便で出発したいなら、すぐにそうしてくれと言った。その男は、すぐに「私の仲間」(01戦闘員のこと)を避難させると言った。そうすれば、ゲートは完全に閉じられる。アメリカ人は、01戦闘機の司令官に向かって、自分たちがこれから向かう国の国民が報道の自由を重視していることを説明した。

CIAはゼロ部隊のメンバーのアフガニスタンからの退去を優先させ、7,000人もの元隊員とその親族を飛行機で送り出したが、その一方で、弱者である数千人の元米政府・軍人、人権活動家、援助者が取り残されていた。『アルジャジーラ』が報じたところによると、NSUコマンドーは、元米政府通訳の女性が、自分と夫と3人の子供のためにそれぞれ5,000ドルを渡さない限り、空港のゲートを通過させることを拒否したという。この女性は、自分と親戚が空港でNSUのメンバーに殴られたと言っていたが、賄賂を払う余裕はなかった。米国で訓練された別の軍隊、アフガン国軍のKKA(アフガン・スペシャル・ユニット)の元隊員2人が、カブールの隠れ家で『インターセプト』に語ったところによると、彼らを避難させるための正式な努力は行われず、飛行機に乗ることができた隊員は個人的なコネでそうなったという。2人の元隊員は、空港の北西ゲートに近づいた後、01人の民兵に追い返されたという。それ以来、少なくとも4人のKKA隊員がタリバンに追われて死亡したという。

同盟国民を避難させるCIAの能力は、他の米国政府機関をはるかにしのぐものであり、この戦争におけるCIAの重要な役割を示している。ワシントン・ポスト紙によると、CIAは2万人ものアフガン人の「パートナー」とその親族を避難させており、これは米国が受け入れた6万人のアフガン人全体のほぼ3分の1にあたる。なお、CIAはコメントを求められても答えなかった。

CIAの取り組みについての報道は、ほとんどが賞賛されている。しかし、ゼロ部隊は、アフガニスタン全土で数え切れないほどの民間人を殺害した致命的な夜間襲撃で知られていた。『インターセプト』は、「01」部隊がカブール南西部のワーダック州で行った10回の襲撃を記録しており、その中で子供を含む少なくとも51人の民間人が殺害されている。「01」の任務のほとんどは、アフガニスタンの戦闘員が知っているように、少数のCIA「アドバイザー」や、米国防総省の統合特殊作戦司令部から借り受けた米国の特殊部隊が率いていた。

「米国は、戦争犯罪や深刻な人権侵害を犯した者に安全な避難場所を提供するべきではない」と、この部隊の虐待に関する報告書を執筆した『ヒューマン・ライツ・ウォッチ』のアジア部門アソシエイト・ディレクター、パトリシア・ゴスマン氏は言う。「アフガニスタンでは、これらの部隊は、略式処刑やその他の虐待を含む自分たちの行動に対して責任を負うことはなかった。米国およびこれらの部隊のメンバーを再配置する国は、到着した部隊を選別し、人権侵害に関与した可能性のある者を調査すべきである」と述べている。

この作戦を直接知る元米情報機関高官によると、このゼロ部隊のメンバーのほとんどはカタールに空輸され、そこでCIA準軍事将校がアフガニスタンの元同僚を米国に送るよう働きかけたという。

この元米高官、2人の元アフガン情報機関高官、そしてゼロ部隊の一部のメンバーと同じ米軍基地に避難してきた別のアフガン部隊の元コマンドーによると、元アフガン・コマンドーは再定住を待つ間、バージニア州とニュージャージー州の2つの基地を含む米軍基地とドイツのラムシュタイン空軍基地に収容されている。ゼロ部隊の別の少人数グループはアラブ首長国連邦にいるが、数週間以内に渡米する予定だと、元アフガン関係者の1人が「インターセプト」に語った。両元アフガン関係者は、以前ゼロ部隊に所属していて、現在は米国にいる親族と話をしたことがあるという。

ゼロ部隊は、米国政府内では「モホーク」と呼ばれていたが、CIAが管理する非正規のコマンド部隊としてスタートした。情報機関は、主にパキスタン国境近くの北部と東部にある米国の小さな前哨基地からゲリラ戦闘員として活動するチームを訓練した。このプログラムの当初の目的の多くは、CIAがパキスタンへの国境を越えた襲撃を行うことであった。

ゼロ部隊は、米国が説明責任を回避するための偽装工作を可能にするもので、ベトナム戦争時のCIAのフェニックス計画に似たところがあった。フェニックス計画では、CIAはアメリカ人指揮官が率いる南ベトナムのゲリラを中心とした地方偵察隊を作った。アフガンのゼロ部隊と同様に、PRUは情報収集とベトコン容疑者の暗殺を行った。

2010年、アフガニスタン政府はCIAと協定を結び、NSUをアフガニスタンの旧諜報機関である国家安全保障局(NDS)との共同プログラムにすることを決めた。この2人の元アフガン政府高官は『インターセプト』に、このミッションは共同で運営されたが、部隊の資金は引き続き米国政府が独占的に提供していたと語っている。この変更により、CIAは人権侵害や戦争犯罪の告発に対して、もっともらしい反証を主張することができるようになった。

しかし2019年、アフガニスタンの最上級防衛官僚であるハムドゥラ・モヒブ(当時のアフガン国家安全保障顧問)は、「01」はCIAにコントロールされていると『インターセプト』に語った。「率直に言って、彼らがどのように機能しているのか...完全には把握していません」と彼は当時語っている。「私たちは、これらの活動がどのように行われているのか、誰が関与しているのか、どのような構造になっているのかを明らかにするよう求めてきた。これらの作戦がどのように行われているのか、誰が関与しているのか、どのような構造になっているのかを明らかにするよう求めてきた。」

ジョー・バイデン大統領が1月に就任した直後、CIAはNDSに1年分の予算を与え、もうゼロ部隊を支援しないし、資金提供も継続しないと言ったと、元アフガン情報機関関係者の1人が『インターセプト』に語っている。

2021年9月6日、カブールのダウンタウンから数マイル北東に位置し、アメリカがアフガニスタンから撤退する前に中央情報局と「01」が拠点としていたイーグル・ベース内で、アメリカが支援する「01」部隊を示すスプレー・ペイントが見られる。

カブールの北東の丘の中腹にある広大なCIAと01の施設「イーグルベース」は、かつてはアメリカの最も近い同盟国以外は立ち入ることができなかった。

高速道路からは、丘の中腹に作られた射撃場と、ベージュ色の建物群に向かって蛇行する細い道路が見える。ヘリコプターの格納庫、弾薬庫、兵舎、そして戦争初期に尋問や拷問が行われていた「ソルトピット」と呼ばれるCIAのブラックサイトなどが見えた。

右派医療機関のネットワークがヒドロキシクロロキンとイベルメクチンで数百万円を稼いでいることがハッキングされたデータで明らかになった。

周囲の警備は、アフガニスタンの基準から見ても非常に厳しいものだった。高さ6フィートの土の壁の周りには溝がある。次に、コンセルティーナワイヤー、スチールケーブルでつながれた色あせた赤いボラード、さらにコンセルティーナワイヤーで覆われた高さ10フィートの泥とコンクリートの壁が続き、300フィートごとに高台の見張り台が設置されている。夜間は投光器が全周を照らしている。

2019年以前、「01」戦闘機は夜間の任務のために車両の護衛隊でイーグル基地を出発していた。ワルダック州での襲撃に「01」を同行させていたNDSの元テロ対策担当者によると、2回のワルダック州でのミッションで護送車が待ち伏せされたことで変化があったという。その後、「01」のミッションのほとんどは、アメリカのチヌーク・ヘリでワルダックに飛来するようになった。イーグル基地周辺の住民が2019年に『インターセプト』に語ったところによると、週に数回、夕刻に出発して夜明け前に戻ってくるデュアルローターのヘリコプターの独特な音を聞いたという。それ以外では、「01」の戦闘機はほとんど見られなかった。

しかし、タリバンは誰がイーグル基地を占拠しているかを知っていた。2019年7月25日、ゲートに到着した無印のトヨタ・ランドクルーザーで移動するCIA職員を狙った自爆テロが発生したと、タリバンのスポークスマン、ザビフラ・ムジャヒドが同年のインタビューで語っている。地元住民は、その日、屋敷の門で白いランドクルーザーに対して爆弾テロが行われたことを確認した。この事件はメディアの注目をほとんど集めなかった。米軍のアフガニスタン派遣部隊である「確固たる支援任務(Resolute Support Mission=RSM)」(とアフガニスタン・イスラム共和国の治安部隊(ANDSF)に対して北大西洋条約機構(NATO)が訓練・助言・支援を行う任務。これは13年間に渡って14万人が参加し2014年12月28日に完了した国際治安支援部隊(ISAF)に続く任務であり指揮官は元デルタフォース指揮官のオースティン・S・ミラー大将。なおアメリカ軍は訓練だけでなく対テロ作戦の「自由の番人作戦」を行った)。「確固たる支援任務」のスポークスマンは、『インターセプト』に対し、その日にカブールで外国軍の犠牲者が出たことは知らないと述べた。また、CIAもコメントを控えた。

この広大な施設は、8月末の米軍のアフガニスタン撤退の最終日に火災や爆発物で施設の一部が破壊されて以来、タリバンの戦闘員が占拠している。最後の米軍機がカブールを出発してから1週間後の9月初旬、「01」部隊が着用していたのと同じ虎縞模様のファティーグを黒っぽく着たタリバンの戦闘員たちが、ジャーナリストたちをイーグルベースの廃墟に案内していた。

タリバンの「バドル」313旅団は、1400年前に預言者ムハンマドがわずか313人で敵軍を制圧したとされる「バドルの戦い」にちなんで名づけられた精鋭コマンド部隊である。彼らを率いるのは、民族衣装にサングラス、手術用マスクをつけた40代の英語を話すタリバン隊員だった。

その約2週間前の8月26日の夕暮れ時、空港での自爆攻撃とその後の銃撃戦で、米軍兵士13名を含む約170名が死亡した。カブールの住民は緊張していた。夜半前に市内で大きな爆発音がした時、多くの人は2度目の攻撃があったのではないかと心配した。しかし、この爆発は制御された爆発で、弾薬庫、武器庫、車両、イーグル基地内のさまざまな施設が破壊された。CIAが放棄した後、タリバンに残したくなかった施設である。アムネスティ・インターナショナルの武器・軍事作戦担当シニア・クライシス・アドバイザーで、元米空軍爆発物処理官のブライアン・カスナーは、「インターセプト」が撮影した現場の写真を見て、「非常に性急で混乱した撤退だった」と語った。

銃弾、迫撃砲、手榴弾が、火事で破壊された弾薬庫の炭化した土台の上に散らばっていた。武器庫と思われる焼け跡には、カラシニコフ、ベルト給弾式のPKMやDShK機関銃、ロケット弾発射機、迫撃砲の筒などの銃身が拾い棒のように積み上げられていた。

寮の建物の中には、ゼロ部隊のトレードマークであるトラ柄のユニフォームがフックに掛けられ、床に散らばっていた。鉄製のロッカーには、戦術兵器のパッケージや若い家族のパスポート写真が捨てられていたが、五角形の軍章には「The Shield & Swords of Afg, NSU (01)」と書かれていた。


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2020年9月29日火曜日

第28「名声と偽善」章:『宗教諸学の再生・要約』

 



第28章「名声と偽善」

 知りなさい。名声は心(カルブ)が好むものであり、篤信者(スィッディーク)以外はそれを退けることはできない。それゆえ篤信者の頭から最後まで離れないものが支配権(リヤーサ)の愛だと言われる。それでその意味を節に分けて説明する。

 知りなさい。名声の本質は評判が広がることで、それは非難されるべきものである。例外はアッラーがその宗教(イスラーム)を広めるために有名にされた者である。アナスはアッラーの使徒が以下のように言われたと述べている。「アッラーが護り給う者を除いてその宗教と現世(の生活)について人々から後ろ指を指されるより悪いことはない」。

 アリーは言った。「散財しても有名になるな。噂され知られるために自分を目立たせるな。隠し沈黙せよ。そうすれば平安である。敬虔な者は上機嫌だが、悪人は不機嫌である」。

 イブラーヒーム・ブン・アドハムは言った。「欲望(対象)を好む者はアッラーを認めない」。タルハは一緒に歩いている者たちの方を見て言った。「まとわりつく蠅、灯火に群がる蛾」と言った。スライマン・ブン・ハンザラは言った。「私たちがウバイイ・ブン・カアブと一緒にいて、私たちが彼の後を歩いていると、ウマルが彼をみつけ、鞭で打って言った。『見なさい、信徒たちの長よ、何をするか』すると(ウマルは)言った。「それは付いていく者たちにとっては恥辱、前を歩く者には(思いあがりの)誘惑だからだ」。

 ハサンが伝えて言うところ。ある日、イブン・マスウードが家を出ると、人々が彼の後をついて歩いた。そこで(イブン・マスウードは)彼らに目を向けて言った。「なぜ私についてくるのか?アッラーにかけて、もしあなたがたが私の(家の)扉が閉められた時(の私の姿)を知っていれば、誰も私について来ないだろう」。ハサンは言った。「人々の背後で靴音が響くと愚か者どもは気もそぞろになる」。

 匿名の徳:

 アッラーの使徒は言われた。「誰も気にもかけず、乱れ髪、誇りまみれで粗末な服を着ていても、アッラーに誓えば、必ず果たす者がいる。バラーゥ・ブン・マーリクはそのような者の一人である」。イブン・マスウードもアッラーの使徒が以下のように言われたと述べている。「誰も気に留めない粗末な衣服を着た者であってもアッラーに請願すれば適い、『アッラーよ、あなたに楽園を祈願します』と言えば、アッラーが現世では何も授けなくとも楽園を授け給うような者がいかにたくさんいることか」。

 アブー・フライラは預言者が以下のように言われたと述べた。「楽園の民とは、王侯に面会の許可を申し込んでも許されず、女性に結婚を申し込んでも結婚してもらえず、発言しても静聴してもらえないような誰も気にかけない粗末な服を着て埃にまみれ髪も乱れた者ばかりである。彼らは困っていることがあっても心の中で繰り返し呟くばかりである。しかし最後の審判の日にその(一人の)光が人々に分配されれば彼らに十分に行き渡る」。

 以下のように伝えられている。ウマルが(マディーナの預言者)モスクに入ると、ムアーズ・ブン・ジャバルがアッラーの使徒の墓のところで泣いていた。そこで(ウマルが)「なぜ泣いているのか」と尋ねると、(ムアーズは)言った。「私はアッラーの使徒が以下のように言われるのを聞いた。『些細な偽善も多神崇拝(シルク)である。アッラーは、居なくなっても探されず、居ても気付かれないような目立たぬ敬虔な者たちを愛で給う。彼らの心は導きのランプであり、あらゆる暗闇から救われる」。

 イブン・マスウードは言った。「地上の人間には知られずと、天上の天使たちに認められる

知識の鉱脈、導きのランプ、家の敷布(底本ではأجلاسだがナッジャール版の أحلاسで読む)、夜のランプ、心中の反省、衣服の襤褸のような者でありなさい」。

「名声欲の非難について」節

 アッラーは仰せである。「それは来世の家であり、我らはそれを地上での驕り高ぶり、堕落を望まない者のために作った」(28章83節)

 知りなさい。財貨の意味が諸物の所有であったように、名声の本質は心(カルブ)の所有である。そして財貨の所有者がその財貨によって求める対象を得るように、心の所有者はそれによって求める対象を得るのであり、名声はその求める対象の一つである。

 財貨が職業や産業によって得られるのと同じく、心は様々な行動(ムアーマラート)によって得られる。心は信条によってしか支配できない。ある種の完成に達していると信じられるあらゆる者に対して、人の心は従う。心の所有とは人々に崇拝させることであり、また奴隷にすることである。そして財貨が愛されるなら、名声は猶更である。

 知りなさい。名声は支配と主権を求める霊の糧である。というのは霊はアッラーの命令の世界に属するからであり、それは人間に対して主権と支配と奴隷化を求め、完全性を愛し、それを求める。それゆえあなたはこの欲求のない(底本ではينفعكだがナッジャール版のينفكで読む)者を見つけることはできないだろう。

 知りなさい。魂はただ賞賛されることで安らぎ、それで感激する。なぜなら魂は充足を愛し、それ(賞賛)によって充足を感じるからである。逆に非難されるのを嫌うのは、(魂は)不足を嫌い、それ(非難)によって(自分に何かが)不足していると感じるからである。

名声欲への処方の説明:

 知りなさい。名声欲に憑りつかれた者は、名声を欲し、それをいかに増して、被造物(人間)の心を奪うかにしか関心がなくなる。そしてそれによって偽善と偽信仰を余儀なくされる。

 それゆえアッラーの使徒はそれ、つまり金銭欲と名声欲を家畜の柵の中の獰猛な二匹の狼に譬えられ、言われた。「水が草を育むようにそおれは偽信仰を育む」。その対処は知識と校医の組合せである。

 知識とは、その目的が心の所有であることを知ることである。我々は(心は)たとえ澄んで健全であろうとも、その最後は死であることを既に明らかにした。それは正しく永続するものではない。地上の東西全ての者があなたに跪拝しても、50年たてば跪拝した者も跪拝された者も生存していないのである。あなたはあなた以前に死んだ有名な者たちと同じである。それは実体のない幻の充足である。なぜならそれは死によって消滅するからである。

 それはハサン・バスリーがウマル・ブン・アブドゥルアズィーズに書簡を送った時に書いたとおりである。「あなたが死が書き定められた者の最後の者で既に死んだかのようであれ」。そこで(ウマル・ブン・アブドゥルアズィーズが)その返事に書いた。「あなたが現世に存在しないかのように、またあなたがすでに来世にいるかのようであれ」。彼らは末路を見すえ、来世が近いことを知っていたのである。

 行為について言えば、彼らにはそのための道がある。彼らの中には酒に似た飲み物を飲み、人々が酒を飲んでいると誤解して彼を避ける者もいる。また中には禁欲によって有名であっても、風呂に入り、別人の服を着て現れ、道の途中で止まり、遂には人々が彼(の正体)を知り、彼を捉え、服を脱がせ、殴って、「この泥棒め」と言って追い出すような者もいる。

 そのための最短の道は孤立と知り合いのいない場所への移住である。地元で隠棲するなら人々が自分が隠棲し引き籠ったことを知っているために一種の偽善を免れない。

賞賛を好み非難を嫌うことから救われるための処方の説明:

 その原因が充足が幻想にすぎないためであることは既に述べた。それには根拠がなく、此岸でしか意味がなく、たとえ賞賛が宗教的な事柄についてであっても来世では無意味であることを知れば、それは幻想でしかない。というのは充足は良き末期によってでしかないが、それはこの危険を乗り越えた後だからである。

この章の第二の主題「偽善」の説明

 知りなさい。偽善(リヤーゥ)は禁じられており、偽善者はアッラーの御許で御怒りを被った者である。「礼拝に気もそぞろで偽善的に(他人に)見せるだけに礼拝する者たちに災いあれ」(107章4節)とのアッラーの御言葉がそれを示している。またアッラーは仰せである。

「その主に拝謁することを望む者は善行を行い、その主の崇拝において何物も並べてはならない」(18章110節)。

 また「アッラーの使徒よ、どうすれば救われますか」と尋ねられ、(預言者は)答えられた。「しもべが人間(の表か)を意識せずにアッラーに服従することである」。また(預言者は)言われた。「あなた方に対して最も心配なのは小さな多神崇拝です」。(人々が)「アッラーの使徒よ、小さな多神崇拝とは何でしょうか」と尋ねると、(預言者は)「偽善(リヤーゥ)です。アッラーは『最後の審判の日にしもべたちにその行為に対して報われる時に、『お前たちが下界で偽善的に(行為を)見せびらかした者たちのところに行って彼らの許に報償があるか見るがよい』と仰せになる。」また(預言者は)言われた。「アッラーに『悲しみの谷』からの庇護を求めなさい」。そこで「アッラーの使徒よ、それは何ですか」と尋ねられ、(預言者は)答えられた。「(他人に)みせびらかすために偽善者にクルアーンを読誦する者たちのために用意された火嶽にある涸れ谷です」。

 アブドゥッラー・ブン・ムバーラクはその伝承経路である男から以下のように伝えている。

その男はムアーズ・ブン・ジャバルに言った。「あなたがアッラーの使徒から聞いたハディースを私に語ってください。」

(その男は)言った。「すると(ムアーズは)私が彼は泣き止まないのではないかと思うほどに泣いた後で静かになり、それから言った。「私はアッラーの使徒が私に『ムアーズよ』と言われるのを聞き、彼に『ここにおります。アッラーの使徒よ。あなたは我が父母より大切ンあ御方です、アッラーの使徒よ』。そこで(預言者は)言われた。『あなたに記憶すればあなたの役に立つが、それを忘れて失くしてしまうと、最後の審判の日にアッラーの御許であなたの弁明が尽きてしまうようなハディースを話しましょう』」。ムアーズよ、アッラーは天地を創造する前に7人の天使を創造された。それから7つ天を創造しそれぞれの天に、それぞれに門番の天使を作り、それらに威厳を備えさせました」。

 (ムアーズは)言った。

 それから記帳天使たちがしもべの行為のうちの善行を取り上げて進み、それを浄めて増やし、それを第二天まで届けると、第二天担当天使が彼らに言う。「止まり、この行為でその行為者の顔を殴れ。私は誇りの天使である。この者はその行為で現世の名誉を求めていた。我が主はその行為が私を超えて他の者(第三天以上の担当天使たち)に渡してはならない、と仰せである。この者は人々の集まりで彼らに対して自慢したからである。

 (ムアーズは)言った。

 それから記帳天使たちは喜捨と斎戒と礼拝の光に悦び満足してしもべの知識を持って第三天に向かって昇っていった。するとその(第三天)担当天使が彼らに言う。「止まり、この行為でその行為者の顔を殴れ。私は傲慢の天使である。この者はその行為で現世の名誉を求めていた。我が主はその行為が私を超えて他の者(第四天以上の担当天使たち)に渡してはならない、と仰せである。この者は人々の集まりで彼らを見下したからである。

(ムアーズは)言った。

 それから記帳天使たちは蜂のブンブンうなる羽音のような賞賛、礼拝、大巡礼、小巡礼の騒音を立てるしもべの行為を携えて第四天に向かって昇っていった。するとその(第四天)担当天使が彼らに言う。「止まり、この行為でその行為者の顔を殴り、それでその背と腹を殴れ。私は自己満足の天使である。我が主はその行為が私を超えて他の者(第五天以上の担当天使たち)に渡してはならない、と仰せである。この者は行為を行う時に、自分の行為に自己満足を混ぜ込んだからである。」

 (ムアーズは)言った。

 それから記帳天使たちは実家に向かう婚礼の花嫁のようにしもべの行為を運んで第五天に向かって昇っていった。するとその(第五天)担当天使が彼らに言う。「止まり、この行為でその行為者の顔を殴り、それを彼の肩の上に担がせよ。私は嫉妬の天使である。なぜならその者は人々を嫉妬し、学びんで自分の行為と同じことを行った者、崇拝の功徳を得た全ての者を嫉妬し、彼らを謗っていたからである。我が主はその行為が私を超えて他の者(第六天以上の担当天使たち)に渡してはならない、と仰せである」。

 (ムアーズは)言った。

 それから記帳天使たちは礼拝、浄財、小巡礼、大巡礼、斎戒のようなしもべの行為を携えて第六天に向かって昇っていった。するとその(第六天)担当天使が彼らに言う。「止まり、この行為でその行為者の顔を殴れ。なぜなら試練や害悪に見舞われたアッラーのしもべを少しも慈しまず、見下して見捨てた私は慈悲の天使である。(我が主は)その行為が私を超えて他の者(第七天以上の担当天使たち)に渡してはならない、と仰せである」。

 (ムアーズは)言った。

 それから記帳天使たちは雷鳴のような音響、陽光のような光を放ち、三千の天使が同行する斎戒、礼拝、扶養、イジュティハード、敬神のようなしもべの行為を携えて第七天に向かって昇っていった。するとその(第七天)担当天使が彼らに言う。「止まり、この行為でその行為者の顔を殴り、それで彼の四肢を殴り、それでその心に錠をかけよ。我が主は私に、その者と我が主の顔を望んで行わなかったあらゆる行為とを遮断せよ、と命じられた。なぜならその行為においてアッラー以外を意識し、法学者たちの間での高い地位、学者たちの許での評判、諸国での名声を望んでいたからである。我が主はその行為が私を超えて他の者に渡してはならない、と仰せである。アッラーだけに捧げられたのでない行為は全て偽善(リヤーゥ)であり、アッラーは偽善者の行為を受け入れません」。

 (ムアーズは)言った。

 それから記帳天使たちは礼拝、浄財、斎戒、大巡礼、小巡礼、良い性格、沈黙、アッラーの唱念斎のようなしもべの行為を携え、第七天の天使たちの行列と共に昇っていき、遂に全ての覆いを過ぎ去りアッラー御前に至った。そして彼ら(天使たち)は彼(アッラー)の御前に立ち、彼のためにアッラーのみに捧げられた行為を証言します。

 (ムアーズは続けて)言った。

 アッラーは彼らに仰せられる。「あなたがたは我がしもべの行為の記帳天使であるが、私はその魂(ナフス)の監視者である。あの者はその行為で私を意識せず、それで私以外を意識していた。それゆえ彼には我が呪いがあり、天使たちは皆、「この者にあなたの呪いあれ、またこの者に我らの呪いあれ、七つの天とその中にいる者たちもこの者を呪います」。

 ムアーズは言った。

 私は言った。「アッラーの使徒よ。あなたはアッラーの使徒であり、私はムアーズです。どうすれば救われるのでしょう。」

 すると(預言者は)言われた。「あなたの預言者に倣い、クルアーン読誦者などのあなたの同胞に対する誹謗に口を慎みなさい。自分の罪を自分で負い、彼らにそれを担わせるな。彼らを非難することで自分を浄め、自分を彼らの上に立たせようとするな。現世の行為を来世の行為に混入させるな。あなたの口座で高慢に振舞い、あなたの悪い性格を人々に疎んじさせるな。他の人間がいるところで一人だけと密談してはならない。また現世の善福が立たれないように人々に対して孤高になってはならない。人々(の間)を引き裂いて、最後の審判の日に獄火の犬があなたを噛み千切ることがあってはならない。アッラーは『活発に活動する者たちにかけて』(79章2節)と仰せである。ムアーズよ、それ『活発に活動する者たち(ナーシタート)』とは何か分りますか。」

 私が「あなたは私の父と母より大切な御方です、アッラーの使徒よ、それは何でしょうか」と言うと、(預言者は)「肉と骨を焼き尽くす(ナシャタ)獄火の犬です。」と言われました。私が「あなたは私の父と母より大切な御方です、アッラーの使徒よ、だれがこのような難題に耐えられるでしょうか。誰がそれから救われるのでしょうか」と尋ねると、(預言者は)言われました。「ムアーズよ、アッラーが易しくされた者には易しいこと。あなたは自分のために望むことを人々にも望み、自分が嫌うことを他人がされるのも嫌だとおもえば十分です」。

 (ムアーズ)は言った。「私はこのハディースの内容への訓戒のためにムアーズ以上にクルアーンを多く読む者を知りません」。

 イクリマは言った。アッラーはしもべにその意図に応じて、その行為に応じては与えないものを授け給う。なぜならば意図は、偽善が入り込まないほど更に奥深くにあるものだからである」。

偽善の本質の説明:

 「偽善(riyā')」は「見ること(ru'yah) 」の派生語、「声望(sum‛ah)」は「聞くこと( samā‛)」の派生語である。「偽善」の語義は人々が自分たちの許での地位を見ることを求めることであり、人々の許での地位を求めることは、崇拝行為以外の行為によることもあれば、崇拝行為によることもある。

 それゆえ崇拝行為以外における偽善とは粗末な服を着たり、それ(服)をたくし挙げてたり、黄色い顔をし、目を窪ませ、髪をほつらせ、声を潜め、無理にゆっくり静かに歩いたり、悪筆で書いたりして見せることである。これらのことは全て崇拝行為による偽善の保管物である。それらの目的が他人にみせびらかすことならばそれらは全て禁じられている。

 学者が説教で韻をふんで博識をみせびらかすのも同じである。それ(韻文)によって宗教がより受け入れられる近道になることを狙っているなら別で、説教の核心でのその(韻文を使う)意図が正しいこともあり、その場合は許されることもある。

 偽善は崇拝行為の要件についてであることもある。それは人々が自分について禁欲的で敬虔だと思い込むようにと人々の前で長々と屈身礼と跪拝することである。無理に人々の前で行う必要がないため、自宅で長々と屈身礼や跪拝をすれば偽善を免れることができると思って、わざと独りでそうするかもしれない。しかしそれがその決意であればそれ(偽善)を免れるどころか、偽善を増すことになるのである。

 これについては偽善とは名声を求めることである、と言うのが正しい。そしてそれは崇拝行為についてか、それ以外についてかのどちらかになる。財貨について合法なものを求めるような崇拝行為以外についてであれば、ごまかしがない限り禁じられていない。しかしそれ(ごまかし)は財貨についても名声についても同じように禁じられているのであり、名声を求めることが全面的に禁じられているとは考えるべきではない。というのは、生活の必要のために必要最小限の名声は僅かな財貨は必要に鑑み求めることが許されるのと同じである。そしてそれが「私をこの地の宝庫の上に置いてください。私は博識な管理人です」(12章55節)とのユースフの言葉の意図するところである。それゆえ財貨について既述の通り名声にも毒と仙薬が共に存在するからである。

 多くの財貨がアッラーの唱念を妨げ気を逸らすように、多くの名声も同じである。自分から求めたのでなく大きな名声を得たのであり、それでアッラーの唱念から気が逸れないなら、それを利用するのは、気前良さ、利他、福利を被造物(人類)に及ぼすことによって大きな財貨を使うのと同じである。それゆえその規定は既述の多くの財貨の規定と同じである。

 名声は預言者たちや学匠たちや正統カリフの名声を超えることがあってはならない。そうならず、それによってアッラーから気を逸らしてはならず、それ(名声)が無くなっても悲しんではならない。それで美しい服を見せるため(リヤーゥ)に人間の間に出ていくことは禁じられていない。なぜならそれには崇拝行為による偽善(リヤーゥ)でなはいからである。それはアーイシャの伝承が示している。

 アーイシャは言った。「アッラーの使徒は教友たちのところに出かける時には水鏡を眺めターバンと髪を整えられました。

 (アーイシャが)言った。「私が『アッラーの使徒であるあなたがそんなことをするのですか』と言うと、(預言者は)「そうです。アッラーはしもべが同胞たちの前に出る時には彼らのために着飾るのを愛で給います」と言われた。

 そう、それはアッラーの使徒の崇拝行為であったのである。なぜならば(預言者は)被造物への宣教を命じられていたのであり、もし人々に見下されたなら、それ(宣教)がダメになるからである。

 知りなさい。偽善にも段階がある。もし行為の目的が100パーセント偽善であれば、それは崇拝行為を完全に無効にする。崇拝行為の意図において偽善が優勢であった場合もこれとほぼ同じである。

 もし崇拝行為と偽善が拮抗しており両方を意図した場合、どちらにも傾かずに保身が出来れば、それで儲けものである。

 基本が崇拝行為の意図であれば偽善が劣位となる。偽善がなかったとすれば崇拝行為に向かう。崇拝行為を意図しない単なる偽善であっても偽善は侮れない。行為の大本が損なわれるこことはなくとも、報償が減るか、その偽善に応じて罰せられる。「私は多神崇拝(シルク)を最も必要としない自足者である」とのアッラーの御言葉は、(崇拝行為と偽善の)二つの意図が等しい場合を指しており、この最後の種類を排除するものである。

 知りなさい。もし偽善が信仰の原則に及ぶならそれは偽信仰(ニファーク)であり、獄火の最下層に永遠にとどまる。信仰の原則ではなく法的義務の原則に関わっているなら、より(罪は)軽い。(偽善が)(法的)随意行為や崇拝行為の諸性質に関わっている場合については既に述べた。、

隠れた偽善の説明:

 それは黒蟻よりももっと隠れたものであり、それは被造物に見られることで崇拝行為を損ねることはないが、崇拝行為の遂行に影響することもない。しかしその崇拝行為を知るか見るかしなくてはならず、それを喜ぶ。これが隠れた偽善である。

 偽善を防ぎ治療する方法はその原因が財貨と名声への愛、賞賛への愛であることを知ることだが、それについては既に述べた。その後で生ずること(次の段階)では、アッラーが自分の秘密をご覧になっており、いずれ(最後の審判の日に)自分に「私はあなたを見る者たちの中で最も(評価が)甘い者である」と仰せになることを熟考するのが良い。それからもしそれ(名声)を得た者が行き着くところ(死)、ぞれ(名声)が死によって消えることを熟考すれば、その脱却が望ましいことが分る。

罪の隠蔽の軽減措置の説明:

 知りなさい。純粋信仰(イフラース)の基本は内密でも公然でも同じであることである。ウマルは言った。「あなたがたは公然の行為に気をつけよ」。人々が「信徒たちの長よ、公然の行為とは何ですか」と尋ねると、ウマルは答えた。「あなたがたの誰かがそれを見ても恥ずかしくないことである」。

 (預言者は)言われた。「これらの醜行の何かを犯した者はアッラーの覆いに隠れなさい」。罪が表に出ることは自分自身からの場合と同じく他人からであっても忌避することが望ましい。

偽善を恐れて崇拝行為を放棄することが許されないことの説明:

 我々は言おう。動因は偽善の元ではない。その過程で虚偽が恐れられる。それゆえ崇拝行為を放棄するのは望ましくない。なぜなら悪魔の目的は(人間が)崇拝行為をやめてしまうことで達成されるからである。だから崇拝行為を敢行し、(偽善を治す)薬で偽善を防ぎなさい。それゆえ彼ら(スーフィー)のある者は言う。「偽善とは被造物(人間)が見ているからといって崇拝行為を放棄することである。被造物(人間)のためにそれ(崇拝行為)を行うのは純然たる偽信仰(ニファーク)に他ならない。

 崇拝行為の中には、カリフ職、イマーム職、スルタン職や教育や説教のような被造物(人間)に関わるものもある。(預言者は)言われた。「正義のイマーム(カリフ)の一日は独りで行う60年の崇拝行為に優る」。

 知りなさい。敬虔な者たちはそれから逃げる。なぜならそれには大きな危険があるからである。なぜならそこでは財貨や名声やその他の厄災によって内面の諸属性が動揺するからである。それゆえ預言者は言われた。「どんな集団の後見人であれ、最後の審判の日には腕を鎖で首に繋がれてやって来るが、彼が行った正義がそれを解き放つか、不正がそれを固く結びつけるかのいずれかである」。

  それゆえ理性ある者は危険な場からは逃げるのが正しい。それゆえ自分自身を見つけなさい、そして自分を支配しているのが(来世での崇拝行為の)報償を求めることであれば行いなさい。その徴は自分の代わりになる者が現れたらそれで満足し、怒らずその者を任用することである。理解し益を得よ。アッラーこそ正答を最もよくご存知である。

2020年6月12日金曜日

コロナ禍を生きる ―人々は眠っている。死んではじめて気づく

「コロナ禍を生きる - 人々は眠っている。死んではじめて気づく」

1.序
この連載も今回で最終回ですが、前々回、前回とパレスチナとトルコという個別の問題に焦点を絞って扱ったCOVOID-19について、イスラームに絡めて巨視的に論じてみようと思います。
まず最初に言っておかなければならないのは、私の予想は大きく外れた、ということです。COVOID-19自体の出現は誰にも予想できませんでしたので、それが予想外だったのは当然ですのでそのことではありません。
本連載で何度も繰り返しているように、現代のムスリム世界にイスラームは形だけしか残っておらず、国家のレベルでも社会のレベルでも個人のレベルでもイスラームの教えは実践されていません。それはヨーロッパの植民地支配によって骨抜きにされた現在に始まってことではなく、文明的にはイスラームの絶頂期とも言われるアッバース朝時代においてすらそうでした。しかしこの話をし始めるとキリがないので、詳しくは拙著『イスラーム学』(作品社2020年)、特に第6章「末法の法学」をお読みください。
現代のムスリム国家、ムスリム社会、ムスリムの行動は基本的に全て西欧の領域国民国家、資本主義、西欧近代科学の論理に基づいており、イスラームは表面的な文化的残滓以上のものではありません。外の人間にはまるで別物に見えても、違いは表層の見かけだけに過ぎません。それはちょうど「COVOID-19」が、日本語では「新コロナウィルス」、英語ではnovel coronavirus、中国語では「新型冠状病毒」と書かれるので、日本語、英語、中国語を知らない人間にはまったく別物に見えても、実は同じものであるのと似ています。
そのことはよくよく分かっていたつもりでしたが、それにしてもここまでだとは思っていなかった、というのが予想外だった、という意味です。また私は1982年に東大のイスラーム学研究室に進学し1983年にイスラームに入信して以来、イスラーム学研究室出身のただ一人のムスリム学生であり、ずっと自分の世界観、価値観が他の日本人とは違い、理解されないことを自覚して生きてきました。またエジプト留学以来、25か国以上のムスリム国を訪れましたが、そこでも日本文化の中で育ち13-4世紀のスンナ派国法学を専門とする古典イスラーム学者として、自分たちがイスラームを実践していると信じている現代の自称ムスリムたちとも全く別の世界観を生きていることをいやというほど痛感してきました。しかしCOVOID-19に対するムスリム世界、日本の反応を見て、私自身の世界観と感性が、ここまで日本人とも現代のムスリムたちとも、勿論、それ以外の世界の人々とも、ここまでかけ離れていたのか、と我ながら驚かされました。今回はそれはなぜか、というお話をしていきましょう。

2. 専門性とは何か
 世界を巻き込んだCOVOID-19ですが、最初に事実関係についてはっきりさせておきましょう。政府も新型コロナウイルス感染症対策専門家会議などというものを立ち上げて、様々な提言を行っており、SNSでは「専門家以外は黙っていろ」といった怒声、罵声が飛び交う一方で、自称、他称の専門家の言葉があふれています。しかしそもそも「専門家」とは誰のことなのでしょうか。どんな学問分野であれ知識というものは「有る」「無い」という二値論理で語れるものではありません。ですから本来は学問に専門家、非専門家などという線引きはできません。
しかしそれでは西欧的近代社会の基盤となる研究、教育が組織できないために、できあがったのが博士という制度です。学問を「人文科学」、「社会科学」、「自然科学」に分け、それらの全てにおいて、特定の分野において世界中の先行研究を全て押さえたうえでそれまで誰一人考え付いたことがないことを確認されたその時点で反証不能とその分野の専門家によって認められた学説を立て人類に新しい知見をもたらした者にのみ博士の称号を与える、というルールを作りあげることでやっと、互いの研究内容を理解していない教員同士がすべての大学教員をひとしなみに科学の研究者として扱い学生に専門教育を提供する専門家という同業者集団としてまがりなりにも相互認知し自己組織化することが可能になり、「大学」という制度が成り立っているのです。
博士論文の審査制度からも明らかなように「専門家」の「専門」を理解できる人間は、「専門家」しかいませんので、だいたい世界中で数人しかいないのが普通です。それ以外の人間は「専門家」の「専門」分野については「客観的」には判断できません。そして「客観的」に「専門家」以外が「専門家」について、何の「専門」かについて判断できるのは、「博士論文」のテーマだけです。勿論「博士論文」のテーマの内容を理解できる、というわけではありません。博士論文のテーマにまで専門性を狭く絞ると、その「分野」の「専門家」ですら査読者に選ばれた数人をのぞいて本当には理解できないのが実態です。素人が「客観的に専門性を判断できる」というのは、内容がわかなくても、そのテーマに関しては、それで博士の論文審査が通っている以上、その研究者がその論文のテーマに関してだけは全く目を通さなくてもそれがその者の専門であると、判断して良い。
医学の専門家などというものはいないのは勿論、伝染病の専門家、インフルエンザの専門家などというものはいません。たとえば、私の場合、本当に専門と言えるのは、13‐14世紀にシリア、エジプトで活動し膨大な著作を残した大イスラーム学者イブン・タイミーヤ(1328年没)の政治哲学だけです。「イスラーム学の専門家」や「イスラーム法学の専門家」はもちろんな存在しませんし、「イブン・タイミーヤの専門家」でさえいません。医学を例にとるなら、私の持病の痛風のような古来からあり標準的な治療法が確立している病気でも、痛風の全てを知っている専門家などいません。例えばインターネットで検索してみると痛風に関する博士論文として獨協医科大学の染谷啓介「痛風の実験的研究 : 尿酸塩結晶食作用に及ぼすvinblastineの影響」、慶應大学の安田大輔「尿酸のラジカル消去機構を規範とした新規抗酸化活性医薬品リード化合物の創製研究」、近畿大学の中尾紀久世「漢方医学に学ぶ薬食同源素材からの尿酸生成阻害作用生薬、並びにその有効成分の探索に関する研究」などが見つかります。これが専門というものです。博士論文のテーマ以外については、専門である場合もあれば、違う場合もある、としか言いようがありません。医者の場合は、専門医という制度もあるので、たとえば痛風専門医はそれ以外に比べれば痛風に詳しいぐらいのことは言えますが、それは研究者のレベルでの専門性とは違う話です。たとえば日本救急学会、外傷医学会専門医の木下喬弘先生は「『専門家』って微妙な用語で、例えば峰先生はウイルス学者ですが感染症臨床の専門家ではないし、EARL先生は感染症臨床の専門家ですが基礎研究やってるわけではないです。私は救急医療が専門で公衆衛生もやってますが、同じく基礎研究はわかりません。そして3人とも感染症疫学が専門とは言い難い。」とツイートしています。
博士論文以外にも学会誌に発表された学術論文によって専門性を判断することも理論的には可能ですが、実際には自分自身がその分野の博士クラスの研究者でなければ難しいでしょう。最近話題になったABC予想の証明が良い例です。最も厳密かつ客観的と思われている数学ですら、京大の望月教授の論文が国際学術誌『PRIMS』に受理されるのに査読が7年あまりに及び、しかも欧米で意義が相次いでいます。「学術論文」は玉石混交であり、箸にも棒にもかからないゴミのような「石」が大半な一方で、逆に研究者のレベルなら一定の手続きさえ踏めば誰でも同じような結論を導ける程度の博士論文と違い、「玉」の場合は同じ分野の同業者でも見解が分かれることもあり、「専門家」でない人間には判断のしようがありませんので、結局、誰が何の「専門家」なのか「素人」にも分かる基準としては博士論文のテーマを調べて、それと照らし合わせるしかない、ということになります。もちろん、博士論文で扱っていなくても、十分「専門家」並みに詳しい人というのは居るのですが、それは「検証」できないので、その言葉を信ずるかどうかは、占い師の占いを信ずるのと変わらない、「客観的」でない、というのはそういうことです。
そして大学の博士の期間は特例はあっても5年が標準です。COVOID-19は2019年の冬ですからまだ発見から半年ほどしか経っていません。どんな分野であれ、半年かそこらの研究で「専門家」を名乗れるほど、「学問」とは安易なものではありません。特にCOVOID-19のように狭義の医学の研究だけとっても発生源とされる中国が政治的な理由から、調査、研究、その発表の自由を制限しており、基本的なデータさえ十分に得られないところでまともな専門的学術研究がなされようがありません。更に公衆衛生のような、医学だけでなく経済、政治、政治も世界各国のそれぞれの国内法の違いまで考慮しなければならないような分野に「専門家」などまだいるはずがありません。




3.科学と価値観
と、関係のなさそうな話を延々と論じてきたのは、要は、この問題に関して、政府の専門家会議も含めて誰一人「専門家」などおらず、自称、他称の「専門家」たちの言うことも、現段階ではとても学術的に厳密な議論といえるものではないので鵜呑みにしてはならない、ということです。逆に言えば、「専門家」たちでさえいい加減なデータに基づいた大雑把な議論しかできないのですから、誰でも過去の伝染病の事例などに基づいて雑な議論をしてもよいということです。
もう一点、重要なのは、科学が語るのは事実「Sein(ある)」だけであり、規範「Sollen(すべし)」ではない、ということです。ですから、医学の専門家の科学的根拠に基づいていると謳っていても「~すべき」という提言は、たとえ「専門家」たちの言葉であっても彼らの「専門知」に基づくものではなく、すべて個人的価値観による意見の押し付けでしかありません。
 医者の場合、たとえ明日処刑が決まっている死刑囚であっても健康な状態で処刑できるようにその健康維持に最善を尽くす、といった極端な人命尊重の職業倫理を有する人々です。そういう価値観を有する人の提言が目の前にいる病人の命の尊重に極端に偏ったものになるのは無理もないことです。数字に表れる富の増大を至上価値とする経済学者、万事を自己の権力の増大の手段として利用する政治家の提言が偏っているのはなおさらです。
 と、前置きはここまでにして、なぜ私がCOVOID-19に対する世界の対応が予想外だったのか、具体的にお話していきましょう。

4. 歴史の中の伝染病
 生理学博士で進化生物学者でもあるダイヤモンド博士は『鉄・病原菌・銃』の中で、ヨーロッパの植民地主義者たちによる先住民の抹殺において、伝染病の方が武力よりも大きな役割を果たした、と述べています。
「インフルエンザなどの伝染病は、人間だけが罹患する病原菌によって引き起こされるが、 これらの病原菌は動物に感染した病原菌の突然変異種である。家畜を持った人びとは、新しく生まれた病原菌の最初の犠牲者となったものの、時間の経過とともに、これらの病原菌に対する抵抗力をしだいに身につけていった。すでに免疫を有する人びとが、それらの病原菌にまったくさらされたことのなかった人びとと接触したとき、疫病が大流行し、ひどい ときには後者の九九パーセントが死亡している。このように、もともと家畜から人間にうつった病原菌は、ヨーロッパ人が南北アメリカ大陸やオーストラリア大陸、南アフリカ、そして太平洋諸島の先住民を征服するうえで、決定的な役割を果たしたのである。」
 これまで多くの伝染病の流行にもかかわらず、かつては今よりはるかに人口が少なく医学も未発達でそれらの伝染病に対する有効な治療法もなかったにもかかわらず人類が今日まで生き残ってきたという事実自体が、医学が発達し人口も急増し80億人に達しようとしている現在、人類というレベルで伝染病がその存続を脅かすリスクは限りなく小さいと言えるでしょう。14世紀のペストの世界的大流行では当時の人類の推定総人口4億5000万人が3億5000万人にまで減少したと言われていますが、それでも人類は生き残ったどころか、ヨーロッパでは労働人口の減少により労働条件の改善と農工業の効率化がはかられ、社会、経済が発展したとも言われています。最近の最大の伝染病の流行は1918-1920年のスペイン風邪(インフルエンザ)の流行で、当時の地球の総人口20億人弱のうち2千万人から4千万人が死んだと言われていますが、それによっても人類は滅びず、その後も人口は増え続け、今やむしろ多すぎる人口が問題となっています。
スペイン風邪のグローバルな流行は人類の滅亡が懸念されるほどの危機にはいたらなかったばかりか、民族の消滅、国家崩壊はおろか、さしたる社会問題も引き起こしませんでした。『鉄・病原菌・鉄』は、伝染病は人類全体を滅ぼすほどではなくとも、民族、国家のレベルでは存亡の危機とも言える脅威となりうることを教えています。しかしCOVOID-19は対症療法しかなくまだ誰も免疫を持っていないとされる(私は本当かどうか疑っていますが)状態でも感染者の致死率はシンガポールなどでは1%を下回っており、医療崩壊が起きている場合でも10%ほどでしかありませんので、地域的な民族、国家レベルでさえもその存在を脅かすほどの危機ではないことは明らかです。
私たちがよく知る世界史上の民族、国家レベルでの存亡の危機となった伝染病は、1346年から1352年にかけて流行し当時のヨーロッパの全人口の4分の1が失われイングランドやイタリアでは人口の8割が死亡し全滅した街や村もあった黒死病(腺ペスト)です。しかし既に述べたようにヨーロッパは医学的には有効な治療法を発見できないままにペスト禍を克服し、それどころか遡及的に分析するなら、後の産業革命、科学革命の準備をすることになりました。

5.イスラームと伝染病
前回述べた通り、イスラームは預言者ムハンマドとその弟子たちの正統カリフの時代にペスト(ターウーン)の流行に遭遇しています。そしてターウーン(伝染病、腺ペスト)にに対しては、その地への人の出入りを禁ずる、とのロックダウンの法規定が定められています。実はこの規定は「天使たちは言う。『アッラーの大地は広大ではないか。その中で移住せよ』」(クルアーン4章97節)と、大地は全て神のものであると宣言し、「大地を旅し、(アッラーが)いかに創造を始めたかを考察せよ」(クルアーン29章20節)と、人間の移動の自由を認めるのみならず神の創造の御業を想うために世界を見て回ることを積極的に勧めるイスラームの教えの中で例外的に移動の自由を制限するものです。
 クルアーンに「我ら(アッラー)は使徒を遣わさない限り、罰することはない」(クルアーン17章15節)、「律法(トーラー)が降示される前には、イスラエル(ヤコブ)が自分自身に禁じたものを除き、すべての食べ物はイスラエルの民に許されていた」(4章93節)とある通り、スンナ派イスラームは人間の義務負荷は理性ではなく啓示により、預言者によって法が与えられない限り人間は「自由」であり、すべては許されている、と教えます。
 「自由」と「権利」について本格的に論じ始めると更に10回連載を続けても足りませんので、ザックリとした話をすると、イスラームは(近代ではなく)現代西欧的な人権は認めませんが、絶対的な自然権と啓示による義務の反射としての権利を認めます。
啓示による義務の反射とは、神が殺人、窃盗を禁じているので、生命、財産の尊重の義務が生じ、その反射として生命、財産の権利が生れることを意味します。イスラーム法理学はイスラーム法の義務の反射として生ずる権利を、身命、財産、理性、血統/名誉、宗教の法益に整理します。
絶対的自然権とは、人間が作ったのではない自然に対する処分の「自由」です。人は開いているところであれば陸であれ海であれどこでも好きなところに移動することも、留まることもでき、木の実であれ、魚であれ、動物であれ、石油であれ、好きに取って処分できることを意味します。私がこれを「絶対的自然権」と呼ぶのは、法を前提とする義務の反射ではないからです。ですからどこにでも行くことができる、と言っても、自分に移動手段があればの話で、体が不自由で動けなかったり、遠方で乗り物がなくてたどり着けなかったり、船がなくて海や川が渡れなかったからといって、誰かが連れていってくれるわけではありません。木の実にしろ、動物にしろ、魚にしろ、石油にしろ、自分で手に入れれば好きにして構いませんが、自分で取ってこなければ、誰も持って来てはくれません。
この「絶対的自然権」とは、「権利」というよりむしろ「事実」そのものに近い、西欧的な「権利」が発生する起源にある最も根源的な「規範」である「自由」としての「事実」です。イスラーム法の義務の反射として生ずる権利は、啓示の神への信仰を前提としますが、この「絶対的自然権」は、神の顕現に先立って生成する権利です。つまり絶対的自然権はイスラームの第一信仰告白「ラー・イラーハ・イッラー・アッラー(no god but Allah)」の前段「ラー・イラーハ(no god)」に基づくもので、無神論者、世俗主義者、理神論者とも共有できる政治的議論のプラットフォームだと私は考えています。私が国境の廃絶、領域国民国家の牢獄からの人類の解放としてのカリフ制再興をムスリム諸国のムスリムたちだけでなく宗教にかかわらず日本人相手にもずっと説き続けているのはこのためです。残念ながら、「絶対的自然権」、つまり究極の「自由」を信じないリヴァイアサンの偶像崇拝者、多神教徒には話が通じませんが、それは自称ムスリムでも、それ以外でも同じことです。
この連載でも、それ以外の場所でも、現在のムスリム世界がイスラームとは無縁、自称ムスリムたちが名ばかりで、実態はリヴァイアサンの偶像崇拝者でしかないことは繰り返し繰り返し述べています。ですから今更、COVOID-19に対する対応がイスラームの教えに反しているからといって、驚きはしません。しかし、今述べたように、ロックダウンは絶対的自然権、「自由」の制限ですので、特別な、意味を持ちます。カリフ制再興を自らの使命と心得る私にとっては特に、です。そこでこの問題を少し掘り下げましょう。
前回詳しく述べたように、ハディースにある「ターウーン」の流行時のロックダウンが狭く「腺ペスト」を意味するのか、伝染病(ワバーゥ)一般の規定なのか、そしてまたロックダウンが厳密な移動禁止規定なのか、柔軟な行動指針としての推奨規定なのかは、イスラーム法学者の間でも見解が分かれています。私自身は、ハディースのターウーンは腺ペストを指しているが、他の伝染病にも状況に応じて類推して行動指針とすることができる、と考えています。
というのは、預言者の時代のアラブの間では都市は伝染病が多いことが知られており、特に伝染病の多くでは幼児の死亡率が高いため、新生児は乳母をつけて砂漠に送って育てさせる習慣があったからです。預言者ムハンマド自身も乳母ハリーマによって砂漠で育てられました。また預言者が移住した農村であったマディーナは岩山の商都マッカと比べても、より湿気が高く更に伝染病が多い土地であり、預言者ムハンマドと共にマッカから移住した教友たち(ムハージル―ン)たちはその気候を嫌っていました。それにもかかわらず新生児を砂漠に送って乳母をつけて育てさせるアラブ人の慣習は、慣習としては残りますがイスラーム法には組み込まれませんでした。ですから、通常の伝染病には状況に応じて個々人が理性で判断すればよく、共同体の存続を脅かすターウーン(腺ペスト)にだけ、絶対的自然権を制限し人々の移動を禁ずるロックダウンを行動指針として定めた、と考えるのが妥当だと私は思います。
 スンナ派ムスリム世界はおおむね、ロックダウンを命ずるターウーンを典拠に国際線の乗り入れを全面的に停止したり、国内でもさまざまなレベルの移動制限を実施しています。私は個人的には、COVOID-19は現存する数々の伝染病と比べてもターウーンと類推するほどの脅威ではなく、むしろ風邪やインフルエンザと同じような個人的な注意喚起の対応で十分であり、絶対的自然権を制限するロックダウンを強制するのは間違いだと思っています。そもそもイスラーム法は神と個人の関係を律するものであり、法人の概念は存在せず、国家によって強制されるものではありません。勿論、イスラームを知らない人間には近代国家の刑法のように映るものがイスラーム法にあるのも事実です。例えば手首切断刑が定められている窃盗罪については、クルアーン5章38節に「男と女の窃盗犯にはその手を切断せよ…」と書かれています。つまりこれは近代国家の刑法のような、窃盗犯の手首を我々が切断する、という国家による声明ではありません。そうではなく、礼拝をせよ、喜捨をせよ、といったムスリムに対する命令と同じく、窃盗犯に対してその手を切断せよ、とのムスリムに対する神の命令なのです。
この場合、命令形は複数形になっており、連帯義務を指します。連帯義務とは、誰かが行えば他の人々は免責されるが誰も行わなければ共同体の全員が罪に陥るような義務です。刑罰の執行はこの連帯義務であり、カリフとその代官が執行の義務を負い、彼らがそれを実行しなければ神に背いたことになります。ちなみに、窃盗犯は死後の最後の審判で裁かれ窃盗の罪で火獄で罰せられますが、悔い改めてこの世で手首の切断刑を受ければ、それが罪の償いとなり、来世での罰を免じられます。ただの窃盗の禁止なら、ムスリムに対する「盗むな」という命令になります。実際、普通のイスラームの規定に関しては、そのような形の命令だけで、違反者に対して刑罰を課す命令は定められていません。たとえば有名な豚肉食の禁止やラマダーン月の断食に関しては、現世でのカリフとその代理人による刑罰は特に定められておらず、禁止を守るかどうかは個人の良心に任されています。
クルアーンやハディースの中で、カリフとその代理人に対して違反者への刑罰の執行が命じられている規定、いわゆる「イスラーム刑法」をアラビア語で「フドゥード」と言いますが、フドゥードの法益は「フクーク・アッラー(アッラーの権利)」、それ以外の規定の法益を「フクーク・アーダミーイーン(人間の権利)」と呼びます。フクーク・アッラー(神の権利)と言うと、狭義の宗教儀礼のように勘違いされるかもしれませんが、そうではなくムスリム共同体全体にかかわる公益と定義されています。フクーク・アーダミーイーン(人間の権利)は婚姻法や商法などで、個々人の事情によって判断が大きく変わるもので、当事者間で解決するのが原則で、どうしても解決できず、裁判になった場合にのみ裁判官、行政官が介入することになります。
といっても、公然と禁を破った場合は、豚を食べたこと、断食を破ったことではなく、公然と神の命令を破ることで、神の法の権威の否定、ムスリム共同体全体の法秩序に対する挑戦とみなされるため、フクーク・アッラー、公益に反する罪を犯したされ、フドゥードの一つである背教罪で罰される可能性が生じますが、それはまた別の話であり、ここではこれ以上踏み込みません。
ターウーンのハディースも原文は「もしターウーンのニュースを聞いたなら、そこには行ってはならない。もしあなたがいるところにそれが発生したらそこから逃れてはならない」とあり、個々人に対する命令であって、カリフとその代官への都市のロックダウンを命ずるものではありません。これまでムスリム諸国ではターウーンのハディースを指針に都市のロックダウンなどを行っている、と書いてきましたが、正確には、ターウーンのハディースは、カリフとその代理人にロックダウンを命ずるものではなく、個々のムスリムに都市間の移動を止めるように命ずるもので、公権力による強制が命じられていない、という点で、近代国家の感覚だと都市間移動自粛勧告、といったニュアンスです。
近代国家にも国会の作る法律の他に、法律の下に行政府の発する行政命令があるように、イスラーム法にも、クルアーンとハディースに基づくシャリーア(天啓法)の規定の範囲内で、カリフには独自の状況判断に基づいて行政命令を下すことができます。しかし、預言者の後に無謬の宗教的権威の存在を認めないスンナ派イスラームでは(12代イマームが9世紀に神隠しにあってからは、シーア派も事実上同じです)、行政命令は必ずしも神の命令に沿っているとは限りませんので、ムスリムは最終的にはクルアーン、ハディースを参照しつつ、自分自身の判断で行政命令に従うか否かを決めなければなりません。同様にカリフとその代理たちも行政命令の発布の可否を最後の審判において神に糾問されることになります。
伝染病の対策としては罹患した者を隔離するのが良い、というのは経験的にもハディースに照らしても間違ってはいませんので、ターウーンのハディースを典拠としたCOVOID-19対策としてのロックダウンの行政命令は神の命令に明白に反する、とまでは言えません。しかし前回も述べた通り、非ムスリム諸国の対応と比べると、ムスリムの対応は神の命令に従うことを求めた結果ではなく、単なる覇権国の後追いであり、現在のムスリムは、非ムスリムと同じく死の脅威を煽られ不安に駆られ領域国民国家というリヴァイアサンの偶像の命令に唯々諾々と従う偶像崇拝者にしかみえません。
私はやはり絶対的自然権、移動の「自由」を制限するターウーンのハディースは、腺ペストレベルの人類レベルではなくとも地方の共同体の滅亡のレベルの脅威となる伝染病にしか類推(キヤース)しないのが正しく、ハディースの知恵は現在にも通じると思っています。

6.ウィルスの変化
ウィルスは進化が早くどんどん変わっていくためにワクチンを作ってもいたちごっこにしかならず完全な防疫は不可能です。ダイヤモンド博士も「インフルエンザがしょっちゅうはやるのは、抗原の部分がちがう新種のインフルエンザ ウイルスが登場しつづけているせいである」と言っています。生まれたばかりのCOVOID-19にしても既に3つの型に分化しています。京都大学大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授らの研究グループによると新型コロナウイルスには最初に発生した無症候性も多い弱毒性のS型、それが変異したK型、武漢でさらに変異した感染力の強いG型の3種類があり、日本人には新型コロナウイルスの免疫があったので死者数を抑え込むことができたことになります。日本政府が武漢以外の国からの入国制限を始めるのが遅かったおかげで、K型への集団免疫ができ、感染力や毒性の強いG型の感染を大幅に抑えることができた、つまり他国に比べて入国制限のタイミングが遅かったために、逆に感染予防に功を奏した、ということです。米スタンフォード大学の生物物理学者マイケル・レヴィッド教授は、英紙テレグラフで「都市封鎖は、国民の生命を守るよりもむしろ多くの死亡者を出す結果を招いている」と英国での都市封鎖に異を唱え、「専門家が統計を誤って読み解き、新型コロナウイルス感染症の実際の疫学を誤ってモデル化している」と指摘しています。また20年1月に中国で新型コロナウイルスの感染が拡大した際、武漢市の感染者数と死亡者数のデータを独自に分析し、「新型コロナウイルス感染症による死亡者数は3250名程度にとどまる」との精緻な予測に成功したノーベル賞受賞者でもある生物物理学者マイケル・レヴィッド・スタンフォード大学教授は、COVOID-19感染症が発生すると、都市封鎖など、感染拡大防止のための措置が講じられるか否かにかかわらず、2週間にわたって指数関数的に感染者数と死亡者数が増加したのち、増加ペースが鈍化するという数理パターンが認められると分析し、「COVOID-19には感染拡大防止のための措置とは無関係の独自の動力学があるのかもしれない」と述べています。また前回紹介したトルコ東部の80万にが収容されているシリア人難民キャンプでもCOVOID-19対策をしないうちに集団免疫が成立し劣悪な医療環境にもかかわらず死者がゼロであった、という例も、騒ぎ立てずにいつの間にか集団免疫が成立している、というのがCOVOID-19対策として最善であることの例証となっています。また医療崩壊を起こし6月1日の時点で3万人以上と世界でも3番目の死者を出しているイタリアのサンラフェーレ病院の院長は臨床的観点からCOVOID-19が変化し弱毒化し致死力が大幅に低下していると述べています。
勿論、最初に述べた通り、COVOID-19についてはまだ本当の意味での専門的な学術研究は蓄積されていませんので確かなことは言えません。また仮に上久保教授の研究が正しかったとしても、入国制限を遅らせたことで感染を抑えられたのは偶然的要素が強いので、対策をしないのが最善と言い切ることなどできないのは当然です。しかし5月27日時点での日本のCOVOID-19による死者は公式発表ではわずか882人です。ちなみに2018年の日本の年間死亡者数は約136万2482人で、死因の1位は腫瘍で37万3547人、2位は心疾患20万8210人、3位老衰10万9606 人、第4位は脳血管疾患で10万8165人、第5位が肺炎で9万4654人です。COVOID-19の場合、死亡率は低く症状が出た場合でも、実際に死ぬのはほとんどが肺炎を起こした場合です。肺炎は、誤嚥性肺炎3万8462人を合わせると13万3116人で日本人の死因の第3位になります。1年を通じて肺炎で約13万人がなくなっている事実を鑑みて、約半年で千人弱しか死亡していないCOVOID-19肺炎を特別視することにどれだけ意味があるのでしょうか。多くの批判を浴びている厚生省のクラスター対策班の西浦教授による全く対策を行わなかった場合の試算に基づく最大の見積もりでさえ推定死亡者数は42万人にでしかありません。これは共同体レベルの滅亡の脅威にはほぼ遠い数です。腫瘍による死者数に近い数ですが、腫瘍の予防と治療などの対応に比べてもCOVOID-19に対する反応はやはり常軌を逸しているとしか言えません。
精神科医の和田秀樹国際医療福祉大学院教授も、アメリカでは2017~18年のシーズンには6万人以上の死者を出していたが、アメリカからのインフルエンザの感染を防ごうとの動きは一切なかったし、アルコール関連死も年間約5万人だがアルコール全面禁止化の動きもない事実をあげ、東京で推定感染経験者数約83.7万人、感染して入院した者の累計で4880人、死亡者数189人(5月11日現在)の病気をそこまで特別視する必要があるのか、と問いかけます。目前の『感染拡大』にばかりとらわれ他の重要なことを冷静に考えないこうした対応を、和田先生は「視野狭窄」と呼んで批判しています。
日本の年間死亡者数を見たところで、人口動態による共同体の存続への脅威という観点からCOVOID-19の問題を考えてみましょう。COVOID-19は完全に放置しなんの対策も講じなかった場合でも最大42万人の死者しか出しません。ところが厚労省の2018年の人口動態統計によると2018年の出生数と死亡数を比べると 91万 8397人に対して136万2482人で44万4085人の減少です。これは2017年と比べるとそれぞれ94万6065人と134万397人で39万4332人よりも更に4万9753人減少していますが、この人口の自然増減は数・率ともに12 年連続で減少かつ低下しているのです。つまりCOVOID-1に全く対策を講じなかった場合最悪の死亡数の見積もり42万人よりも、人口の自然減44万4085人の方が多く、しかも今後ますます減少することが予想されているのです。日本という国、日本人の共同体の存続にとっては、COVOID-19よりも出生数の減少と高齢化社会の進展による死亡率の増加の方が遥かに重要で緊急性がある問題であると私は思います。
またCOVOID-19の感染爆発を抑えるため、自粛要請と称して、多くの店が閉店を強いられ、統計の数字にはまだ表れていませんが、多くのバイトや契約社員が職を失い、既に倒産、廃業した会社も少なくありません。COVOID-19による自粛要請による経済的被害が1997年の消費税の3%から5%への引き上げに端を発しアジア金融危機のあおりで山一証券などの金融機関が倒産し1997年度、1998年と-0.7%、-1.9%と2年連続マイナス成長を記録した平成不況のものより大きくなるのは確実ですが、平成不況では自殺者の数が1998年に前年の2万3494人から8261人急増し3万1755人となって以降は10年余り3万人前後の状態が続きました。
こういったことを考え合わせると効果が不確かであるにもかかわらず絶対的自然権である移動の自由を制限するロックダウンを強制するよりも、年間の事故死、病死、自殺などの数ある死亡の原因と数と現在まで明らかになっている範囲でのCOVOID-19の危険性と予防法と罹った場合の対策の「客観的」な情報を官民をあげて提供し、どうするかは個々人の判断に任せるのが、もっとも適切な対応だと私は思います。
勿論、ウィルスが変化しやすいということは逆に強毒化する可能性もあり、より警戒を強めるべき、とも考えられるかもしれません。しかしそれを言うならそもそもまったく未知の致死率百パーセントで空気感染し潜伏期間が長い人類をあっという間に滅ぼす新型ウィルスが現れる可能性もあります。私はCOVOID-19が中国が開発した生物兵器だったとは思いませんが、将来中国、ロシア、アメリカなどが凶悪なウィルス兵器を開発するかもしれません。そうなると未知のウィルスに対応できるようにあらゆる場合を想定した医学の研究に、国家は安全保障の予算の最大限を割かなければならなくなります。いや、それなら伝染病より危険は大隕石の衝突への備えはどうするべきなのでしょう。こううい愚かな思考を「杞憂」と言います。

7.不安の伝染と自粛警察
分子生物学者の福岡伸一もCOVOID-19について「エボラ出血熱やマールブルグ病のような致命的なウィルスが攻めてきたわけではない。むしろ致死率が高いウィルス病は、宿主を殺してしまうゆえに広がることが少ない」と述べ、「世界を混乱に陥れた」のは「急速に伝播されたのはウィルスそのものというよりも、人々の不安である。これほど大きな社会的・経済的インパクトが地球規模でもたらされるとは、誰も予想できなかった。」と述べています。私もこの福岡氏の「現実的な」意見に賛成です。危険度とは釣り合わない巨大な社会的・経済的インパクトを地球規模で及ぼし世界を混乱に陥れたのは、ウィルスではなくて人間の不安であり、不安を煽ったメディアです。
「コロナ禍」が起こる前には、不安を煽るのが商売のメディアの格好の題材がイスラーム・テロでした。「コロナ禍」の後では、彼らが煽ったイスラーム・テロなどたとえ起こったとしても、通常の犯罪の誤差として無視できる些末事だったことが誰の目に明らかになったかと思いますが、そもそも起こる確率自体が殆ど存在しませんでした。実際に日本ではイスラーム・テロなど一件も起きていません。まぁ、イスラーム研究者としては、そういうデマでも、文科省や外務省がイスラーム・テロ対策のポストを設けて、イスラーム地域研究者の若手の就職先が広がりましたので歓迎ですし、この連載自体がそうした言説の産物とも言えるわけですが。「コロナ禍」はイスラーム・テロとは規模が3桁違いますが、それでも共同体にデモグラフィックな変動をもたらすようなリスクではそもそもありません。それを、世界を分断し、政治・経済・社会的混乱を引き起こす大問題にしてしまったのは、COVOID-19の危険を書きたて不安を煽ったマッチポンプのようなメディアの責任が大きいと私は思っています。
前々回、パレスチナで日本人がコロナと呼ばれて嫌がらせを受けた問題を取り上げましたが、中国で発生したとされるCOVOID-19問題には最初から差別と他罰的行動がつきまとっています。自分は健康であり、COVOID-19をうつす他者を隔離させる自分の行動は正しく、それに従わない者は悪である、というのがその論理です。それが民族レベルで表れたのが、新しい「黄禍論」とも呼ぶべき東洋人差別でした。欧米での感染者数、死亡者数が東アジアをはるかに超えた今も、2020年5月12日付のドイツの地方紙が、デュッセルドルフにあるミシュランの星付きレストランの料理長がSNS上で「中国人はお断りだ」と書きこみ、それに対して中国系をはじめとする多くのネットユーザーから「人種差別」との批判が噴出したと報じています。
14世紀のヨーロッパでのペストの大流行に際しては、当時のキリスト教会はペストをユダヤ人のせいにし、1391年には「ユダヤ人に対する聖戦」を煽動し暴徒がユダヤ人街を襲いおよそ4万1000人のユダヤ人を殺害したと言われる他、ヨーロッパ各地で多くのユダヤ人が殺されています。現在のヨーロッパではまだこのような事態は生じていませんが、中東、アフリカでCOVOID-19が蔓延し、COVOID-19の感染が疑われる難民が大挙してヨーロッパに押し寄せるようなことがあれば、ヨーロッパが「先祖返り」することは十分に考えられます。中世の宗教は現代では民族であり、民族浄化が「現在の魔女狩り」です。ユーゴスラビア内戦や、コソボ紛争などで起きた民族浄化を思い返せば、デモグラフィックな大変動を伴う民族問題が今日において大きな危険を秘めていることが分かります。
この「魔女狩り」が、内側に向けられたのが、「自分は健康であり、COVOID-19をうつす他者を隔離させる自分の行動は正しく、それに従わない者は悪である」という「自粛警察」です。自分は陰性であると決めつけ、COVOID-19陽性であるかどうかも分からない他人を家に監禁し、外出する時は他人から離れること、マスクを着けることを強要し、あまつさえ飲食店などの営業妨害をしてまわるのが「自粛警察」で、大日本帝国の隣組を思い出させます。サウジアラビアで暮らしていた私は、「ムタウワー」と呼ばれる「宗教警察」が頭に浮かびます。
そもそも病人は犯罪者ではないので犯罪者扱いすること自体が間違い、というより罪ですが、相手が罹患者であるかどうかも分からない、罹患者であっても接触したからといっても感染するかも分からない、また感染したからといって症状が出るかも分からない、しかも自分自身が罹患者かもしれない(陰性証明があっても、それが間違っているばあいもあれば、その後に罹患した可能性があるので同じことです)と、誤った前提にたって可能性の低い憶測の上に憶測を重ねた妄想から生まれたのが「自主警察」です。視野の狭さと独善を特徴とするこの「自主警察」現象は、残念ながら洋の東西を問わずどこにでも存在します。
アメリカの実験心理学者アーヴィング・ジャニスは、集団がストレスにさらされ、全員の意見の一致を求められるような状況下で起こる思考パターンを「集団的浅慮」と呼び、その兆候として、以下のような特徴を挙げています。(1)代替案を充分に精査しない、(2)目標を充分に精査しない、(3)採用しようとしている選択肢の危険性を検討しない、(4)いったん否定された代替案は再検討しない、(5)情報をよく探さない、(6)手元にある情報の取捨選択に偏向がある、(7)非常事態に対応する計画を策定できない。和田秀樹先生は、この「集団浅慮」に陥った集団には、(1)自分たちは無敵だという幻想が生まれる、(2)集団は完全に正しいと信じるようになる、(3)集団の意見に反対する情報は無視する、(4)ほかの集団はすべて愚かであり、自分たちの敵だと思う、(5)集団内での異論は歓迎されない、(6)異論があっても主張しなくなる、といった行動パターンが見られる、と言います。魔女狩り、ヘイトスピーチ、宗教警察、自粛警察を統一的に見る視点です。

8.連帯義務と公益
もちろん、何をしてもよい、ということではありません。イギリスではCOVOID-19の自称者に唾をかけられた駅員とタクシー運転手がCOVOID-19で死亡しています。殺意をもって故意に唾を吐きかける行為をとがめるのは構いません。COVOID-19とは関係なく、他人に唾を吐きかける行為は、洋の東西を問わず礼節に反する悪行だからです。そういう行為をしたわけではなく、ただこれまで通りの行動をとっていた人たちには何の咎もありません。そして重要なことは、自粛警察が犯罪者扱いしている市民にとっての自粛警察も罹患者であるかどうかも分からない、罹患者であっても接触したからといっても感染するかも分からず、また感染したからといって症状が出るかも分からないという点で全く同じだということです。つまり「自分は健康=正しい」と思い込んでいる「自粛警察」自身も、彼が罹患しているか疑わしいので罪深いととして攻撃する相手も疑わしいという点で全く同じということです。違いはただ自粛警察の被害者がその可能性は小さく日常生活を失うデメリットの方がより大きい、と判断して自ら感染して死亡するリスクを引き受けて外出して行動してるのに対して、「自粛警察は」、政府の「自粛要請」の「虎の威」を借りて、自分の判断を他人に強要しようとしていることです。リスクを避けたいなら外出しないデメリットを甘受してでも自分たちが外出しない、あるいは防護衣をつける、あるいは慰謝料を用意して止めてもらうように頼むのが筋です。(ご不便をおかけします、という丁寧なお願いの言葉も慰謝料の一種です)。自粛警察の論理は休業補償という自らの責任は果たさず、「自粛要請」という語義矛盾の理不尽な強要を行う政権と同じです。しかしおそらく日本人の大半にはこの論理の方が、私が「筋」と考えるものよりもすっきりと腑に落ちるのでしょうから、もはや大幅に字数をオーバーしていますが(いつものことですが)、少し丁寧に私が言うところの「筋」を説明しましょう。特に「自粛警察」に共感する人間は洋の東西を問わず、視野が狭く、独善的ですので。
問題の根本は、自粛警察は、自分たちが公益に従っており、「自粛」しない者が、公益を無視し私益に則って行動している、と思っていることです。しかしそもそも「公益」とは何でしょう。先に述べたように、イスラームでは「公益」とはザクっと言うと、「アッラーの権利」であり、共同体全体の存続にかかわることであり、それゆえ公権力が介入すべきことです。それ以外は私益です。勿論、イスラームでは、公益であれ、私益であれ、アッラーの法に照らしてその可否が問われることは当然の前提です。公益とは私益の総和ではありません。これはルソーが特殊意志の総和としての「全体意思」と「一般意思」を区別したのに対応しています。個人の私益、欲望の総和である「全体意思」を、共同体全体の福利によって矯正したものが「一般意思」です。ルソーの「一般意思」の正確な理解は難しいので、これ以上を知りたい人は自分で調べて考えてください。「人間は個人としては有限で無力だが、類としては無限で万能である」と言ったのはマルクスですが、個人は遅かれ早かれ死ぬものであり、重要なのは個人の生死ではなく、共同体の存亡です。まぁ、人類もそのうち滅びますが、まだもうしばらく時間があると思いましょう。そう思わないと話が終ってしまいますので。
既に少し述べましたが、COVOID-19はかつてのペストのような「恐ろしい」伝染病と違い、人類レベルでも国家や地方都市のレベルでも共同体の滅亡をもたらすようなリスクはありません。そもそも医学が未発達で治療法もなかった時代のペストの流行で人類の総人口が4億5千万人しかいなかった時代に1億人が死んで3億5千万人にまで減っても人類は生き延びたのです。医学が発達し人類全体で80億人、日本には1億2千万人も人間が存在する現在、極端な話、人口が10分の1に減っても生物学的レベルでは共同体は生き残れるかもしれません。しかし問題は単純に人口総数ではなく人口構成です。日本の人口が1年に44万人以上減っているのは出生数が死亡数を上回り、その差が増え続けている、つまり高齢化が進んでいるからです。ですから日本で人口の9割が死んで10分の1に減っても各世代が一律に死んだのなら、その後に若者が尊重され希望を持つ社会になり出生率が回復しさえすれば日本は蘇ります。しかし人口の3割が死ぬだけでも、それが30歳以下に集中すれば日本は百年絶たずに滅亡するでしょう。その意味でも幼児死亡率が高いインフルエンザと違い、死亡者が高齢者に偏っているCOVOID-19は大きな脅威ではありません。つまり、COVOID-19問題は共同体の存亡にかかわるような公益に関する問題ではなく、個人のライフスタイルの好悪、私益の問題でしかない、ということです。公益に関する議論とは人口減、高齢化対策のようなものを言うのです。
私益が重要でない、と言っているわけではありません。逆です。私益は個々人にとってはかけがえなく大切なものです。中でも生命はそうです。しかし、それは自分にとってだけであり、他の人間にとっては大切でもなんでもなく、その尊重を求めることは倫理的に不可能だということです。ヴィトゲンシュタインなら「倫理の文法において」とでも言うところでしょう。他人に倫理的に求めることができるのはせいぜい人類全体、あるいは民族や国家の存続を脅かす行為を避けることだけです。もちろん、人類、国家、民族、共同体などどうでも良い、取りあえず周囲のものに迷惑をかけなければそれでよい、という価値観も存在します。ただそういう人たちとはそもそも倫理の議論が成立しない、のでここでは無視します。倫理学の議論に慣れていない読者のために、蛇足ながら補足を加えると、どんな共同体もどうでも良い、という人間とは倫理の議論が成立しない、ということはそういう人間を殺してしまえ、ということでもなければ、一緒に仲良く暮らしていくことができない、ということでもありません。飼い犬と倫理的な議論が成立しなくても仲良く一緒にくらしていけるのと同じ、というシンプルな話です。
客観的、理性的に公益を論ずることと主観的、感情的に私益を主張することは厳密に区別しなければなりません。人類の視点に立って倫理的に論ずる場合には、自分にとって得か日本人の利益になるか、などといった私益を顧みず、シリア軍の連日の空爆で樽爆弾で殺されているイドリブの市民、イエメンでサウジアラビアとその同盟国によって包囲され飢餓と伝染病で命を失っているサナアの子供たちも自分と同じ一人の地球人として平等に扱われるために何をすべきか、を考えなければなりません。日本人として倫理的に論ずるなら縁もゆかりもなくとも、原発事故の被害によって未だに自宅に戻れない福島の人々、米軍基地の存在に苦しめられている沖縄の人々がどうすれば日本人として自分たちと同じ生活ができるかと心を配らなくてはなりません。
しかし私的領域では私たちは法が許す範囲で自分たちのことだけを考えればよく、遠く離れた見も知らぬ人のことなど考えなくても構いません。そもそも70億人を超える人類全体のことを考えることなど不可能ですから、知りもしない人間に同情するふりなどする必要はどこにもありません。イスラームは、公共の安全と秩序の維持に責任を持つカリフとその代理人には、「フドゥード(イスラーム刑法)」の執行と、私人間の「人間の権利(フクーク・アッラー)」を巡る訴訟の裁定においては、私益を離れてあらゆる人間をイスラーム法が定めるカテゴリーに則り平等に扱うことを命じていますが、私人にはすべての人間を平等に扱えなどとは決して求めません。むしろ預言者ムハンマドは「アッラーの道に費やした1ディーナールと、奴隷解放に費やした1ディーナールと、貧者に施した1ディーナールと、あなたの家族のために費やした1ディーナールの中で最も(来世での)報酬が多いのはあなたの家族のために費やしたものである」(ムスリムの伝えるハディース)と述べて、貧者への施しよりも家族の扶養を優先するように教えています。
COVOID-19の話に戻ると、COVOID-19は共同体の存亡のかかった公益の問題ではないので、公権力は医学、公衆衛生、経済などを総合的に考慮して他の伝染病とバランスのとれた扱いをすることが求められます。公益と私益を区別すれば、医療崩壊への懸念にも別の見方をすることが出来ます。COVOID-19問題は、はからずも日本の人工呼吸器不足の実態を露呈させました。医療機関に人工呼吸器を充実させるべきだ、という議論は一般論としては異議はありませんが、COVOID-19への対応としての妥当性には疑問があります。
たとえば、『ビジネスインサイダージャパン』は、「48時間治療をしても回復しなければ場合によって人工呼吸器を外す」といったニューヨーク州の人工呼吸器の使用方法に関するガイドラインの一部と「人工呼吸器があれば助けられるのに、人工呼吸器が無い……。一方で、あと数日で亡くなってしまう可能性が高い患者に人工呼吸器を使い続けている……」との新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の会見での武藤香織教授の発言を引用し、自分たち自身が「あと数日で亡くなってしまう可能性が高い患者から人工呼吸を取り外しその分を助けられる患者の治療にあてる」との「この究極の選択を問われる当事者であることを強く意識させる」と書いています。
 こうした当事者面をしたお為ごかしの感情論の綺麗ごとがはびこるのも、視野狭窄の私益と公益の混同のせいです。患者の家族であれば家族のためにできるだけのことをしたいと思うのは当然です。また医者とは目の前にいる患者であれば1秒でも長く生かそうと務めるのが職業倫理です。しかしそれは私益であり、他の人間には関係のないことです。実はニューヨーク市周辺でCOVOID-19患者2600人余りを対象とした大規模研究で対象となった患者の死亡率は21%でしたが、人工呼吸器が必要になった重症者の死亡率は88%、65歳以上の人工呼吸器使用者の生存率はわずか3%だったことが明らかになっています。要するにCOVOID-19患者に限れば人工呼吸器の効果は極めて低いのです。
 世界中のすべての病人の手に全ての必要な医療器具を届けることができる状況にあるなら、全てのCOVOID-19患者に人工呼吸器を用意するのも良いでしょう。しかしユニセフ協会によると、2017年において8億4,400万人が清潔な飲料水にさえ事欠き、不潔な水を飲むことで命を落とす乳幼児は年間30万人、毎日900人以上にのぼっています。清潔な飲料水さえあれば死ななくて済む乳幼児を毎日900人も平気で見殺しにしておきながら、殆ど救命の役に立たたないCOVOID-19患者につける人工呼吸器が不足していて誰に回すかを医者が選ぶことを「究極の選択」と深刻がってみせ、人工呼吸器を買い揃える権限と責任、それを患者に使う権限も責任もないただの部外者に当事者だと錯覚させるような詐術も公益と私益の混同から生じます。

9.ブラック労働への呪縛からの解放から公正な社会へ
権限も責任もない人間が、自分の私益にすぎないものを公益のごとくに見せ掛けて他人を支配する詐術の一つが、医療関係者や運送業者などを「なくてはならない」と持て囃しブラック労働に呪縛するお為ごかしの呪いの言葉です。こうした呪いの言葉は世界中で普遍的に見られますが、中でも特に主語が曖昧な日本でよくみられるように感じます。医療関係者にしろ、運送業者にしろ、高級を取っている役人や大企業の役員たちが快適で安全な暮らしを送るために、その人が「働かなければならない」理由は一つもありません。嫌なら辞めればよいのです。少なくとも、こういう呪いの言葉が口にされる「先進国」では辞めても生活保護が受けられ、死ぬことはありません。そうすることによってはじめてそれら人々が、ブラック労働から解放され、その社会的有用性に相応しい給与と待遇を受けることになります。
COVOID-19に対する自粛要請の唯一の良かった点は、今までいかにも「しなくてはならない」と言われてきた仕事のほとんどが不要不急であったこと、そして多くの民間企業が大打撃を受ける一方で、COVOID-19対策に国家が介入すべきとの声を利用し、「アベノマスク」のような無用の長物に不透明な巨額の資金が投入されたことが明らかになったことです。ですから、本当になすべきことは、現在の不正な搾取のシステムを支えている医療関係者や運送業者などに、「『外で働かなければならない』人たちのことを考えろ」などと猫なで声でブラックな環境に労働者を「呪縛する」呪いの言葉をかけることではなくて、「あなた方は不当な条件でブラックな職場で働き続ける必要などない、辞めて良いのだ」と解放の言葉を贈ることです。
ここでもイスラームの考え方を紹介しておきましょう。既述のようにイスラームでは、義務を全ての責任能力者が行うべき個人義務と、誰かが行えば他の人々は免責されるが誰も行わなければ共同体の全員が罪に陥る連帯義務に分けます。イスラーム教育やジハード(聖戦)、イスラーム刑法の執行のような宗教行為だけでなく、農業、製造業、医学など共同体に必要な仕事も連帯義務になります。自分が何の責任も負わず相手の立場に立ったふりをして呪いの言葉を述べるのではありません。連帯義務とは、他の誰もが行わなければ、自分も神の前で罪を犯したことになる、義務です。医療関係であれ、運送業であれ、「外に出て行わなければならない」のは今そこで働かされている人間ではなく、それを必要とする社会の全ての人間であり、その人間がブラックな環境に耐えかねて「職場放棄」をしたとしても、罪に陥るのは、その者だけではなく、全ての人間が連帯責任でその罪を負うのであり、全ての人間が実際に最後の審判で裁かれる当事者になるのです。イスラームの国法学者イブン・タイミーヤ(1328年没)は、ムスリムが連帯義務を負う社会が必要とする仕事で労働者が正当な権利を奪われ不当に働かせることがないようにすることが為政者の義務であると述べています。

10.終りに
連載も最後なのでまだまだぜんぜん言い足りないのですが、大幅にまた字数をオーバーしてしまったのでそろそろお別れです。最後に思いっきり大雑把な話をして締めくくりとしましょう。
COVOID-19の感染には、韓国のキリスト教カルト「新天地イエス教証しの幕屋聖殿」や、イタリアのカトリック教会、イランのシーア派聖廟などがクラスターになって感染が広がったことが大きく報じられたこともあり、「宗教と科学の対立」というヨーロッパの啓蒙主義以来の議論が蒸し返されることになりました。日本の優れた宗教学者の中村圭志先生は、コロナ禍は相当な長期にわたって「端的に合理的に振る舞う」ことへの圧力が持続するため、宗教にとって大きな打撃となり、神学者・教学者はコロナ禍を切り抜けても、一般信徒は宗教に飽き、宗教の空洞化が進む公算が高い、と予想しています。
この連載でたびたび繰り返している通り、私は現在の世界には、自称他称のムスリムの実践を含めて実際に存在する宗教はほとんどリヴァイアサンとマモンの偶像崇拝でしかなく、そんな宗教の延命にはなんの興味もありません。しかし、コロナ禍によって科学が進歩し人類の行動が合理化する、という中村先生の楽観には与しません。というのは、最初に述べた通り、科学には事実しか語らずいかなる規範も存在しないからです。「存在するものは合理的である」とは哲学者ヘーゲル(1831年没)の言葉ですが、科学の世界には善も悪もありません。存在するものはただあるがままにあり、次の瞬間にはただ消えさるのみです。
「知者の目は、その頭にある。しかし愚者は暗やみを歩む。けれども私はなお同一の運命が彼らのすべてに臨むことを知っている。私は心に言った、『愚者に臨むことは私にも臨むのだ。それでどうして私は賢いことがあろう』。私はまた心に言った、『これもまた空である』と。そもそも、知者も愚者も同様に長く覚えられるものではない。きたるべき日には皆忘れられてしまうのである。知者が愚者と同じように死ぬのは、どうしたことであろう。」(『旧約聖書』「コヘレートの書」2章14-16節)」
人間が科学的真理に則って暮らそうと、迷信と狂信に生きようと、清廉潔白を貫こうと悪逆非道を尽くそうと、愛する家族に囲まれて希望に満ちて幸せに生きようと、病苦と絶望のうちに孤独死しようと、科学的にはすべてただの粒子の離合集散でしかなく、その間にいかなる違いもありません。ただ無意味に行きて無意味に死んでいくだけです。そもそも科学的に生きることが、「現世的」に「有益」かどうかさえ疑わしいものです。世界の長寿者のリストを眺めても著名な科学者の名前はみつからず、ギネスの日本の最高齢の田中カ子さんは1903年、農家の9人兄弟の三女第7子として生まれ1915年に小学校を卒業後12歳から子守奉公をし1952年にキリスト教に入信し現在に至っており、第二位のシスター・アンドレさんは1904年生まれのカトリックの修道女です。幸せに長生きするのに科学的思考が必要と言うわけでもなさそうです。日本の宗教学者島田裕巳先生によると、職業別平均寿命は宗教家がダントツで第一だそうです。
それはともかく、「科学的であれ」という科学主義の主張は科学の命題ではありません。科学主義者にとって重要なのは科学の教える事実そのものではありません。科学主義者にとっての科学は依存症患者の酒、賭博、麻薬、SNSのようなものです。「科学依存」もまた、生きることには価値はなく、誰もが遠からず無意味に死ぬ、という事実から目を逸らす暇つぶしになる、ということです。科学もまたリヴァイアサンやマモンと同じく人間の欲望が虚空に映し出す幻影であり、人を奴隷にする偶像にすぎません。
中世ヨーロッパではペストの流行は、絵画の「死の舞踏」のモチーフを生み、古代ローマでは快楽主義的標語であった「メメント・モリ(死を想え)」を、死を日常的に意識する内省的なキリスト教倫理の格言に変えました。
人口が半減したような凄惨なペストとちがい、COVOID-19はメディアのヒステリックな過剰反応とは裏腹に身の回りでほとんど死者を目にすることはありません。私自身、会う人毎に聞いていますが、直接の知り合いで陽性反応が出た者は一人もいません。知り合いの知り合いでのレベルで、入院して回復したタクシー運転手の知り合いがいる知人が一人いるだけです。これではペストの流行のように万人が死と向き合う、といった実存的経験を日本社会全体に求めることは期待できません。しかし、自粛要請で、強制的に職場を離れさせられたことで、今まで「自分がいなければこの職場は立ち行かない」、「自分が働かねばならない」、「自分の会社が国を、社会を支えている」と洗脳されていた人たちの一部は、「不要不急」の烙印を押されたことで、無意味な虚業と無駄な消費忙殺させることで現世のあらゆる欲望を無価値化する死を忘れさせる物質主義と資本主義の呪縛による微睡から一瞬であれ覚醒しました。
預言者ムハンマドは「人々は眠っている。死んではじめて気づく」との言葉を残しています。コロナ禍は、世界中に600万人を超える感染者、40万人にせまる死者を出し、航空会社の国際線の運航停止、外出自粛、ロックダウンなどのせいで1930年代の世界大恐慌以来の経済危機をもたらしたのみならず、失業、貧富の格差の拡大、人種・民族差別、排外主義の高揚、非常事態を口実とした国家権力の強化などの様々な社会問題を生み出しています。コロナ禍を奇貨として、自分がいつ死ぬかわからない儚い存在であることに気づいた読者諸賢が再び微睡に戻ることなく、いずれ死に逝く人間にとって本当に必要なものが何かを見出されることを望んでやみません。長い間、連載にお付き合いいただきありがとうございました。ではまたお会いする日まで。
「不幸に見舞われた時に『我らはアッラーのもの。彼の許へと帰り逝く』と言って耐え忍ぶ者たちに吉報を告げよ。」(クルアーン2章155‐156節)
ワッサラーム

2020年4月3日金曜日

ガザ―リー著『宗教諸学の再生要約』邦訳(知識の書・知の徳)

本書ガザ―リー著『宗教諸学の再生要約』はオスマン帝国最大の文人キャーティブ・チェレビー(Khājī Khalīfah、1657年没)の書誌学の主著『疑念の払拭(Kashf Ẓunūn)』にも「イスラームの書籍が全て消えて『宗教諸学の再生』が残れば、同書だけで失われたものを補って十分である。」 とまで言われたスンナ派イスラーム学の最も標準的な古典「神学大全」アブー・ハーミド・ムハンマド・ガザ―リー(1111年)の主著『宗教諸学の再生』の要約である。
 本訳で底本としたMu’assasah al-Kutub al-Thaqāfīyah(1990年初版)はこの要約をアブー・ハーミド・ガザ―リー自身の作としているが、al-Hay’ah al-Miṣrīyah al-‘Āmmah li-al-Kitāb(2008年版, ‘Āmir al-Najjār, ed.)では、同書を『疑念の払拭(Kashf Ẓunūn)』(24頁)がアブー・ハーミド・ガザ―リーの実弟でニザーミーヤ学院で彼の教授職の後任でもありスーフィーとしても高名であったアフマド・ガザ―リー(1126年没)が『再生の神髄(Lubāb al-Ihyā’)』と命名した要約と同定している。
ちなみに、『宗教諸学の再生』自体の第1章第1節「知の徳」節を全訳すると以下の通りである。

「知の徳」
 そのクルアーンの典拠は以下のアッラーの御言葉である。「アッラーは彼の他に神はないと証言され天使たちと正義を行う知の持ち主も・・・」アッラーがいかに御自身から始め、天使を次に、知識の持ち主を第三位に置いたことを見よ。それが光栄、優越、名誉であることは言うまでもない。アッラーは仰せである。「アッラーはお前たちの中で信仰する者たち、知を授かった者たちの位階を高め給う。」イブン・アッバースは言った。「学者は信仰者より700階梯上にいる。それぞれ階梯は500年の工程がある。アッラーは仰せになる。「・・・知ってる者たちと知らない者たちが同じであろうか・・・」(39章9節)「彼のしもべたちの中の学者だけがアッラーを恐れる」(35章28節)「言え。私とあなた方の間には、アッラーだけで証人として十分。彼の御許から啓典の知。」(13章43節)「・・・私がそれをあなたに持ってきます。・・・」(27章39節)知の力によって(イフリートにはそれが)できることを示して。「知識を与えられた者たちは言った。「お前たちに災い有れ。信仰し善を行った者へのアッラーの報奨はより良い。・・・」(28章80節)来世の偉大さは知によって理解されることを明らかにされている。「これらのたとえはアッラーが人々に示したが、学者しかそれを理解しない。」(29章43節)それを使徒、または彼らのうち権威を持った者に戻せば、それを捜し当てる者たちはそれを彼らから知ったであろう。」(4章83節)
もろもろの事件におけるその判断を彼らの推論に帰し、アッラーの裁定の発見において彼らの位階を預言者の位階に付随させられた。
そして「あーダムの子孫よ、われらはおまえたちに陰部を覆う衣服と装束を確かに下した。そしてタクワーの衣服・・・」とのアッラーの御言葉について、「衣服」とは「知識」、「装束」とは「確信」、「タクワーの衣服」とは「廉恥」を意味するとも言われている。「そしてわれらは知識に基づいて解明した啓典を、・・・彼らにもたらした。」(7章52節)
そしてアッラーは仰せである。「われらは彼らに啓典をもたらし、それを知識に基づいて説明した。またアッラーは仰せである。「人間を創造し明証を教えられた。」「それからわれらは必ずや知識をもって彼らについて語る。・・・」(7章7節)「いや、それは知識を授けられた者たちの胸の中にある明白なもろもろの徴である。」(29章49節)「人間を創り給うた。表現を教え給うた。」(55章3-4節)これらはただその恩寵を示すために述べられているのである。
伝承については、アッラーの使徒は言われた。
「アッラーは良かれと望まれる者には宗教の知解を授け(yufaqqihu)、その導きを示される。」
「知者たちは預言者たちの相続人である。」 周知の通り、預言者であることを超える位階はなく、その位階の相続以上の栄誉はない。
また使徒は言われた。「諸天と地にあるものは知者のために赦しを請う。」 諸天と地の天使たちがそのために赦し請いに務める者の地位に優る地位があろうか。知者は自分自身に専念し、天使たちは彼の赦し請いに専念する。
使徒は言われた。「叡智は貴人の栄誉を増し、奴隷さえ王侯の地位に届かせる。」
使徒はこのハディースで知識の現世における効果を述べているのであるが、周知の通り、来世の方がより良く、より長続きするのである。使徒は言われた。「偽信者(munāfiq)にはない二つの性質は寡黙と宗教の知解(fiqh)である。」
我々の時代の法学者たち(fuqahā':fiqhの持ち主)の一部の偽善のためにこのハディースを疑ってはならない。それはあなたが「理解(fiqh)」の意味を誤解しているからである。「知解(fiqh)」の意味は後述するが、法学者(faqīh:fiqhの持ち主)の最低条件は、来世が現世に優ることを知っていることであり、その知識が本物で持ち主を支配しているなら、偽善(nifāq)と見栄を免れる。
使徒は言われた。「最善の人間とは、求められる時は他人の役に立ち、求められない時は自足している学のある信仰者である、」
「信仰は裸形であり、その衣服は敬虔さ、装飾は廉恥、果実は知識である。」
「預言者職に最も近い者は学者と戦士(ジハードの人)である。学者は使徒たちがもたらしたもの(聖法)を人に示し、戦士は使徒たちがもたらしたものに則って剣でジハードを行うのである。」
「一人の知者が亡くなるよりも、一部族が死に絶えることの方がましである。」
「人間は金鉱や銀鉱のような鉱脈のようなものである。ジャーヒリーヤ(イスラーム以前の無明時代)の選良は、理解した後のイスラームの選良になった。」
「最後の審判の日に学者のインクは殉教者の知と等価に計られる。」
「私のウンマ(ムスリム共同体)のためにスンナの40のハディースを覚え、それらを人々に伝えたなら、最期の審判の日に私がその者の仲保者、証人となる。」
「私のウンマ(ムスリム共同体)で40のハディースを伝えた者は、最期の審判の日に知解者、知者としてアッラーにまみえる。」
「アッラーの宗教を知解する者は、アッラーがその者の問題を引き受け、思いがけないところから糧を恵み給う。」
「アッラーはイブラーヒームに、『イブラーヒームよ、我は智者であり、あらゆる智者を愛する』と啓示された。」
「学者は地上におけるアッラーの受託者である。」
「私のウンマの二種の者が清廉であれば人々も良くなり、堕落すれば人々も堕落する。王侯と知解者(フカハー)である。」
「私がアッラーに自分を近づけてくれる知識を増やさない日があれば、私はその日の日の出に祝福されることはない。」
知が崇拝と殉教に優っていることについて使徒は言われた。「知者の崇拝者より優れているのは、教友たちの最低の者より私が優れているのに等しい。」 使徒がいかに知識を預言者の地位と等置し知識を欠く行為の地位を貶められたかを見よ。というのは崇拝者は励むべき勤行の対象を知っていなければならないので、その知なしにはそもそも崇拝などないのである。
それゆえ使徒は言われた。「知者が崇拝者に対する優るのは満月の夜の月が他の星に優るかのようである。」
「最後の審判の日に三種の者が執り成しをする。預言者、知者、殉教者である。」 それゆえ知は、殉教が徳が(数多く)伝えられているにもかかわらず、位階において殉教に優り、預言の次に優れているのである。
使徒は言われた。「アッラーを崇める手段として、宗教における理解以上の物は何もない。悪魔にとっては一人の知解者(ファキーフ)の方が千人の崇拝者よりも手強い。全ての物に支柱があり、この宗教の支柱は知解である。」
「あなたがたの宗教の最善のものはその最も容易なものであり、最善の崇拝は知解である。」
「知ある信者は崇拝者である信者に70段階優る。」
「あなたがたは知解者が多く、読誦者、説教者が少なく、物乞いが少なく贈与者が多く、知識が実践より価値がある時代に生きている。しかしやがて知解者が少なく、説教者が多く、贈与者が少なく物乞いが多く知識が実践より価値がある時代が人々にやってくる。」
「知者と崇拝者の間には100の階段があり、各段の間は駿馬の早駆けで70年の行程である。」
「アッラーの使徒よ、最善の行為は何ですか。」と尋ねられると、使徒は「アッラーについての知識である。」と答えられた。「私たちは行為について聞きたいのです。」と言われたが、また「アッラーについての知識である。」と言われた。そこでまた「私たちは行為について尋ねているのに、あなたは知識について答えられました。」と言われると、使徒は言われた。「アッラーについての知識があれば僅かな行為でも役立に立つが、無知であれば多くの行為も役に立たない。」
使徒は言われた。「アッラーは最後の審判の日に人々を復活させ、それから知者たちを復活させ、仰せになる。『知者たちよ、我は我が知を汝らに託したのは、汝らについての我が知識によってでしかない。我は汝らを罰するために我が知識を汝らに託したのではない。我は既に汝らを赦した。行くがよい。』」
私たちはアッラーに良い末期を冀います。
また伝聞には以下のようにある。
アリー・ブン・アビー・ターリブはクマイルに言った。「知識は財産に優る。知識はあなたを守るが、あなたが財産を守る。知識が支配し、財産は支配されるのである。財産は費やせば減るが、知識は費やすほど増す。」 またアリーは言った。「知者は昼は斎戒し夜は礼拝に立つジハード戦士に優る。知者が亡くなると、その後継者(の知者)によってしか埋まらない隙間がイスラームに開く。」 また以下の詩を詠んだ。
知者以外に栄光はない
彼らは正道にあり、導きを求める者の案内人
全ての人間の価値は学んだものによる
無知な輩は知者の敵
それゆえ知識を得てずっとそれで生きろ
人々は死者であり、知者こそ生者
アブー・アスワドは言った。「知識よりも偉大なものは何もない、王侯は支配者であるが、知者は王侯の支配者である。」
イブン・アッバースは言った。「スライマーン・ブン・ダーウード(ソロモンの子ダビデ)は知識、財産、王権の選択肢を与えられ、知識を選ばれたが、それと共に財産と王権も授けられた。」
イブン・ムバーラクは「人間とは誰ですか。」と尋ねられ、「学者である。」と答え、「王侯とは誰ですか。」と尋ねられ、「禁欲者である。」と答え、「下衆とは誰ですか。」と尋ねられ、「宗教を食い物にする者である。」と答えた。
イブン・ムバーラクが知者以外を人間とみなさなかったのは、人間が他の動物から区別される特徴は知識だからである。人間は人間がそれによって高貴であるものによって人間なのであるが、それはその身体の力ではない。それならラクダの方が人間より強いからである。またその大きさによるのではない。それなら象の方が大きいからである。また勇猛さによるのでもない。それなら猛獣の方が獰猛である。また食べるためでもない。それなら雄牛の方が大食である。また交尾のためではない。それなら小さな雀でさえ人間より生殖能力がある。そうではなく人間は知のために創造されたのである。
 ある賢者は言った。「知を失った者が何で埋め合わせられようか、知を得た者に何か失う者があろうか。」
 預言者は言われた。「クルアーンを授けられた者が誰かがそれ以上のものを与えられた者がいると考えたなら、アッラーが重んじられたものを侮ったことになる。」
 またフォトゥフ・マウスィリーが「病人が食べ物、飲み物、薬を禁じられて与えられなければ死ぬのではないか。」と言うと、人々は「はい」と言った。そこで(ファトフは)「心も同じで叡智と知識を3日禁じられて与えられなければ死ぬ。」と言った。彼は真実を述べた、身体にとっての食糧が食べ物と飲み物なように、心の食糧は知識と叡智あり、その二つによって生きるのである。知識を失った者の心は病み、気づかないままに死ぬことは必定である。なぜなら現世の欲と雑念に紛れて(自分が病気であることを)感じないからである。それは傷を負っても死の恐怖がその場の傷の痛みを気づかなくさせるのと同じである、しかし死によってそうした雑念が払われると、死んだことに気づき、終わりのない激しい苦痛に苛まれることになるが、その時はもう遅いのである。それは安堵した者、酔いが醒めた者が、恐怖、酩酊中に負った傷の痛みに気づくのと同じである。私たちはアッラーに覆いが取り上げられる日の庇護を冀います。「人々は眠っており死んだ時に・・・」(ハディース)。気をつけなさい。
 ハサンは言った。「学者の墨と殉教者の血を測れば学者の墨が殉教者の血にまさる。」
 イブン・マスウードは言った。「知識が取り上げられてしまう前にあなたがたは知識を学ばねばならない。知識はその伝承者たちが死に絶えることで取り上げられる。我が魂がその御手にある御方(アッラー)にかけて、アッラーの道に殉教者として死んだ者は、アッラーによる学者たちの厚遇を見て、アッラーが自分たちを学者として蘇らせてくれればと願う。学者として生まれる者は一人もいない。知識は学問による。」
 イブン・アッバースは言った。「私は、(礼拝や勤行で)徹夜をするより、夜の一時に知識を学ぶことをより好む。」 同様な言葉がアブー・フライラやアフマド・ブン・ハンバルからも伝えられている。ハサンは「我らが主よ、我らに現世で善福を来世でも善福を与え、獄火の懲罰から我らを護り給え。」との御言葉について「『善福』とは現世において知識と崇拝、来世では楽園のことである。」と言った。
 ある賢者は「何を手にすべきか。」と問われ、「あなたの船が沈んだ時にあなたと共に泳ぐもの -つまり「知識」- である。」と言った。また「船の沈没は死による肉体の滅亡を意味する。」と言われた。
 またある者は言った。「叡智を手綱とする者を、人々は導師とする。そして叡智をもって知られた者を、衆目は敬意をもって眺める。」
 シャーフィイーは言われた。「知の誉とは、それに関わる者は皆、たとえ些細なものであれ、喜び、それを取り上げられた者が悲しむことである。」
 ウマルは言った。「あなたがたには知が課される。アッラーには愛の外套がある。知識の一部門でも求める者にアッラーはその外套を着せ給う。その者が罪を犯しても悔い改め、また罪を犯しても悔い改め、また罪を犯しても悔い改め、たとえ死ぬまでその罪を重ねようとも、その(愛の)外套を脱がさないようにと。」
 アフナフは言った。「学者はまるで主人であるかのようになり、風格はすべて崩れ、卑小さがその行き先となる。」
 サーリム・ブン・アビー・ジャァドは言った。「私のご主人は私を300ディルハムで買って私を解放した。私は『どんな仕事をしましょうか。』と言い、学問を仕事にしました。そして1年が経つとマディーナの総督が私に会いにやってきたが、私は彼に許しを与えなかった。」
 ズバイル・ブン・アビー・バクルが言った。「イラークにいた私の父が私に手紙をよこした。『学問をしなさい。あなたが貧しい時はそれはあなたの財産となり、富める時にはあなたの装飾となる。』」
 それはルクマーンの子供への遺言の中でも述べられている。「我が子よ、学者たちと膝附合わせ席に連なりなさい。アッラーは空からの雨で大地を賦活するように叡智の光で心を賦活する。」
 賢者の一人が言った。「学者が死ぬと、海の魚も空の鳥もそれを嘆く。その顔は忘れられても、その(学問の)記憶は消えない。」
 ズフリーは言った。「知は男性であり、大人の男だけがそれを愛する。」


『宗教諸学の再生・要約』

(序)
イスラームの証(フッジャトゥルイスラーム)アブー・ハーミド・ムハンマド・ブン・ムハンマド・ガザ―リーは述べた。
アッラーにこそあらゆる恵みに対する称賛は属す。称賛をさせていただくこと自体(を含む恵み)に至るまで。その預言者、使徒、しもべである使徒たちの長ムハンマドとその御一統、教友、その逝去後の後継者(カリフ)、その存命中の副官たちに祝福あれ。
旅先でかさばって持ち運びが大変なので『宗教諸学の再生』を抜粋しようと思いつき、アッラーに助けを求め、正導を願い、その預言者に祝福を祈りつつ、それに取り掛かった。それは40章からなる。アッラーこそ正答を恵み給う。


第1章:知識と学習

(第1「知の徳」節)
 知りなさい。知の徳については、クルアーンに多くが述べられれている。「ムジャーダラ章11節」イブン・アッバースは言った。「学者は信仰者より700階梯上にいる。それぞれ階梯は500年の工程がある。至高者は仰せになる。「ズンマル19節」至高者は仰せになる。「蜘蛛章43節」
 また伝承の中には、以下のようなハディースがある。「学者は預言者たちの相続人である。」「最善の人間とは、求められる時は他人の役に立ち、求められない時は自足している学のある信仰者である、」「信仰は裸形であり、その衣服は敬虔さ、装飾は廉恥、果実は知識である。」「預言者職に最も近い者は学者と戦士(ジハードの人)である。学者は使徒たちがもたらしたもの(聖法)を人に示し、戦士は使徒たちがもたらしたものに則って剣でジハードを行うのである。」「学者は地上におけるアッラーの受託者である。」「復活の日には、預言者たちが(信者のためにアッラーに)執り成しを行い、ついで学者が、ついで殉教者たちが。」
 またフォトゥフ・マウスィリーが。「病人が食べ物、飲み物、薬を禁じられて与えられなければ死ぬのではないか。」と言うと、人々は「はい」と言った。そこで(ファトフは)「心も同じで叡智と知識を3日禁じられて与えられなければ死ぬ。」と言ったが、彼は真実を述べた、身体にとっての食糧が食べ物と飲み物なように、心の食糧は知識と叡智あり、その二つによって生きるのである。
知識を失った者の心は病み、気づかないままに死ぬことは必定である。なぜなら現世の雑用に忙殺されるからである。しかし死によってそうした雑用から目覚めると、終わりのない激しい苦痛に苛まれることになる。それが「人々は眠っており死んだときに目覚める。」とのハディースの意味である。
学習の徳については「学究には天使が満足して翼で抱きしめる。」「朝に知識の一分野を学ぶことは100ラクアの礼拝よりも良い。」とのハディースが示している。
アブー・ダルダーゥは言った。「学びに行くことをジハードだと考えない者は理性、考えに欠けている。」教えることの徳は「アッラーが知識を与えられた者に、人々にそれを教え、それを隠すな、との約定を取られた時」とのアッラーの御言葉が示している。アッラーの使途はこの節を読まれた時に言われた。「アッラーは学者には必ず、預言者たちになされたように、知識を教え隠すなかれとの約定を取られた。」
 預言者はムアーズをイエメンに派遣された時に言われた。「アッラーがあなたを介して一人の男を導かれたなら、あなたにとってそれはこの世界とその中にあるもの(全て)よりも価値がある。」ウマルは言った。「誰かが何かを話して、それを誰か(他人)が実行したなら、彼(話をした者)にも、それを行ったのと同じだけの報償がある。」ムアーズ・ブン・ジャバルは教えることと知について、以下のように述べているが、その伝承は預言者にまで遡ることができる。「知識を学べ。アッラーのために知識を学ぶことは善行、知を求めることは勤行、勉学は賛美、探求はジハード、教えることは喜捨、知をそれに相応しい者に授けることは奉献である。知は孤独の慰め、独居の伴侶、禍福に応じた導き手、親友の中の腹心、朋友の中の同志、楽園への道の光塔である。アッラーは知識によって人々を高め、彼らを人々を牽引し行き先を示す善の先導者、幸福の案内人とされ、彼らの行跡は辿られ、彼らの行為を注視され、天使は彼らの装飾を望み、その翼で彼らを愛撫し、湿ったものも乾いたものも全てが彼らを称え、海の魚介類や陸の獣や家畜、空と星に至るまで彼らのために赦しを請う。なぜならば知識は心の蒙を開き、闇の中で目を照らし、身体の弱さを強め、人は知によって篤信者の境地、最高の段階に達し、知識の思索は斎戒、勉学は夜の礼拝に匹敵し、アッラーが従われ、崇拝されるのは知によってであり、主が唯一の神として畏れられるのも知に基づいてであり、知によって親戚関係が繋がれる。知が主で、行為は従なのである。アッラーは幸運な者には知を授け、惨めな者には知を遮断されるのである。
理性に照らしても、学問の徳は隠れもない。なぜならそれによって至高なるアッラー、その近く、その側に到達するからであり、それは終わることのない永遠の至福、永久の快楽であり、それによって現世の栄光と来世の至福があるからである。現世は来世の畑であり、学者はその知識によって、自分自身のために、その知識の要請に応じた自己修練によって来世の至福のための種を植えるのである。また教育によっても永遠の至福の種を植えることになるだろう。なぜなら人々の人格を陶冶し、彼らを自らの知識により至高なるアッラーに近づけるものに誘うからである。「叡智と良き訓戒であなたの主の道に招き、彼らと最善のもので議論せよ。」(16章125節)それゆえ彼(学者)は選良は叡智によって、大衆は訓戒によって、頑迷な者は議論によって呼びかけ、自分を救い、他人をも救う。これこそ人間の感性なのである。