2017年7月18日火曜日

「どうなるイスラーム国消滅後の世界?」

2017年7月17日 
『帝国の復興と啓蒙の未来』出版記念講演 
 イベントバー・エデン  
                
「どうなるイスラーム国消滅後の世界?」
               中田考
            
       発表レジュメ
                

啓蒙: 人類と世界史の誕生
世界宗教の誕生:仏教、道教、儒教、キリスト教、イスラーム
イスラームにおいて真の普遍的宗教の概念が生まれる(dīn)
アッバース朝によるイスラーム文明を地理的中心とする西欧、東欧、インド、アフリカ、中国をつなぐ世界ネットワークの形成
アッバース朝のネットワークを継承したモンゴルによるパクス・モンゴリカの時代
イル・カーン国、キプチャク・カーン国、チャガタイ・カーン国のイスラーム化
(イラン文明、ロシア文明、インド文明にイスラーム文明の刻印)
イル・カーン国宰相ラシードゥッディーン(1318年没)『集史』=最初の世界史

2.現代: 文明の再編
 19世紀=西欧による世界支配
20世紀=西欧の自滅米ソによる破産処理ソ連の崩壊米の長期的衰退
 21世紀=帝国の復興による文明の再編
  ロシア文明、中国文明、イスラーム文明、インド文明、西欧文明
  イスラーム文明:中核国家無し。トルコ、エジプト、サウジ、パキスタン、イラン
  インド文明:西欧化(ブリティッシュラジャ)?イスラーム化(ムガールラジャ)?
  西欧文明:西欧と英語圏(アングロスフィア)の分裂?
地政学・文明論・国際政治
 それぞれが独自の主体(アクター)とタイムスパン
アクター:地政学=地域、文明論=文明、国際政治=領域国民国家
タイムスパン:地政学=長、文明論=中、国際政治=短
 それぞれは独自の理路とメカニズムを有し、それらは往々にして矛盾
 それゆえ、世界の動きは、その多層性、錯綜性において分析されねばならない
イスラーム文明
文明は時間的に誕生や終焉の時点を明確に言えず、空間的な広がりも領域国民国家と違い明確な国境によって区切られておらず、同一文明内部でも成熟、衰退には時間差存在。
 住民と一対一で対応する関数でもなく、一人の人間が複数の文明に所属することも可。
 トインビー:イスラーム文明はシリア文明(アケメネス帝国)の継承文明
 三木亘:西洋「一神教諸派複合」東洋「儒・仏・道教複合」南洋「仏教・ヒンズー教複合」
 井筒俊彦:西洋―東洋(イスラームを含む)
 イスラーム文明
文明的一体性を認識しつつ、国際政治、地域研究では中核の中東と周辺部を区別すべき
 過去にイラン文明を吸収、統合したように将来的にインド文明も統合か?
 (イラン文明が独自のペルシャ・シーア派サブ文明となったようにインド文明も?)
 但し「世界宗教」はリヴァイアサンとマモンを配偶神とする国家崇拝・拝金教
 どの文明圏もこの「国家崇拝・拝金教」の論理で動く。イスラーム圏も例外ではない。
キリスト教(カトリック、正教、プロテスタント)、ヒンズー教、仏教、ユダヤ教だけではなく、現在「イスラーム」と呼ばれているものも、この「国家崇拝・拝金教」の正体を覆い隠す仮面として、「領域国民国家システム」と「資本主義」の支配をイデオロギー的に補強する機能を果たしている。

文明の再編
現代:西欧(+米)の長期的衰退、非西欧文明の担い手であった近世の世界帝国の継承国家(ロシア帝国、オスマン帝国、清帝国、ムガール帝国)による文明の再編の時代
西欧の覇権の衰退は不可逆であるが、西欧文明は今なお世界を動かしており、文明の再編の成否は、まず諸文明圏における「内なる西欧文明」の批判的克服を成し遂げることができるか、そしてそれを西欧(あるいは西洋、欧米)にフィードバックすることができるか否かにかかっている。(序.頁より)

地政学
 覇権の海洋国家から大陸国家への移転
 「新しいグレートゲーム」、中国、ロシアの挑戦。隠れた主役はトルコ。
我々の前に開かれた21世紀とは、「カロリング朝欧州」を中核とする西欧の大陸国家がオスマン朝カリフ国の旧領を統合した「新しいローマ帝国」として西欧・中東の文明的的見取り図を塗り替え、トルコとイギリスを二つの焦点として、トルコを焦点に中央アジアのチュルク系諸国、ロシア、中国のユーラシア帝国同盟を、イギリスを焦点に、英語文化圏諸国と連帯する楕円構造を有することでハートランドを制し、ワールドアイランドを支配するような未来が可能性として開かれているような世界 

イスラーム国の出現の背景
 フランス革命以来のヨーロッパの植民地支配における民族主義とヒューマニズムの矛盾
  国境の廃絶、領域国民国家システムの打破
 シーア派の台頭:イラン・イスラーム革命、法学者の統治論によるシーア派の統一
  アッバース朝の首都バグダードがシーア派イランの勢力圏に
 チェルディラーンの戦い(1514年-ゾハブ条約1638年)以来の勢力図の塗り替え
 スンナ派は腐敗堕落、分裂、為す術無し カリフ制再興だけが解答

イスラーム国が壊した世界
 民族主義の差別主義とヒューマニズムの矛盾を糊塗する虚飾と偽善の世界
   暴力と差別の第三世界への囲い込みに風穴  可視化  西欧への浸潤
 イスラーム、アラブの大義と国益(支配者の私益)の矛盾を糊塗する偽善と矛盾の世界
 サラフィー主義、ムスリム同胞団などスンナ派ムスリム運動全ての弾圧
 イスラエルとサウジの接近

カリフ制再興
 「大地と人類を領域国民国家システムの牢獄から解放するカリフ制」の理念
 スペクタクルなイスラーム国樹立、カリフ制再興宣言により世界に拡散
 人類の啓蒙が不十分な時点での領域支配は時期尚早  「イスラーム国」消滅
カリフ制の理念と共に、第三世界に囲い込まれていた「暴力と差別」が「平等に」「先進国」にも拡散 (先進国におけるテロとゼノフォビア)
イスラーム国の世界同時(ジハード)革命路線によるイスラーム国樹立(領域支配)
一国議会主義によりカリフ制樹立を目指していたエルドアンを窮地に
(西欧からカリフ制に対する懸念が強まり、支持者からは生温いと突き上げ)
エルドアン支持:オスマン朝再興を目指すナクシュバンディー教団+ムスリム同胞団
イスラーム国がもたらしたスンナ派世界の分裂(影の主役はイスラーム国)
イスラーム(カリフ)派と(カタル・トルコ枢軸)vs
反イスラーム派に分裂(サウジアラビア、UAE、エジプト)
 GCC危機(カタル・ボイコット) サウジアラビア滅亡加速化 

10.「平等な世界」
西欧の啓蒙によって自由、民主主義の平等な世界の実現ではなく、暴力による強権支配と民族差別による西欧の後進国化による世界の平等の実現
西欧の欺瞞と偽善が破綻 右翼(ゼノフォビア+ファシズム)の台頭(トランプ、安倍)

結論
 世界の未来は文明の再編の複数の可能性に開かれており、私たちの双肩にかかっている
「大地と人類を領域国民国家システムの牢獄から解放するカリフ制」だけが解答




資料『帝国の復興と啓蒙の未来』

序 (6頁)
21世紀は文明の再編の時代であるが、それは「カロリング朝欧州」(ドイツ財務相ショイブレ)を中核とする西欧の大陸国家がオスマン朝カリフ国の旧領を統合した「新しいローマ帝国」として西欧・中東の文明的的見取り図を塗り替え、トルコとイギリスを二つの焦点として、トルコを焦点に中央アジアのチュルク系諸国、ロシア、中国のユーラシア帝国同盟を、イギリスを焦点に、英語文化圏諸国と連帯する楕円構造を有することでハートランドを制し、ワールドアイランドを支配するような未来が可能性として開かれているような世界なのである。
 西欧の覇権の衰退は不可逆であるが、西欧文明は今なお世界を動かしており、文明の再編の成否は、まず諸文明圏における「内なる西欧文明」の批判的克服を成し遂げることができるか、そしてそれを西欧(あるいは西洋、欧米)にフィードバックすることができるか否かにかかっている。そして文明の再編は、ウィーン条約体制とも言われる、相互に独立平等と仮定された主権国家を単位とする領域国民国家システムの解体を必要とする。
そしてこの文明の再編の鍵を握っているのは私見によるとトルコである。理由は現在のトルコのエルドアン政権が地政学的にもアフロ・ヨーロシアの世界国家オスマン帝国の自覚的な継承国家を目指しており、中央アジアのチュルク系国家の盟主的地位にあることだけではない。西欧の植民地支配の遺制であるサイクス・ピコ協定によるイラクとシリアの国境を「解放」し、領域国民国家システムに真っ向から挑戦し、イスラームの合法政体「カリフ制」の再興を謳った「イスラーム国」が2014年に成立し、アメリカの主導する有志連合による侵攻で破綻国家化していたイラクに次いで、「アラブの春」の波及による内戦によりシリアも破綻国家化し、百万人を超える難民がトルコ経由でヨーロッパに流入したことは、域内におけるトルコの存在感を高めると共に、中東における領域国民国家システムの有効性に疑問を投げかけ、オスマン帝国の統治システムの再評価を求め、人権と平等の尊重を唱えるEUの難民への対応における二重基準を非難するトルコの主張に重みを与えている。
また仮にエルドアン政権が政敵によって打倒された場合、イスラーム主義者と世俗主義者の対立が激化し、トルコは内乱に陥り、シリア化することが予想される。シリアの4倍の人口規模を持ちヨーロッパと陸続きのトルコが内戦状態になった場合、トルコから一千万人規模の「難民」がヨーロッパに押し寄せることになり、ヨーロッパの「ムスリム難民問題」は制御不能になり、新たな秩序構築のためにやはりヨーロッパは新たな根本的な変化を伴う再編を強いられることになる。トルコが文明の再編の鍵を握るとは、このポジティブな意味とネガティブな意味の二重の意味においてなのである。

後書 (277-281頁)
 欧米で顕在化しつつあるのは、領域国民国家システムの中で偽善的にオブラートに包まれ明言されずにきたナショナリズムの民族差別主義、排外主義だけではない。より本質的な問題は、欧米がこれまで自らのアイデンティティの拠り所としてきた自由、人権が次々と失われつつあることである。9・11アメリカ同時多発攻撃事件を機に、ブッシュ元大統領が制定した愛国者法を皮切りに、テロ対策を口実とする自由と人権の制限が、西欧諸国で進行しつつある。
 それは勿論、西欧に限ったことだけではない。偽善的ではあっても、これまで自由と人権の擁護者の役目を演じてきた欧米、特に「世界の警察」を気取ったアメリカが、その役目を放棄したことにより、箍がはずれたロシアや中国のような旧共産圏の全体主義諸国、独裁者たちが支配する第三世界の国々は「テロとの戦い」を口実に、ますます人権を蹂躙し抑圧体制を強化しつつある。
 東アジアの中国、韓国、北朝鮮、日本におけるナショナリズムの差別主義、排外主義の高まりも、このグローバルな動きの一環である。そして第二次世界大戦の敗戦後、米の占領の下での改憲によって国民を主権者とする国家に生まれ変わり欧米自由民主主義陣営に組み込まれたとはいえ、戦前のファシズムの十分な清算をすませることなく、西欧流の自由主義、民主主義、人権などの価値観を表層的にしか内面化してこなかった日本において、現在、欧米から、極右と呼ばれる政権によって特定機密保護法、共謀罪などが制定され、警察国家化が進行しているのは、むしろ当然とも言えよう。
 筆者は、1986年から1992年にかけてムバーラク独裁政権のエジプト、故ファハド国王が専制政治を行うサウジアラビアで暮らしていたが、日本の現状には、奇妙な既視感を抱かざるをえない。まだ大きな隔たりがあるとはいえ、日本は着実に中東の独裁、専制国家への道を歩みつつあるように思われる。
 これまで日本は、市民革命で民主化を達成した先進欧米諸国を範として学び近代化を進めてきた。麻生副総理は「ナチスの手口に学べ」と発言し物議をかもしたが、現代日本がモデルとすべきは、もはや欧米ではなく、中東諸国なのかもしれない。世界システム論者のイマニュエル・ウォーラーステインは、西欧は世界を、自らの属する西欧近代文明社会、他者たる近代以前の高文明社会、未開社会に分け、西欧近代文明社会の認識には社会科学(社会学、経済学、政治学、社会心理学etc.)、高文明社会の認識には東洋学(オリエンタリズム)、未開社会の認識には人類学を割り振ってきた。しかしグローバリゼーションと世界システムの一体化がここまで進行した現在、この認識論的分断はもはや維持できない。
 そして皮肉なことにグローバリゼーションは、「進んだ」西欧によって啓蒙された世界ではなく、「遅れた東洋」の「専制」抑圧体制が西欧に浸透し、ハイブリッドな全体主義的システム独裁警察国家のジョージ・オーウェル的ディストピアを生み出そうとしているようにも見える。
 そうであるならば、我々に今求められているのは、これまで「他者」として排除してきた「東洋(オリエント)」、特にエドワード・サイードの『オリエンタリズム』が主たる研究対象とした中東・イスラーム世界を、相互に絡まり支え混ざり合い一つにシステムを構成する同時代現象の一部として、自分たちの主体的な自己認識の中に組み込むことであろう。
 本書が、イスラーム研究の立場から、我々が目の当たりにしているリアルタイムの帝国の復興と文明の再編のプロセスを描き出した所以である。30万人の死者、500万人の難民を出したシリア内戦を我々と無関係な遠い世界の問題ではない。「テロ」対策の名の下に万単位の国民を平然と殺すことができるアサド政権は、ブッシュの「テロとの戦争」が生み出した警察国家のディストピアの戯画であり、それは明日の日本の姿かもしれない。そして過去において多くの文明と共存し、それを統合し発展してきたイスラーム文明の歴史の中には、西欧文明の病理であるナショナリズムの差別主義、排外主義と、全体主義的システム独裁に対する解毒剤、有効な処方箋が見つかるかもしれない。
 文明の再編は歴史の必然であるが、不幸なのは、世界的な政治の劣化の中でそれが行われつつあることである。ブッシュは「対テロ」戦争の名の下に、アフガニスタンでターリバーン政権、イラクでサダム・フセイン政権を打倒した。軍事的には、最初から勝敗の帰趨は最初から明らかであったが、政権崩壊後の青写真が描けないために、イスラーム地域研究者たちはおしなべて軍事行動に反対であった。ところがブッシュは圧倒的な軍事力、経済力があれば軍事的な制圧のみならず、その後の民主化、西欧化も容易であると考えて軍事行動に踏み切った。そしてその結果として、アフガニスタンでは国土の7割から8割がターリバーンの支配下に入り、イラクでは「イスラーム国」が樹立されるなど、両国は破綻国家化することになったのである。占領軍に対するレジスタンスが殆ど皆無であった第二次世界大戦後のドイツ、日本におけるアメリカの占領行政と比べても、今日のアメリカ政治の劣化は誰の目にも明らかである。
 アメリカのネオリベラリズムに見られるように、病膏肓に入った資本主義社会において、資本は、あらゆるものを物理的な形を取り数量化され計算可能で短期的に確実な利益が見込めるものに還元し支配しようとするようになるが、そうした視野が狭く単眼的な資本主義的思考様式が至らしめるところが、現在欧米だけでなく日本でも進行しつつある政治の劣化なのである。
 文明の再編がカタストロフをもたらさないためには、こうした政治の劣化に歯止めをかけねばならない。そのためには軍事や経済だけではなく、現在なお命脈を保っている諸文明が千年以上にわたって存続することを可能にさせたその基底にある世界観、即ち人間の生を宇宙と歴史と社会の中に位置づけ、生きる意味と行動の指針を与える宗教が蓄積してきた宗教の叡智に再び目を向け、謙虚に耳を傾ける必要がある。本書が、読者諸賢が今もなお生きる宗教の叡智の学びへと誘うことができれば筆者にとって望外の喜びである。 

2017年6月30日金曜日

イブン・タイミーヤの礼拝に関するファトワー

【礼拝の時刻について】

質問
播種・耕作・大いなる汚れの状態▼1、主人への奉仕などの仕事により夜間の礼拝を昼頃まで遅らせる人々がいるが、それは許されるか否か。

答え
昼間の礼拝を夜まで、あるいは、夜間の礼拝を昼まで遅らせることは誰にも許されない▼2。それは収穫・耕作・業務・大いなる汚れの状態・小さな汚れの状態▼3・狩猟・娯楽・遊技・主人への奉仕など、いかなる行為によるのであっても許されない。否、ムスリムはすべて、ズフルとアスルの礼拝を昼間に、ファジュルの礼拝を日の出前に行い、いかなる業務、娯楽などの行為によってもそれを怠ってはならないこと、また、主人は奴隷が、雇主は雇人が定められた刻限内に礼拝を行うことを妨げる権利がないこと、業務・狩猟・主人への奉仕などで、それらの礼拝を太陽が沈むまで遅らせる者には懲罰が科されなければならないことなどに関して、合意(イジュマー)が成立している。それどころか、学者の多数派の意見では、悔い改めを呼びかけられた後なら、(礼拝を故意に遅らせたり、怠ったりすることには)死刑を科すことが義務となる。つまり、悔い改めたなら、定刻内に礼拝しなければならず、礼拝が義務として課されるのであるが、もし、業務・狩猟などに忙殺されて、「日没後まで私は礼拝しない」と(公然と)言うならば、(そのような者は)処刑されるべきである。
 両『正伝集』によれば、預言者(彼に神の平安と祝福あれ)は、「アスルの礼拝をやり過ごした者は、家族と財産を損なうようなものだ」、あるいは、「アスルの礼拝をやり過ごした者は、彼の行為も無に帰すのである」と語られたと確認されている。(『日訳ムスリム』第1巻、422■423頁)また、(初代カリフ)篤信者アブー・バクルの(第2代カリフ)ウマルへの遺言にも、「神には、夜には夜の権利があり、それは昼には受け入れ給わない。また昼には昼の権利があり、それは夜には受け入れ給わない」と言われている。
 また、預言者(彼に神の平安と祝福あれ)はハンダクの戦いの日、不信仰者に対する聖なる戦いにかかりきりで、アスルの礼拝を遅らせ日の出の後でそれを行われた。そこで至高なる神は、「各礼拝(『日訳ムスリム』第1巻424■425頁)、中間の礼拝を守れ」(Q. 2章238節)という節を下されたのである。また、両『正伝集』は、預言者(彼に神の平安と祝福あれ)が、「中間の礼拝とはアスルの礼拝である」と言われたと伝えているが、その言葉ゆえに、大多数の学者は、(クルアーンの)この節によりアスルの礼拝の遅延は認められなくなったと言い、たとえ戦争状態にあっても、礼拝の遅延は許されず、定刻内での礼拝が義務とされるのである。これがマーリクやアッ=シャーフィイーの考えであり、またアフマド・ブン・ハンバルの考えとしても知られている。しかし、アフマド・ブン・ハンバルについては、彼は戦争状態においては、(定刻内の)礼拝の実行と、(止むを得ない)遅延のどちらかを選ぶことを許したとも伝えられている。アブー・ハニーファの考えは、先ず戦争に専念し、定刻後に礼拝すべきであるとする。業務や農業や狩猟や種々の仕事など、ジハード以外の理由による礼拝の遅延については、学者は誰もそれを認めていない。
 否、至高なる神は、「禍あれ、礼拝しながらも、礼拝に身が入らず」(Q. 107章4・5節)と仰せになったが、サラフ(初期のムスリムたち)の一部は、「それは礼拝を定刻から遅らす者のことである」と言い、また、別の者たちは、「それは、たとえ定刻内に礼拝をするとしても、定められた形でそれを行わない者のことである」と言っている。
 礼拝を定刻より遅らすことは、学者たちの間の合意によれば、禁止事項(ハラーム)であるとされる。学者たちは、夜間の礼拝を昼に、昼間の礼拝を夜に遅らせることは、ラマダーン月の断食斎戒をシャッワール月に遅らせることに等しい、という見解で一致している。つまり、「ズフルとアスルの礼拝を夜に行なう」と言う者は、「私はシャッワール月に断食斎戒する」と言う者と等しいということで、学者たちの意見は一致している。
 遅延が許されるのは、寝過ごした者と、(礼拝の時刻を)忘れていた者のみである。それは、預言者(彼に神の平安と祝福あれ)が次のように言われたとおりである。「礼拝を寝過ごしたり、あるいは、忘れていた者は、そのことに気づいた時に礼拝を行え。そしてその時が、礼拝の時刻となるのであり、それ以外に償いは必要ではない。」
 また、大いなる汚れ、小さい汚れ、それ以外の汚れ▼4などを理由として、定められた時刻から礼拝を遅らせることも認められない。
 ひとは、(それぞれの)状況に応じて「定刻内に礼拝しなければならない。つまり、小さい汚れの状態にあって、水がないか、あるいは、水の使用が有害である場合は、土や砂による洗浄▼5を行ってから礼拝すべきである。大いなる汚れの状態にあるときも同様で、水がないか、病気に障ったり冷たすぎるなど、水の使用が有害であるとの恐れがあるなら、土や砂で体を浄めてから礼拝すべきである。また同様に、裸体の者も、裸体のままで、定刻内に礼拝すべきであり、着衣で礼拝できるようになるまで礼拝を遅らしてはならない。また、ひとに、拭い去れない汚れがある時には、その状態のまま定刻内に礼拝すべきである。
 また、預言者(彼に神の平安と祝福あれ)がイムラーン・ブン・フサインに、「立って礼拝せよ。もしできなければ座って、もしそれもできなければ横になってせよ」と言われたように、病人も同様に、その病状に従ってそれぞれの状態で定刻内に礼拝すべきである。学者たちの一致した見解では、病人は、立つことによって病状が重くなるようなら、座るか、横になって定刻内に礼拝しなければならず、(病状の回復を待って)定刻を過ぎてから、立って礼拝しようなどと考えるべきではない。
 それはつまり礼拝は定刻内に行うことが義務であり、時刻こそ礼拝に関する諸義務の中で最も優先されるべきものだからである。それはラマダーン月の斎戒が、その期間内の遂行が義務であり、誰にもそれを遅らせることが許されないのと同じである。但し(礼拝に関しては)ムスリムたちのイジュマーで、アラファ▼6でのズフルとアスルを一緒に続けて行うこと(結合)、ムズダリファでのマグリブとイシャーアを一緒に続けて行うこと(結合)は許されており、また多くの学者の意見によると、旅行や病気などの理由があれば、マグリブとイシャーア、ズフルとアスルの礼拝を一緒に続けて行うこと(結合)も許されるのである。
 しかし昼間の礼拝を夜に、夜間の礼拝を昼まで遅らすことについては、学者のイジュマーで、病気によっても、旅行によっても、どんな仕事、工作によっても許されない。(ウマイヤ朝第8代カリフ)ウマル・ブン・アブド・アル=アジーズ(神よ彼を嘉し給え)は言った。「理由なく2つの礼拝を一緒に続けて行うこと(結合すること)は大罪の一つである。しかし旅行者は2ラクア▼7の礼拝で済ますことができ、4ラクアの礼拝をする義務はない。」学者のイジュマーによって、「短縮」(の許される)旅行中の旅行者には2ラクアで足りるのである。
「全ての旅行者が、4ラクアの礼拝を行わねばならない」と言う者は「全ての旅行者が、ラマダーン月に斎戒を行わねばならない。」と言う者と同じで、どちらもともに誤っているのである。また、ムスリムたちのイジュマーに反しているのである。それを唱える者は悔い改めを求められ、それがいれられなければ処刑される。ムスリムたちは、旅行者が4ラクアの礼拝を2ラクアで行いファジュルの礼拝を2ラクア、マグリブの礼拝を4ラクアで行い、ラマダーン月に斎戒を行わず、後にその埋め合せの斎戒(断食)を行えば良いことでイジュマーに達している。
 旅行中に、ラマダーン月に斎戒(断食)を行い、あるいは4ラクアの礼拝を行う者については、学者の間で判断に相違があることが知られている。中には、「それは正しくない」という者もある。病人に関してはムスリムのイジュマーで斎戒を遅らすことが許されるが、逆に礼拝は遅らすことが出来ないのがムスリムたちのイジュマーなのである。旅行者は斎戒は遅らすことが出来るが、礼拝は遅らすことが許されない、というのがムスリムたちのイジュマーなのである。
 そしてこれは、礼拝を定刻に行うことの遵守が、期間中に斎戒を行うことより、より重要であることを示すものである。至高なる神は、「礼拝を放擲し、欲情に耽ける後継者が彼らの跡を継いだのだ」(Q. 19章59節)と仰せになったが、サラフの或る者たちは、「『礼拝を放擲し』とは、礼拝の遅延のことを指す。(なぜなら)もし彼らが礼拝を拒否するなら、彼らは不信仰者となるのだから」と言っている。
 預言者(彼に平安と祝福あれ)は言われた。「私の後ろに礼拝を定刻から遅らせる指導者たちが出現することになる。しかし定刻どおりに礼拝を行え。そして彼らと行う汝らの礼拝は、任意の礼拝とせよ。」ムスリムはアブー・ザッル(教友)からの伝承として、それを伝えている。アブー・ザッルはこう述べている。「預言者(彼に平安と祝福あれ)は言われた。『もしおまえの上に、礼拝を定刻から遅らせ、後回しにする指導者が現れたらどうする。』私は言った。『私に何をお命じになるのですか。』彼は言われた。『定刻内に礼拝を行え。そのうえで彼らの礼拝に居合わせたなら、ともに礼拝せよ。それはおまえにとって任意の礼拝となる。』」
 またウバーダ・ブン・サーミト(教友)によると、預言者(彼に平安と祝福あれ)はこう言われた。「『汝らの上に、世事にかまけて定刻が過ぎるまで礼拝を怠る者が出る。しかし礼拝は定刻内に行え。』ある男が言った。『私は彼らと礼拝します。』預言者は言われた。『うむ、もしおまえがそうしたいなら。そしてそれは任意の礼拝とせよ。』」アフマド・ブン・ハンバルとアブー・ダーウードがそのハディースを伝えている。また、イブン・マスウードはこう伝えている。「預言者は言われた。『もし私にそれが起こったなら、私に何をお命じになりますか、アッラーの使徒よ。』彼は言われた。『定刻内に礼拝せよ。そして彼らとの礼拝は任意のものとせよ。』」
 それゆえ、船が難破したとか、追い剝ぎが服を奪ってしまったとかで、裸になってしまった者は、裸ででも定刻内に礼拝すべきである、ということで学者たちはイジュマーに達している。また旅行者は、定刻過ぎに水を見つけられるとしても、水がなければ砂で浄め(タヤンムム)を行って礼拝すべきことが学者たちのイジュマーである。同様に大汚の旅行者も、水がなければ砂で浄めをして礼拝し、やり直しの必要がないことは、四法学派の学祖たちのイジュマーである。同様に、寒さが厳しくとも、沐浴をしてから礼拝しようと、礼拝を遅らしてはならないのである。預言者(彼に平安と祝福あれ)は言われた。「たとえ10年間水を見いださなかったとしても、清浄な砂がムスリムを浄めてくれる。しかし水を見つけたときは、それで皮膚を濡らせよ。それはなお良いからである。」
 水(による浄め)によって許されるようになることは、全て砂による浄めによっても許される。それゆえ、砂による、礼拝のための義務の浄めを行ったなら、礼拝の中であれ、それ以外の時であれ、たとえ大汚の状態にあったとしても、クルアーンを読むことが出来るのである。
 砂で浄めて礼拝を行うことを禁ずる者は、ユダヤ教徒やキリスト教徒の類である。なぜなら、砂による浄めはムハンマド(彼に平安と祝福あれ)に従った者の共同体にのみ、許されたことだからである。そして、それは預言者(彼に平安と祝福あれ)が、真正なハディースにおいて、次のように言われている通りである。
「我々は次の三点で、他の人々に優る恩恵を与えられている。先ず、我々の団結(列)は、天使の団結(列)のようにされている。第二に、私のために大地がモスクとされ、その土が(ムスリムを)浄めるものとされた。第三に、私は戦利品を取ることが許されたが、それは私以前の預言者たちには許されていなかったのである。」また別のテキストでは「私のために大地が、モスクであり、かつ(ムスリムを)浄めるものとされた。それゆえ、我がウンマに属する者は、どこで礼拝の時間をむかえようとも、その土地がモスクとなり、それによって身を浄めることが出来るのである。」
 定刻前に砂での浄めが許されるか、また砂での浄めは各礼拝毎に行わねばならないか、言い換えるならば、、定刻が過ぎれば無効となるのか、それとも水で浄めた場合と同様に礼拝でき、洗浄を無効とするものによってのみ無効とされるのか。あるいは、水の使用が可能となった時点で無効となるのか、などの問題については学者の間に見解の対立がある。水の使用が可能となった時点で無効となる、というのがハナフィー派の見解であり、ハンバリー派などにもこの説を採るものがある。それは預言者(彼に平安と祝福あれ)が、「たとえ10年間、水を見いださなかったとしても、清浄な土埃がムスリムを浄めてくれる。しかし水を見つけたときは、それで皮膚を濡らせ。それはなお良いからである」と言われたからである。アッ=ティルミジーはこの伝承を正しく真正ものだと言っている。
 またある人に汚れがあり、それを取り除く手段がない場合には、汚れのあるまま定刻内に礼拝すべきである。ウマルも傷が出血していたとき、定刻が過ぎるまで礼拝を遅らせず、そのまま礼拝した。
 汚れた衣服しか持たない者については、裸体で礼拝せよとも、それを着けて礼拝し、(あとで清浄な服を着て)やり直せとも、それを着て礼拝すれば良く、やり直すには及ばないとも言われるが、最後の説が正しい学説である。なぜなら、神は義務の礼拝を繰り返すことを、命じ給わないからである。ただし、可能であったのに、やるべきことをやらなかった場合は別である。例えば、各動作毎に間をとらずに礼拝した場合は、その礼拝はやり直すべきであり、預言者(彼に平安と祝福あれ)は、間合いを取らずに礼拝をした者に、「戻って礼拝をやり直せ。おまえは礼拝をしたことにならない」と言われて、礼拝のやり直しを命ぜられたのである。
 同様に浄めを忘れ、洗浄しないで礼拝をした者も、礼拝をやり直さねばならない。預言者(彼に平安と祝福あれ)は、洗浄をしながらも、足の一部を洗い忘れて、水がかからなかった者に、洗浄と礼拝のやり直しを命ぜられたのである。
 命じられたことを力の限り行った者については、至高なる神は、「可能な限り、神を畏れよ」と仰せになり、預言者(彼に平安と祝福あれ)も、「私が汝らに何かを命じたなら、出来る限りのことを果たせ」と言われている。
 定刻内に目覚めたが、水が遠くにしかなく、そこまで行くと定刻が過ぎてしまう場合には、砂で浄めを行って定刻内に礼拝すべし、というのが学者たちのイジュマーである。
 同様に寒さが厳しく、冷水が身体(健康)を損なうとき、風呂に行ったり、湯を沸かしていると、定刻が過ぎてしまう場合には、砂で浄めを行って定刻内に礼拝すべし、というのが学者たちのイジュマーである。
 このことに関して男女の区別はなく、二人が大汚の状態にあり、定刻内に沐浴が不可能ならば、その二人は砂で浄めを行って、定刻内に礼拝すべきなのである。
 また、月経のあった女性が、礼拝時刻内に、出血が止まったが、沐浴をしていると定刻が過ぎてしまう場合には、砂による浄めを行い礼拝すべきなのである。
 定刻を過ぎても、水で洗浄を行ってから礼拝する方が、砂で浄めをするだけで定刻内に礼拝を行うより、よいと考える者は無学で誤っているのである。
 ファジュルの礼拝の定刻の終わるギリギリに目覚め、沐浴をしていると日が昇ってしまう場合には、大多数の学者は、「沐浴をして日の昇った後に礼拝すべきである」と述べている。ハナフィー派、シャーフィイー派、ハンバリー派はこの説を採るが、マーリキー派には、「いやこの場合も、砂の浄めを行っただけで、日の出前に礼拝すべきである」という説を採る者もいる。その根拠は、これまで述べたような、「砂の浄めによる定刻内の礼拝は、沐浴による定刻後の礼拝に優る」ことであろうが、ここでは多数派説の方が正しい。なぜなら眠っていた者にとっての定刻とは、目覚めたときだからである。それは預言者(彼に平安と祝福あれ)も、「礼拝を寝過ごしたか、忘れていた者は、気付いた時それを行え。そしてその時こそ礼拝の時刻なのである」と言われているとおりなのである。つまり眠っていた者にとっての定刻とは、目覚めたときにほかならず、それ以前のことについては、それは彼にとっては礼拝時刻ではなかったのである。そしてそうであれば、日の出前に目覚め、沐浴と礼拝をしていて日が昇ってしまった者は、その礼拝を定刻通りに行なったことになり、やり過ごしたことにはならないのである。それは、定刻の初めに目覚めた者の場合とは違うのであり、彼の場合の定刻は、日の出前までなのであり、礼拝を遅らせてはならないのである。
 また礼拝を忘れていた者の場合も同様で、いかなる時刻であれ、思い出したときに、沐浴をし礼拝をすればよいのである。それは彼にとっては、気付いた時が礼拝時刻だからである。
 ハイバル遠征の時、預言者(彼に平安と祝福あれ)の教友たちが礼拝を寝過ごして目覚めたときのように、日が出てから目覚めた者は、たとえ太陽の南中まで礼拝を遅らすことになろうとも、完全な清めの上で礼拝すべきである。もし、大汚の状態であるようなら、太陽の南中近くまで礼拝を遅らすことになろうとも、風呂に入り沐浴をすべきであり、砂による浄めだけして礼拝してはならないのである。また(この場合)預言者(彼に平安と祝福あれ)が、「ここは悪魔が我々を襲った場所である」と言われ、教友たちとともに、寝過ごした場所から移動したことから、寝過ごした場所から移動することが望ましい。アフマド・ブン・ハンバルらがそれを規定しているが、その場所で礼拝したとしても、その礼拝は無効ではある。
「それはカダー(定刻内に出来なかったことを後で行うこと)なのか、アダー(定刻内に行うこと)なのか」と問われるなら、それらの語の区別は神とその使徒の言葉に根拠を持たない虚構の区別に過ぎない。なぜなら至高なる神は、金曜の集団礼拝について、「礼拝をカダーすれば(済ませば)、大地に散らばれ。(62章10節)」と仰せになり、また(巡礼について)「汝らの儀礼をカダーし(果たし)神を唱念せよ(2章196節)」と仰せになられているが、どちらも定刻内に行われたことに対して用いられているのである。「カダー」とは、語源的には、ものごとを仕上げること、完成することを意味する。つまり、至高なる神は、「そしてそれらを7つの天にカダーした」と仰せられたが、それはすなわち、仕上げたとか、完成させたという意味なのである。
 それゆえ、宗教行為(イバーダ)を完全に行う者は、たとえそれが定刻内であってもカダーしたと言えるのである。私の知る限り、定刻内であると信じ、礼拝のアダーを意図して礼拝し、後に定刻を過ぎていたことがわかったとき、あるいは、逆に定刻が過ぎていると信じ、礼拝のカダーを意図し、後にまだ時間が残っていたことが判明したときには、どちらの場合もその礼拝が有効であることについて、学者たちのイジュマーがある。アダーであると意図しようと、カダーであると意図しようと、命じられた時間にその儀礼(礼拝)を行った者すべてにとって、その礼拝は有効なのである。金曜の集団礼拝はアダーで行なおうと意図しても、カダーで行おうと意図しても、ともに有効である。(カダーの場合も)彼はクルアーンに述べられた(語の用法での)カダーを意図しているのである。礼拝を寝過ごした者、忘れていた者に関しては、目覚めたり、気付いた時に礼拝すれば、彼ら以外の人たちにとっては定刻過ぎとなる時刻に礼拝しようと、礼拝を命じられた時間内に礼拝したことになるのである。それをこの意味でカダーと呼び、一般的には命じられた定刻を過ぎて宗教行為を行うことをカダーと言うことについては、毒にも薬にもならない。
 要約するなら、どんな人間であれ、昼間の礼拝を夜に、夜間の礼拝を昼に遅らせるといった形で、定刻の礼拝をしなくて済むようになる、いかなる事態も存在しないということである。礼拝は必ず時刻内に行わなければならない。その際、人は各々の状況に応じて礼拝すべきなのであり、やるべきことのうちできることは行なうべきであり、できないことは免除されるのである。ただし、理由があれば、昼間の二つの礼拝、夜間の二つの礼拝を一緒に続けて行う(結合する)ことが許される、というのが学者たちの多数意見であり、また旅行者も旅が厳しいときは(昼間夜間の二つの礼拝を)一緒に続けて行うこと(結合)が許される、というのが、マーリクとアッ=シャーフィイーの見解である。アフマド・ブン・ハンバルに関してはそれを認めたとも、認めなかったとも伝えられている。また、認めないというのがアブー・ハニーファの見解である。
(礼拝の)短縮の場合と異なり、困難がなければ定刻内に礼拝を行う方が、一緒に続けて結合を行うより優る。(逆に短縮に関しては)学者たちの多数意見では、(短縮の)2ラクアの方が4ラクアより優るのであり、旅行者が4ラクアの礼拝した場合、その礼拝が有効であるかどうかについては二説ある。預言者(彼に平安と祝福あれ)は、彼の旅行すべてにおいて、2ラクアの礼拝を行っていたのであり、一度も4ラクアの礼拝を行わなかったし、アブー・バクルもウマルもやはりそうであった。

▼1 交接、月経、出産などにより陥る不浄。
▼2 スンナ派では一日の礼拝は、ズフル、アスル、マグリブ、イシャーァ、ファジュルの5回であるが、昼間の礼拝とはズフルとアスルの礼拝であり、ズフルの定刻は太陽の南中からアスルの始まりまで。アスルの定刻は陰の長さが本体と同じになる時刻からマグリブの始まりまで。マグリブの定刻は日没からイシャーァの始まりまで。イシャーァの定刻は後の残光が消えてからファジュルの始まりまで、ファジュルの定刻は夜が白み始めてから日の出まで。
▼3 排泄、嘔吐などにより陥る不浄。
▼4 豚、犬などに由来する不浄。
▼5 地面の土埃に触れた手で、手や顔を擦ることによる浄め、水による浄めの代用。
▼6 アラファ、ムズダリファは共にメッカ郊外の地名。巡礼は、カァバ神殿での儀礼を終えた後、この両地を訪れる。
▼7 ラクアとは、立札、座礼などからなる礼拝の動作の単位を指し、ズフル、アスルは4ラクア、マグリブは2ラクア、イシャーァは4ラクア、ファジュルは2ラクアからなるが、旅行時には、ズフル、アスル、イシャーァの4ラクアを2ラクアに短縮して行なうことが許される。

2017年6月27日火曜日

エデン謎講義質疑応答



イスラームについて
▼シーア派とスンナ派は、なぜここまで争うのか
答: どこまで?近世ヨーロッパの人口が3分の1に減ったと言われるプロテスタントとカトリックの殲滅戦のような争いはシーア派とスンナ派との間では、歴史上も現在も起きていません。
▼イスラム教徒が、少数民族を攻撃するのは何故か
答: イスラームは民族で人間を区別しませんので、少数民族への攻撃は存在しません。
▼イスラム法学の一派であるワッハーブ派が、コーランの復古主義的解釈をおこなっており、なおかつ当法学派が、サウジアラビアでの影響力が絶大であり、結果としてテロを行う過激派の理論の土台になっているとアメリカの情報機関が指摘していると聞いたことがあるが、中田先生はイスラム法学者という立場から、ワッハーブ派に過激になる要素が他の法学派より多いと思うか。なぜワッハーブ派が一国の国教として受け入れられるまでになったのか。
答: ワッハーブ派の特徴は、イスラーム内部のシーア派、及びスンナ派伝統的な神学、神秘主義の全否定、背教者認定にあり、イスラームにおいて背教罪が死刑であるため、イスラーム世界内部で、他のイスラーム諸宗派と暴力的衝突を起こす可能性は高いが、異教徒に関する限り、他宗派と教義上の違いはほとんどない。
 サウジアラビアで国境になったのは、アラビア半島内陸部が、他宗派の文化的影響が少なかったので広まりやすかったため。
▼日本ではハラルフードの対応が進んでいないと感じるが、オリンピックに向けてもっと広めるべきなのか。
答: ハラールフードなどというものは、日本人のイスラームへの無知に付け込んだイスラームの教義に反して詐欺師の利権屋たちが売り込んでいるものであり、神を冒涜する呪われた悪行。
▼イスラーム研究者は日本にもいるが、何故改宗までしようと思ったのか。ムスリムとして日本で不便はないか。
答: 私の場合は、イスラームが真理だから入信した、のだが、入信動機は人により様々、人類学系だと、フィールド調査でムスリムの方が入って話を聞きやすい、という理由で入信した者もいる。
不便かどうかは、真摯なムスリムは、そもそも不便かどうかなど気にしないので、あまり不便を感じないし、熱心でないムスリムはそもそもイスラームの教えに従って生きていないので、やはりあまり不便を感じていない。


ISについて
世界のイスラム教徒たちはイスラム国の存在をどう思っているのか
答: ムスリムのほとんど(99.9%以上)はイスラームの教義を詳しくは知らず、特にイスラーム政治論については大学でイスラーム学を専攻している者でもあまり知らないので、自分の意見は持っていない。新聞、テレビ、ネットなどの反イスラーム国のプロパガンダをうのみにしているだけ。
▼イスラム国は無差別なテロをヨーロッパなどで起こす事で、世界にどのようなメッセージを伝えようとしているのか。
答: ヨーロッパがイスラーム世界でこれまで行ってきた、そして今も行っているムスリムの殺害、弾圧は不正であり、裁かれなければならないことを思い起こせ、とのメッセージ。
▼イスラム国がテロを起こしている国やタイミングは、何か大きな計画の一つなのか。世界の反応を予想しての事なのか。
答: 事件のほとんどは、指導部の指令に基づくものではなく、「一匹狼」型、「野良犬」型と言われる、共鳴者(たち)が単独で立案、実行したもの。しかし中には、指導部の援助を受けたものもある。
大きな計画としては、(1)異教徒にイスラーム世界で自分たちが行ってきた罪状を気付かせること、(2)イスラームへの恐怖から、ムスリムへの弾圧を強化することによって、ムスリムに異教徒の下で暮らすことの誤りに気付かせ、弾圧に報復するか、イスラーム国への移住を促すこと。
▼今後の5年後、10年後のイスラム国はどうなっていくのか。
答:5年後、10年後に、世界が存在するか、サウジアラビア、シリアなどの国が存在しているかも疑問。重要なのは、イスラーム国ではなく、カリフ制の再興。
▼(ブランディング化に関する質を踏まえ)現代、ISに参加することの線引きはどこにあると考えるか?
答: カリフ・バグダーディーか、その代理人であることを直接確認できた者との間で個人的忠誠誓約を交わすこと。
▼ISによるテロ行為が始まって以来、日本にいるイスラム教徒と日本人の関係はどうなったか。(阪上)
答: ほとんど影響なし。いろいろ不利益を被っているのは私だけ(イスラーム関係の本を沢山出せたのは望外の幸運)
▼現在のISのサイバー攻撃能力はどのくらいか。
答:申し訳ないけどITに弱いのでよく分からない。ニュースを見る限り、ほとんどないのでは。
▼ISの組織のトップの人は、宗教の教義を利用して(人が宗教を信じる心を利用して)人を動かしているという側面はあるのか? 
答: ISに限らず、イスラームでは宗教の教えが行動指針になるべきなので、学識がある者の教えを学識が劣る者が尊重するのは当然。しかし現実にはムスリムの大半はそもそもイスラームの教えに従って生きることに興味が殆どないので、学識者の意見も尊重されることは少ない。
テロリズムについて
▼日本でのテロの可能性はあるのか。イスラム国は日本をどう見ているのか。       
答: イスラーム神学は、必然存在(造物主)の存在以外の世界のすべての事象を可能と考える。「可能性」であれば、左翼(無神論者)であれ、右翼(神道)であれ、政権与党であれ、天皇主義者であれ、仏教団体であれ、キリスト教団体であれ、あらゆる個人、集団がテロを起こす可能性があり、イスラームだけが例外的に可能性がないということはない。
▼先日、テロ等準備罪が可決されたが、日本に対してプラス、或いはマイナスどちらに働くと考えているか。
答:もともと法律は恣意的に運用されているので、いずれにしても大きな影響はないが、プラスに働くケースはほとんど考えられない(治安当局の無能さを考えると)
▼東京オリンピックが狙われる可能性はあるか。
答: 可能性は、すべてにあるが、ゼロの誤差の範囲内。むしろ理論上は、警備が東京に集中するので、地方で事件を起こすのが容易になるので、オリンピック期間に地方都市を狙うのが効率的だが、それも机上の空論。
▼テロが暴力装置としての単純な様相から、ISが後発的に声明を出しテロリズムとして仕立て上げるような傾向があるように思われる。ISからすればブランディング化であり、テロリストからすればISへの共鳴であるこの相互関係はどの様な利益構造になっているのか?またテロリスト側から見たテロリズムを起こす上での誘因は何か?
答: IS側からは存在アピールであり、そもそも合法的な手段でその主張を広める道が閉ざされているため、なんであれ、話題になり、彼らの主張に耳を傾けるきっかけが生ずることはメリット。実行者の側では、自己の行為に、ISによってジハードして正当化されるメリット、話題になることが好きな者なら、話題になるメリット。
▼テロリストのメンタリティとして、死ぬことを正当化するとはどういったものなのか?日本社会との死生観の違いはどのようなものか?
答: イスラーム教徒であれば、誰であれ、死後の復活と天国と地獄を信じており、ジハードの殉教が最高の死に方であることに関しては、コンセンサスがある。
▼近年EUをはじめとする先進国で顕著なHome-grown terroristの生い立ちや発生過程はどのようなものか?
答: 人それぞれで共通項は少ない。イスラームを少しでも学べば、イスラーム世界の現状がイスラームの教えから完全に逸脱していることまでは誰でも分かり、そもそもヨーロッパのような異教徒の国に自分が住んでいることの問題性にも気づく。そこから、自分がどうするべきか、への答を見い出すには、知性や文化資本の他に、当該社会で過去にどう扱われてきた、現在どういう地位にあるか、といった、社会経済的要因、家庭環境、教育などが人格形成に与えた心理的影響など、さまざまな要因によって差が生ずる。
▼ISの主要指導者層がいなくなった後もテロリズムは続くのか。また、次世代のテロリズムはどのような様相を見せるのか?
答: 続く。ISだけでなく、世界自体の未来がもはや見通せない。
▼何故テロリストはテロ行為に及ぶと考えるか。意思表明、目的達成のためには様々な手段がある中で何故無差別殺人を選ぶのか。
答: そもそも無差別ではなく、様々な手段がある、というのも間違えだが、無差別殺人を選ぶには、一番手っ取り早く、目立つから。

その他
▼スペインでの住民投票で、イスラム系移民の数が多かったことで、その地方の伝統文化である闘牛場がモスクに建て替えられたという話がある。これはイスラムとヨーロッパの文化対立という側面と、その文化対立の枠組み自体が「住民投票」という非イスラム的なものになっているというねじれた側面、そしてその枠組みの中ですらイスラムが勝利を収めたというさらにねじれた側面がある。これに対する姿勢は一概にイスラム系移民を支持しても、民主主義(住民投票)を肯定する可能性を孕むし、逆に民主主義(住民投票)を否定しても、今度はイスラム系移民の意思を否定してしてまう可能性がある。大変難しい問題である。民主主義とイスラム教の価値観のバランス感覚の取り方の難しさ、文化対立が、本来多様な意見を包摂して多様性を確保するはずの民主主義によって、むしろ激化しているように思うが、イスラム法学者としての立場から民主主義は、イスラム法学や価値観、社会のあり方とは相容れない部分はあるとお考えか。今後も対立は深まっていくのだろうか。
答: 民主主義自体には多様な意見を包摂する機能は存在しない。それは民主主義とは対立する自由主義の考え方。現行の「自由民主主義」は、ご都合主義の日和見の折衷の制度であり、場当たり式に利害を調整することはできても、まじめな議論に耐えうるものではない。
▼IS、アルカイダなどの組織は何故生まれると考えるか。彼らの思想や行いをどう見ているか。→教化される人々や子どもではなく、組織の柱となるような宗教的思想を所有する人々はどのような人生をたどることで現状に至るのか。例があれば教えていただきたい。
答: イスラームの合法政体カリフ制(イマーム制)が存在せず、イスラームの教えが全く実践されていないため。ただし、IS、アルカイダはスンナ派の中でも少数派のサラフィー主義、その中でも少数派のサラ―フィー・ジハード主義に属するので、もともとイスラーム教徒の多数派から支持される可能性は極めて低かった。

2017年6月19日月曜日

「サウジと断交でどうなるカタール」

「サウジと断交でどうなるカタール」

於:2017年6月18日                    イベントバー・エデン

中田考(同志社大学客員教授)

*6月5日:サウジアラビア、UAE、エジプトがテロ支援を口実にカタルと断交(輸出入・領空通航禁止、カタル人国外追放)その後イエメン、バハレーン、モーリタニア、モルジブ(リビヤ)が追随
*サウジ自身の発案でなく、UAEの駐米大使(Yousef al-Otaiba)が、米国のイスラエル系のネオコンなシンクタンク(Foundation for Defense of Democracies)と謀って進めた(ジム・ローブ)
*カタル(1995年王室革命ハリーファ→ハマド2013年タミームに譲位)天然ガス産出量 世界第4位(イランと共有するガス田(ノースドーム・ガス田/サウスパルス・ガス田)は世界最大埋蔵量)
カタルは日本の天然ガスの輸入先第4位 日本はカタルの輸出先第1位
石油に関してもカタルは輸入先第3位 第1位がサウジアラビア、第2位がUAE(アラブ首長国連邦)  
サウジアラビアは世界最大の産油国(世界の石油の60%がペルシャ/アラブ湾岸に集中)
*日本のエネルギー事情にも影響
(マクロ)湾岸の緊張激化:イランとサウジの対立+見通しの立たないトランプ政権の迷走
(ミクロ)サウジが日本にカタルとの貿易の中止の圧力をかければエネルギー事情逼迫
*現時点では2021年に契約が切れるカタルとのガス供給契約の更新で日本が優位に
*サウジ、UAE、カタルはGCC湾岸協力会議(Gulf Cooperation Council)加盟国
*GCC:1979年2月のイラン・イスラーム革命をうけて、1981年5月25日イランを仮想敵国に湾岸アラブ産油国による安全保障機構として設立された(イラン革命以前の敵はアラブ社会主義諸国)
*GCC諸国の特徴は石油収入による豊さと外国人労働者比率の高さ GCC外国人比率(2009年):サウジ32 オマーン35.7 バハレーン49.4 クウェイト68.1 カタル81.0 UAE88.1
*加盟国内最大人口、世界一の石油埋蔵量、二聖地マッカ、マディーナを擁するサウジが盟主的地位
「(クウェイトおよび湾岸アラブ諸国は『国籍(citizenship)』に基くエスノクラシー)『国籍に基くエスノクラシー』という分類は、ロングヴァが論じるように、やや奇妙だ。というのも、『人種』や言語、性別を元に同一国民の中で権利の格差を設けることは国際的にも非難されうるが、国籍に基く権利の格差は国際的に当然のこととみなされているため、議論にすらならないからである。」松尾昌樹「湾岸アラブ諸国のエスノクラシー」(『白山人類学』16号2013年3月)
*そもそも「国民国家」とも言えない国々
*2014年、エジプトのシシが軍事クーデターでムルスィー(ムスリム同胞団)政権を転覆した時、シシを支持したサウジ、UAEがシシ支持を拒否したカタルから大使召還(8か月)
*カタルのテロ支援容疑:カタル王族26人がイラクで誘拐。身代金10億ドル支払い。7億ドルはイランとイラクのシーア派民兵組織、残りの3億ドルはシャーム自由人やシャーム解放委員会に渡ったとされる(FT紙)。
*カタルの独自性:1996年アルジャジーラ設立アラブで最も自由なテレビ、アラブ「民主化」に貢献
 全方位外交:特に「国際テロ組織」タリバンの政治局をドーハに開設(カルダーウィーが仲介)
*断交のきっかけ:カタル国営通信が、イランとの友好、同胞団支持を放映(ハッキング??)
*サウジとUAEは、カタルのテロ支援(イラン、同胞団(ハマス)、IS)を口実にカタルと断交
 三正面戦争:1.イラン(シーア派) 2.ムスリム同胞団、3.イスラーム国
*全て勝てない戦い。しかしトランプの反イスラーム政策に乗じて攻勢。
*トルコとイラン、即座に支持表明。イラン・トルコは物資輸出、トルコは軍の増派(五千人)決定
*トルコ・カタル枢軸:ムスリム同胞団支援
 トルコ:伝統スーフィズム(ナクシュバンディー)+ムスリム同胞団
 カタル:ワッハーブ派、ムスリム同胞団、タブリーグ
*UAEの主要敵はムスリム同胞団、対ムスリム同胞団で、サウジアラビアとエジプトが野合
*湾岸戦争以降サウジはムスリム同胞団によるワッハーブ派の政治的覚醒を強く警戒
 UAEはアラブの春以降、ムスリム同胞団がクーデターを計画したとしてテロ組織認定し弾圧
*ムスリム同胞団:アラブ諸国に会員を抱えるアラブ最大の汎アラブ・イスラーム改革運動
 インド亜大陸のジャマーアテ・イスラーミー、トルコのメッリー・ギョレシュ、AKP(公正発展党)、インドネシアのPKS(公正繁栄党)、マレーシアのPAS(汎マレーシア・イスラーム党)、アフガニスタンのヒズビ・イスラーミーなどと連携、欧米でも協力して活動
*対イランで最も重要なのはイエメン(イラク、シリア、レバノンは既に敗北が確定)。
 2015年3月イランの影響を受けたシーア派ザイド派のフーシー派がクーデターで首都サナア制圧
 → サウジアラビアが主導しアラブ連合軍を組織。亡命したハーディー大統領を担いで内戦介入
 イエメンの食料不足、コレラ蔓延、空爆の巻添え被害増大など人道危機深刻化
 国際人権機関からの批難にもかかわらず首都奪回できず
*対イラン(シーア派)外交戦争で負け続けたサウジは、国境を接するイエメンだけは失うまいとなりふり構わず金にあかせてアラブ諸国から傭兵を掻き集めて軍事介入したが、最貧国のイエメンにすら勝てないサウジがトルコとイランを味方につけた世界最富裕国の一つカタルに勝てるか?
*カタルはトルコとの枢軸同盟強化。サウジ、UAEはトルコとも敵対。(エジプトは以前から)
*サウジがイランに対抗するためには、スンナ派を糾合しなければならないが、反シーアのサラフィーの看板(9・11の実行者19人中15人がサウジ人)、スンナ派団結の象徴カリフの旗印はイスラーム国に奪われる
*スンナ派最大のムスリム同胞団ネットワークも敵に回す。
 ハマスをテロリストと呼ぶことで、アラブの大義も裏切り、イスラエルとアメリカの手先に成り下がる

 

2017年5月8日月曜日

アフメト・ダウトオール『戦略的重厚性』前書、序文(試訳)

戦略的重厚性


1.序文

第一部 概念的、歴史的理枠組

第1章:パワーのパラメーターと戦略
Ⅰ.勢力均衡とその諸要素
 1.定数:地理、歴史、人口、文化
 2.変数:経済、技術、軍事力
 3.戦略思考、文化的アイデンティティ
 4.戦略と政治的野望
Ⅱ.人的要素と戦略的制度における乗数効果
Ⅲ.典型的応用領域:防衛産
 1.パワーのパラメーターと防衛産業
 2.トルコのパワーのパラメーターと防衛体制

第2章 戦略理論の不備とその帰結
Ⅰ.トルコのパワーの要素の再評価
Ⅱ.戦略理論の不備
 1.文化的、構造的背景
 2.歴史的背
 3.心理的背景:引き裂かれた自我と歴史意識

第3章 歴史遺産とトルコの国際的地位
Ⅰ.歴史におけるトルコの国際的地位
Ⅱ.ポスト冷戦期と国際的地位の外的変数
Ⅲ.政治文化と国際的地位の内的変数
 1.歴史遺産と政治文化の下部構造
 2.歴史的連続性と政治トレンド
 3.ポスト冷戦期と政治トレンド

第二部 理論枠組:漸進戦略と領域政治

第1章 地政学理論:ポスト冷戦期とトルコ
Ⅰ.空間把握、地理認識、地図
Ⅱ.地政学理論とグローバル戦略
Ⅲ.ポスト冷戦期と地政学的空白地帯
Ⅳ.トルコの地政学的構造の再評価

第2章 近隣陸上圏域 バルカン半島-中東-コーカサス
Ⅰ.歴史・地政学的諸問題とバルカン半島
Ⅱ.アジアへの扉とコーカサス
Ⅲ.不可欠のヒンターランド:中東  
Ⅳ.近隣陸上圏域の境界の柔軟性と近隣諸国との関係

第3章 近隣海上圏域 黒海-東地中海-ペルシャ湾-カスピ海
Ⅰ.歴史的背景
Ⅱ.冷戦期とトルコの海洋政策
Ⅲ.ポスト冷戦期の新海洋政策の諸要素
 1.黒海と周辺の水路
 2.ユーラシアの戦略的結節点:海峡
 3.東地中海圏域:エーゲ海とキプロス
 4.バスラ湾(ペルシャ湾)とインド洋
 5.カスピ海

第4章 近隣大陸圏域 欧州、北アフリカ、南アジア、中央アジア、東アジア
Ⅰ.ポスト冷戦期の規範的大陸政策とその定義
Ⅱ.グローバル大国と地域大国の大陸政策
Ⅲ.トルコの近隣大陸圏域の主要素
 1.ヨーロッパ概念の変遷とトルコ
 2.アジアの重厚性
 3.アフリカへの展開
 4.諸大陸の交流地域:大西洋、ステップ地帯、北アフリカ、西アジア

第三部 応用領域:戦略目標と地域政策

第1章 トルコの戦略的関係と外交目標
Ⅰ.NATOの新戦略ミッションの枠組みにおける大西洋枢軸とトルコ
 1.アメリカの戦略とNATO
 2.ポスト冷戦期とNATOの新しいミッションの模索
 3.コソボ作戦とNATOのグローバルなミッションの定義
 4.NATOの新しい戦略ミッションとトルコ
Ⅱ.全ヨーロパ安全保障協力機構AGİT
Ⅲ.İKÖ:アフロ・ユーラシアの地政学的人文地理学的交流図
 1.20世紀のイスラーム世界:概念的、政治的変化
 2.ポスト冷戦期と21世紀のイスラーム世界
 3.トルコとイスラーム世界
 4.İKÖ の未来と再組織化
Ⅳ.ECO:アジアの重厚性
Ⅴ.KEİ:ステップと黒海
Ⅵ.G-8 とアジアアフリカ関係
Ⅶ.国際政治経済とG-20

第2章 戦略的変化とバルカン諸国
Ⅰ.ポスト冷戦期後の組織的矛盾とバルカン諸国
Ⅱ.ポスト冷戦期と域内勢力均衡
Ⅲ.ボスニア危機とダイトン協定
Ⅳ.NATOの介入とコソボの未来
Ⅴ.トルコのバルカン政策の基礎
 1.歴史遺産とバルカン諸国
 2.域内諸国関係
 3.域内勢力均衡
 4.地域を取り巻く政治
 5.バルカン政策におけるグローバルな戦略目標

第3章 中東:政治経済的、戦略的勢力均衡の鍵
 Ⅰ.中東の国際的な地位に影響する要素
  1.地理的、地政学的要因
  2.歴史的、人文地理的要素
  3.経済地理的要素
 Ⅱ.グローバル大国と中東
  1.アメリカの戦略の基本的パラメーターと中東
  2.ヨーロッパ諸勢力と中東
  3.アジア諸勢力と中東
 Ⅲ.域内勢力均衡と中東
  1.地域の地政学と戦略的三角メカニズム
  2.アラブ世界の勢力均衡:アラブ民族主義の危機と政治的正当性問題
  3.イスラエルの新戦略と中東
  4.地域勢力均衡と中東和平プロセス
 Ⅳ.中東政策の基本的ダイナミズムとトルコ
  1.国際経済の視点からのトルコの北中東政策
  2.中東の地政学的変化とトルコの北中東(東大西洋‐メソポタミア)政策:トルコ、シリア、イラク
  3.トルコ―アラブ関係から見たトルコの中東政策
  4.トルコ―イスラエル関係のグローバルな次元と地域的次元
  5.歴史的重厚性の視点からみたクルド問題
  6.グローバル及び地域的勢力均衡の視点から見たクルド問題
第4章 ユーラシアの勢力均衡における中央アジア政策
 Ⅰ.中央アジアの国際的地位に影響を与える要素
  1.地理的、地政学的要素
  2.歴史的、人文地理的要素
  3.人口学的要素
 Ⅱ.ポストソ連期と中央アジアの変化
 Ⅲ.ポスト冷戦期の国際諸勢力の勢力均衡と中央アジア
  1.グローバル大国と中央アジア
  2.アジア内勢力均衡、地域大国と中央アジア
  3.域内勢力均衡
Ⅳ.トルコ外交と中央アジア政策
第5章 ヨーロッパ共同体:多次元的、多面的関係の分析
 Ⅰ.外交的/政治的関係の平面
 Ⅱ.経済的/社会的分析の平面
 Ⅲ.法的分析の平面
 Ⅳ.戦略的分析の平面
  1.グローバル次元
  2.大陸的次元
  3.地域的次元
  4.二国間戦略の分析の例:歴史的重厚性とポスト冷戦期のトルコ‐アルメニア関係
 Ⅴ.文明/文化思想の平面
  1. 新しい伝統的反応としてのEUの歴史的背景
  2.周辺化/中心化の振り子運動における歴史的背景とEU-トルコ関係
 Ⅵ.歴史の反映の把持におけるトルコ-EU関係
結語

前書

 ポスト冷戦期の戦略のテーマを定め、再評価するように努めることは大変難しい。というのは、それ自体が極めてダイナミックな問題を、それもまた極度にダイナミックな環境の文脈の中で主題化して理解する試みだからである。おそらく建国以来最も重要な変化を経験しつつあるトルコが、やはり歴史上最も大きな変化の舞台となっている国際環境の中で、新たな変容を遂げつつあるのだ。形成途上にあるこのダイナミックな過程は、本書の序文で定義する記述、解明、理解、説明、指針化はどれも、どの頁においてもすべてその全体において、極度に濃密な思考活動の断片にとどまっている。
 これらの方法論的困難にもかかわらず、時空(歴史と地理)の理解の中で意味を有する論理的に首尾一貫した合理的な戦略を分析することが、価値判断とは別に行うべき固有性を有することは、この問題構成自体に由来する。安定した構造であれば静態的な枠組の中で問題設定を行い、平板な頭脳活動によって理解することが出来る。そのような(静態的)分析も、状況がもっと安定している時代であったならば、事実を明晰に再構成できたであろう。しかしダイナミックな変化を経験している危機の移行期には、歴史的な影響力を考慮にいれた上で継続性のある戦略を練り上げることが重要となる。国の未来のオルタナティブを視野に入れた戦略分析の枠組が今こそ必要であるが、本書がそのためのささやかな貢献となることを望んでいる。
 社会の大きな変化の時代に即した方法論のこの問題に真剣に取り組み、超克に努める戦略的アプローチ、分析、理論化は、社会が歴史の舞台へ躍り出て、歴史の舞台の立役者たちによる既存の体制の推進力を変化させうる可能性を乗数的に加速させることが出来る。近代のドイツの国力を成立させたドイツの戦略的指針設定の基礎が、ドイツ統一の形成期の苦難の中で築かれたこと、安定的、累積的なイギリスの戦略思考がイギリス内戦後の進歩とその思想の向上の帝国拡張期の経験の中で、ロシアの戦略的オリエンテーションがすべてのパラメーターと19世紀のダイナミックな勢力均衡の中で形成されたこと、「アメリカの世紀」を現出させた戦略の蓄積が第一次、第二次世界大戦後の混乱期に集中したことは決して偶然ではない。
 ダイナミックな変化の過程にある社会の中にあって、それに属する個体として、当該社会に関する戦略を分析することは、急いで流れる波頭の高い川に流されながら、川床、流速、水流の方向、他の川との関係などの問題を研究することに似ている。自分が調査している川の中で自分自身も流されつつも、その流れの性質を理解し、その特質に鑑みて、その川に関して、記述、解明、理解化、説明、指針化の理論的枠組を考えださねばならないのである。川の外にいる傍観者として、(同時代の歴史の)流れに翻弄される人々の心情と人生を客体化することは、道義的に無関心な月並みで表面的な観察に成り下がる。一方、(歴史の)川に飛び込んで流れに身をまかせてしまっては、自分が飲み込まれた流れについて、事態を客観的に理解することはできず、自分の期待が混じっては、歴史の本当の意義を把握することはできない。社会科学の方法論において、このジレンマは、研究者「自身が試験管内で暮らす」と表現されている。
 このジレンマにおいては、川に(流される人々の)心情と人生を疎外させるにまかせることは道義的に責任があるが、かといって、川に流されてしまえば知的責任を負う余地は狭まってしまう。道義的責任と知的責任を共に理論的に調和させる研究者であれば、思考にあたってアカデミシャンとして言行を一致させ、社会文化的関係を普遍的真理の領域に力強く反映させることができる。思想家、知識人も、一般の人々と同じように、空間と時間、つまり歴史と地理の意味世界に、いやむしろ他の人々より以上に自己投入が可能であるために、自分が流された川だけでなく他の川の流れにも自己投入するアプローチが可能となるのである。
 一個人として普遍を感知でき、実存の意識とその深みと文明の主体としての特定の時代の流れを感じられる社会帰属の主体、そして歴史意識とその重厚性、つまりその意識が反映していると考えられる場を感得できる社会帰属の主体も、戦略的意識と重厚性を必要としている。個人のレベル、つまりミクロ・レベルから、社会、文明、歴史のレベルのマクロ・レベルに向上、浸透することは完成の探求であり、そしてすべての文化圏域は、この探求それ自体を真理の定義に含めている。
 本書においては、この意識のレベルが最も際立つ戦略的重厚性を、道義的学問的責任のバランスを取りつつ研究するように努めた。ずっと我々が考えてきたことを、完成への冒険の歴史の深みと実存の断片を目にする同時代の同じ川を我々と共に流れゆく同志である我々の読者たちに捧げたい。
 本書の過ちは著者一人に帰されるが、主張すべきものがもしあるとすれば、主体という観点に立てば同じ川を下る冒険を共にする者たちの匿名の文化の環境の産物である。同じ理由で、なによりもこの文化環境(伝統)の歴史的連続性を担保してきた先師たちとその道統に繋がる者たち、そしてこの環境(伝統)の全ての側面を共有してきた友人たちに、筆者は恩義がある。
 本書が時間理解の視角からは過去の歴史から未来への、空間理解の視角からは中心から周辺への架け橋となりますように。

1.序文
 国際関係の領域も、その構造の中で保護する社会的特質の研究の基礎には以下の5つの次元がある。
(1)Tesvir(betimleme)(2)açıklama(3)anlama(4)anlamlandırma(5)yönlendırma。Tesvir(記述)の次元は、研究対象が観察された形で記述することに基礎づけられるが、(2)açıklama(解明)の次元の主目的は、観察される現象が観察されるダイナミズム自体をその(観察)体験の過程との因果関係の枠組に位置づけることである。記述の解明の間の関係は、首尾一貫した概念化を必要とする。研究の対象となる現象の通常の記述は日常的に使用される用語で単純なレベルで行われるが、この記述を解明のレベルに引き上げるには、独自の概念枠組を作り上げねばならない。基本的には、学問における記述、解明の営みとは、日常的な観方とは異なり、明晰で首尾一貫した概念化の枠組が使用されている。特に因果関係の解明とは、後続の過程もまた他の現象に関係する前提条件であるような全ての事象とその過程を対象として使用することができる概念セットを構築することなのである。
 解明の次元に重厚性を加えたanlama(理解)の次元は、現象の生成過程の論理の中で概念化されることができる必要がある。説明は、研究される現象の間での因果関係の確定であるが、理解化とは現象の真相に知的想像力によって肉薄する(nufüz edebilme)試みであり、首尾一貫しシステマティックな抽象化の作業を必要とする。この抽象化作業の必須条件は、現象から知的過程へ、知的過程から現象への移行が可能であることである。理解化の次元は、この往復の移行がなされることを可能とする抽象化作業によって実現されるのである。このような類推が有用であるとすれば、観察されたものを説明することは、平面幾何学の論理を用いるようなものである。諸々の出来事が純粋な論理の枠組の中に現れること自体の中に、正しい諸要素は含まれているが、現象の真相と背景に到達するためには十分ではない。理解化が、肉薄から出発するとしても、かならず重厚性、ついでパースペクティブ(立体的見通し)が必要となってくる。これは平面幾何学との類推と共に立体幾何学のパラメーターによる知的作業がなされることを意味する。
 理解化とは、研究対象が重厚性を概念化するパースペクティブである。:説明(anlamlandırma)といえば、このパースペクティブに方向性を加えた姿勢を有することと言うことができる。現象をただ記述するか、進歩の次元(ileri boyutta)で説明するだけでははならないように、現象をただ相手に意味が伝わっただけでは、総体においては説得することができたということにはならない。説得は最初は独創的な姿勢、その後には独創的な理論枠組を必要とする。これはただ肉薄するだけではなく、同時に体感されること、発展が直観されること、全体の中であるべきものがあるべきところに配置される状態ということができる。あらゆる説得の作業が全体において首尾一貫した理論的枠組に基礎づけられることは困難である。観察から概念化、概念化から抽象化、抽象化から理論への移行、記述から解明、解明から理解化、理解化から説明への移行が方法論の鍵なのである。
 行動指針化(yönlendırma)とは、説明の枠組から結論を演繹し、その結論を、それに依拠したものとして、現象とその過程に応用することである。この応用は不可避的に政治的/社会的責任の領域、間接的に学問倫理の次元へと移入する。最初の4つの次元が知的な問題にとどまっているのに対して、第5の次元は、これらの知的なプロセスと実践との間の架け橋となる。この事態は特に国際関係論の領域においては大いに必要とされる。基本的に国家戦略の方向付けにおいて影響力がある多くの戦略家たちにとって、前の4つの次元はこの最後の次元の実行のための知的な中間段階なのである。異なる仮説と説明を目指す問題意識から出発したマッキンダー、マハン、スパイクマン、ポール・ケネディー、ハンチントンのような同時代に影響力があるとみなされた理論家たちの多くが、最終的に記述から解明に、解明から説明に、そしてすべてのこれらの問題意識からの出発して、行動指針化に向けて思想を発展させていった。最初の4つの次元において論理的に首尾一貫し歴史的に有効な問題意識を有していればいるだけ、最後の次元においても同じだけ永続性がある影響を残すことができるのである。
 記述の平面から行動指針化の平面にまで移行すると、理念的なパラメーターがより多くり始める。記述とは、自らを境界づけることで客観性を最も高いレベルで保証する次元である。解明の次元においては記述行為の客観性の中にとどまることはたいへん容易であるが、理解化の次元で認識と象徴へと移行する。説明の次元は、研究対象以上に研究者主体が前方に現れ、この主体が概念世界と ―それを介して概念パラメーターとも― 説明のために定式化した理論枠組との間の依存関係を強化する。行動指針化は、主体が属する社会/国家/文明と自己同一化しつつ、観察対象と、その現象と過程を解釈する行為になったものである。この最近の最も知られた例の一つを、職業的には社会科学者として出発したハンチントンが「文明の衝突テーゼ」として提示した理論枠組とアメリカの戦略的思考の間に築かれた関係に見ることができる。ハンチントンの「アメリカ/その他(西洋/他者)」という範疇は、思考パラメーターとしてのその説明枠組と、研究の最後でアメリカ政府に対して行った戦略政策提言の行動指針化の枠組を直接に決定している。
 解明者の記述の客観性と行動指針化する者の理解化の主体性の間の関係は、同時に戦略的分析の最も脆弱な点の一つとなっている。この主体性‐客観性問題を超えられない営為は、記述の平面から始まりつつ主体性を求めらるに至っていながらも現実に通用しないか、行動指針化の平面で客観性を訴え続けて説得性をもたないかである。
 原理的に、このすべてのプロセスの全体を見る必要がある。記述できないことを解明することはできず、解明できないことを理解させることはできず、理解させられないことを説明することはできず、説明できないことを行動指針とすることはできない。逆に言うならば、態度を決めないで行動指針を持つこと、行動指針を有さずに説明枠組を作ること、説明枠組なしに現象に肉薄して理解し終点の見通せない次元を解明することはできない。健全で永続的な分析はすべてこれらすべてを内包している。この我々の重厚な方法論の領域で私たちが目指したことも、基本的に、この内的統合性を実現し、そしてこの方法論的重厚性の次元から出発して、現象的かつ地政学的/戦略的重厚性を説明するアプローチを取ることである。
 この分野で重厚性な戦略的分析を選びうる条件は、静的図式の偽りの幻想の影響下に留まらないことである。現象の理解の記述に依拠する静的図式を描くこととその図式の色合い、線、パースペクティブの絶対化が、記述から解明へ、解明から理解化へ、理解化から説明へ移行する前に接ぎ木されると、最終段階で、「パワー」の意味を理解する障害となる。感覚的に明瞭に見て取れる静的な図式の互いに無関係な寄せ集めでしかない戦略分析は、時間の次元を無視した表面的で凡庸な記述となる。
 この方法論的欠陥を克服するためには、単一の次元の安易な記述を避けて、多次元的なプロセスを考慮しなければならない。物理学における運動法則にあたるものが、戦略分析におけるプロセスに相当する。運動のない静的世界観においては物理学の意味は失われる。このような世界観の枠組においては、パワーの定式化作用を果たさせることはできず、歴史の成り行き、プロセスを無視した戦略分析では、戦略的の齟齬を見出したり、他者に説明することはできない。
 たとえば、1950年代、60年代、70年代には、パワーの分立を示す静的図式によって、ソ連は2極体制の超大国の焦点の一つとみなされていた。ソ連がアフガニスタンに侵攻した80年代初頭には、スターウォーズ計画のプログラムに入れられて80年代の中盤には中止された一つ一つの戦略図式が、一枚の一覧表を作り上げていた。これに対して90年代の初頭には中止された戦略的、経済/政治的図式は、ソ連とその継承国ロシアを、多角的なこのパワーのヒエラルキーのずいぶん下位に位置づけるようになっていた。ごく短いタイムスパンに対してなされたのだとしても、静態的記述は変化のダイナミズムを明るみに出すことは不可能である。日常的変化を反映する多くの図式が作られたとしてさえ、これらが互いに時間的に関連しあうプロセスを組み込まずには、戦略を分析、解説することはできない。
 社会現象を諸要素に腑分けする分析と、この分析を国際関係に反映する方策を生み出すことが、それぞれ別途に重要であるとしても、独自の国際関係論のアプローチとなるためには十分ではない。分析の対象となる戦略の部分的諸要素をシステマティックに統合して解説できること、そしてその全体が再び部分的諸要素に還元されうることが必要なのである。分析過程でミクロな部分に下って行けば、システムとしての統合性を損なうことになってしまう。あるいは逆に、システムの統合性を直接的に志向しては、現実のミクロな領域を無視することになってしまう。理論と現実へのアプローチでバランスを保つことは大変難しい。
 国際関係の分野において、深みのある分析を行うと同時にシステム統合の全体の見通すためには、学際的なアプローチが必要である。高度に政治的、外交的である学問領域とみなされる国際関係論において、その割合がどんどん増えて、境界の不明瞭性で覆われるようになっていることは、その必要性の帰結でもある。国際関係論の課題とみなされる政治/外交の表舞台は、本来氷山の海面上に顔を出した部分(氷山の一角)のようなものである。氷山の見える部分から出発して、その全体像を推測することがいかに難しいのと同じく、国際関係論の対象となる事象の諸相について、決定的な結論に到達することもまた困難なのである。
 一例を挙げると、中東和平プロセスの外交/社会的次元と、その次元の展開、国際関係現象がすぐ区別されるが、その結果もまた構造的に観察される部分が反映されているのである。しかし中東問題を一つの全体として概念化するためには、氷山の水面下の深さを認識するための認識論的基礎が必要となる。氷山の最も表層に近い部分は世界の産油の中心地としての政治経済学、そして大陸的影響の深みの地政学的構造があり、最後に歴史の深みに由来する文化的要素という目に見えない諸要素が中東社会の社会的心理的構造に与える影響を理解しない戦略的分析は、浅薄と言わざるをえない。ユダヤ人とムスリムのエルサレムをめぐる象徴界のクラッチペダルを踏み込んで、この象徴界の多くの色を織りなす歴史的、心理的要素を観察することで、二つの社会の双方を方向づける社会学的な動機付けのダイナミズムから、中東問題についての考察に敢えて踏み出すことは、氷山の見えている部分から敢えてその全体像の推定に踏み込むことに似ている。
 目に見える現象の背後の見えない根本的な原因を把握するためには、諸宗教の歴史、政治史、政治経済学、政治社会学、宗教心理学を横断する学際的なアプローチを我が物とすることが必要であり、そうでなければ、一次元的静的図式から多次元的なプロセスを理解させることへと移行することはできない。
 歴史の流れのプロセスの理解化には、時間把握の基礎となる歴史の深みと空間把握の基礎となる地理的深みが必要となる。歴史の深みを反映する精神と、地理の深みが物質界に穿った地理の深みに化身した精神に我々は影響している。ともあれ歴史のような現実に影響が存在することを地理で境界づけ、権力布置を国際社会の中に発見する試みは、この(時空の)対構造の重厚性に対する分析的かつ構造的視角による。相互連関を断ち切り断片化する歴史的な重厚性を欠く分析と、ミクロ‐マクロな重なりを主題化できない重厚性を考慮しない地理的分析は、共に表層的一般化を行うが、この近視眼的‐直線的なシステム統合の還元の過ちを正すことはここでの主題ではない。

***

 トルコに国際的地位を与えることを目的とするあらゆる努力には、この方法論的必要性の自覚が不可欠である。どの国家を主題にする場合にも当てはまるこの方法論的必要は、トルコを主題とする議事録においてはより重要となる。上述の諸次元を視野にいれると、「トルコとは20世紀の歴史の舞台に現れた国民国家である」との定義は、記述の視点による諸要素からなっていることになる。しかしこの概念の説明枠組が、本書の理論的基礎となるためには、20世紀に歴史の舞台に出現した他の近代国民国家に比べて、なぜトルコが特に国際関係においてより多くの問題を抱えることになるのか、という問いに対して答えなければならない。たとえばルーマニヤ、フィリピン、ブラジル、モロッコのような、世界の激動する諸地域の他の国々とは比較して、トルコがこの記述に特に値することにより、トルコが国際的地位を有し、その地位が様々な危機的事態への影響に結実することを説明することができる。
 たとえばこの定義に新しい次元を付け加えて、トルコはこの世紀初頭のユーラシアに覇を唱えた6大多民族帝国(他は英、露、オーストリア‐ハンガリー帝国、仏、独、中国、日本)の構造の一角を成した国民国家である」と記述されれば、トルコと並ぶ他の国民国家との差異を明らかにする歴史的な基準を示し、この方針の説明枠組、理論的基礎を成す記述がなされたことになる。また、たとえば「トルコは地上の中心にある大陸の地政学的主要地帯の相互影響が見出される近代国民国家である」との言明と区別される説明の次元を開く記述ともなっている。そしてこの第一の文化地理的、歴史的記述と、第二の地政学的概念化は相関している。
 これらの記述が内包した基準や概念を通して、個々の事態を説明する解答を与えるための理論的基礎が置かれる。たとえばトルコがボスニア、コーカサス、中東における問題に対してこれまで無関心であることができず、これからもできない理由は、この記述によって初めて説明する道が開かれる。言うならば、独自な諸要素を内包しない記述、説明は、多次元の問題を解きうる方法論的装置を提供できないのである。
 この二つの記述の双方を連関させることによって、個別の諸事象の因‐果関係を示す説明の寄せ集めであることを超えて、トルコが関わってきた時と場の深みの持つ意義を理解する枠組が設定される。時と場の深みを志向するプロセスは、不可避的に抽象化の手続きを組み込むことになる。簡潔に定義するなら、理解をもたらすということは、時と場所の深みを体験し、この深みと思想的理念の間に一種の関係を樹立することによって始まるのである。
 この理解化の枠組は、時と場所の深みの体験に留まらない。;上記の理論枠組に、この深みの新しい理解の次元を加えるのである。たとえば、現行の歴史と地理のパラダイムを問い直し、トルコの独自の位置を再定義することが、そのような理解化作業の理論枠組を生み出すと言うことができる。
 トルコに関わるこの例において、記述とその記述の解明、理解、理解化、行動指針化の諸次元は別様にも表現される。たとえば「トルコは反植民地闘争の結果として樹立された最初の国民国家である。」、あるいはまた「トルコは大陸性と地域性を兼ね備えた国民国家である。」と記述することもまた同様なプロセスである。こうした内容の記述は、分析の次元を豊かにする。
 この方法論的問題が、トルコに関る分析が、他の国々の分析よりずっと内容がある形で論ずることができることは、トルコが世界の中心的な大陸の相互に影響しあう諸領域を含む地理的中心であり、歴史的破局を体験した人的諸要素を含んでいることとも関係している。トルコの地理的重厚性の概念化作業は、多くの陸と海の圏域と直接に関る戦略を分析し、その相関を見出すことを必要とする。
 トルコの人的諸要素は歴史体験の重厚性の刻印を帯びており、そしてこの体験に道を開いた政治、社会、文化的特性の拍動は、文明という軸を有し深みのある歴史の分析が常に不可避である。トルコの人的諸要素が織りなした歴史の深みは、我々の手になる他の営為に意味を与える研究の基礎となり、資料に基づき実証できる外交の戦略的重厚性、歴史の重厚性の研究に資する参照枠組の境界付けることになる。この戦略的重厚性を、人文地理学的、地政学的、経済地理学的に行動指針として統合することで把握し、そしてこの重厚性が戦略の行動指針化に必然的に影響を及ぼす独自性を明らかにしなければならない。
 トルコの基準に適う国家戦略の重厚性を表現しうる記述、解明、理解化、説明、行動指針化の次元は、統合的な視角から、方法論的問題を主題化しながら、発見されることを必要とする。トルコの国際的地位に関わるこの必要性は、国際関係の激動を体験した世代にとっては、魅力的なまでに自明である。冷戦の静態的な二極構造におけるパワー(覇権国)が有した多くの独自な特性は、冷戦後に起きた激動の危機的事態において、すべての側面が明らかになっている。安定した冷静な外交で対応できると思われていた冷戦の下での定型的な国際的危機の記憶に固執することが、歴史と地理の重厚性を有する戦略的を統合的に解き明かすことの障害となる。冷戦期には安定が期待されていたバルカン諸国があっという間に最高強度の紛争による不安定なカオスに陥ったことは、 逆に地政学的、経済地理学的、人文地理学的な様々な要素が、冷戦後期の国際的危機が一触即発のものであることと、歴史と地理の重厚性は戦略の領域にダイナミックな影響を及ぼすことの関係性の、最も説得的な実例となっている。
 全て、このダイナミックな変化の中心においても、周辺においてもである;しかし冷戦後期にその影響下にあったトルコに対して行われた戦略的予想が3つの点でいつも揺れ動いていた根本的な理由も、ダイナミックな独自性を有するトルコが、ダイナミックな国際的な危機的状況によって加速されて歴史の舞台に登場したからである。
 本書の様々な個所で明らかにしていくが、トルコは一面では戦略上、グローバル、および地域的な焦点に位置する枢軸国でありながら、別の面ではアイデンティティーが分裂している国(ハンチントンの言葉によると、「引き裂かれた国」)とみなされるのは、小さな建物を大きな建物に建て替えるためには、外枠の構造を変えなければならないのと同じである。それは互いに全く逆であり、二つの異なる記述と説明枠組を互いに持ち寄りながら異なった点で立ち止まる戦略家たちによる解明と理解化のレベルの根本的な差異の結果に正確に対応している。
 トルコでは、政策決定者と知識人のレベルでの知的混乱は、根本においてこの二つのダイナミックな構造に由来するカオスを浮き彫りにする公式な記述において必要な地理的歴史的深みの次元に達しないことと、システマティックな理解化の統合を達成できないこと重要な関係がある。ダイナミックに変化しつつある国際システムの中で生じている新しい事態は、トルコの戦略的定義と新たな順応の問題とを対立させている。新たな順応の必要と、トルコの歴史的地理的重厚性を新たに説明する必要性は、各々互いに引き寄せあう。静的な定義に慣れた知性は、この新たな説明を必要とするシステム統合の中で出会う事象を無視しては、静的な記述だけで説明できる連関さえ明らかにできない。記述と解明から理解と説明の次元に達しない静的なアプローチによる行動指針化は、スローガンが静的であることの、あるいは静的なスローガンの限界を超えることができない。国際システムにおける激動の逆流の渦に巻き込まれないよう抗う知性は、説明のモメンタムを失い、絶え間なく浮沈を繰り返すことになる。そして逆流の渦に巻き込まれることを拒む知性は、内向的になってしまい、静的な説明枠組では国際的危機に対応できないことを理解できなくなる。
 ダイナミックな国際的環境に身を置きながら、自分自身もダイナミックな変化の過程の中にある社会の前には、3つの異なる心理に基づく3つの選択肢が存在する。第一は、己自身のダイナミズムを抑制し安定を志向し、国際的な構造変化のダイナミズムの消滅を期待し、あらゆる自己定義を国際システムの安定まで先延ばしすることである。もしある社会自体がダイナミズムを志向する自信を有さずむしろそれを恐れ、それゆえ静的な自画像の維持を志向するなら、この選択肢を取ることになる。
 第二は、グローバリゼーションのダイナミズムの展開に心を奪われ、自分自身に焦点を当て覇権の諸要素の一つとしてそのダイナミズムを説明できないことである。これは、自分自体を歴史の主体として定義付けることができず、歴史が流れる川であり、グローバルな覇権の中心はこの川の流れを方向づける要因であるが、自分自身はその流れに巻き込まれるだけの横並びの無個性な対象でしかないとの視点の所産なのである。
 第三は、自分自身のダイナミズムのポテンシャルを、国際的なダイナミズムの坩堝における覇権のパラメーターに変容する営為である。この選好は、二つのダイナミズムの源泉の双方のメカニズムと流れの成り行きを記述し、解明し、理解し、説明できるアプローチの所産である。
 第一の場合は自信、第二の場合は(アイデンティティー)自己認識の問題と取り組むことになるが、第三の場合は、自己の歴史と地理の深みに由来する自尊の精神力のみにより他の二つのアプローチをリスクの要素とみなし、自己のダイナミズムが覇権の生成プロセスの一部であることを自覚するに留まらず、同時に国際的なダイナミズムのバランスの中に位置づけるプロセスにおいて決定的となる戦略のパフォーマンスを示すことが可能となるのである。この枠組においては、第一に、時間を稼ぎ、ダイナミズムを無視すること、第二に、ダイナミズムの興奮の中で時間を忘れること、第三に、時間のあらゆる瞬間を、未来を形作るポテンシャルを担う大きな価値として認識し正しく価値評価することに費やべきすべての時間を、逃した大きな機会として見ることである。第一に、社会が自分自身のポテンシャルをコントロールの下に置き、第二に、社会が自分自身を疎外しグローバルなトレンドの汽車を逃さないように努め、第三に、自分自身の歴史的の進む方向に安定的に歩む中で、社会自身の構造が内包するあらゆるダイナミックな要素が必要とする時間と形態を用いなければならない。第一に、自分自身の(地元の)地域の実存の領域を守り、第二に、(地元の)地域的実存の領域を超えて可能な短期間でグローバルな実存の領域に達し、第三に、自己の内部に地域的実存とグローバルな実存領域の間の新しい了解関係を樹立し、未来の世代を歴史上の名誉ある独自の主体に変える基礎を準備するように努めるのである。第一に、カオスの逆流の渦から身を守り、第二に、この渦に身を任せ、第三に、カオスからコスモスに移行する行為主体となるのである。
 この枠組において、トルコは歴史の重要な道の岐路の前に立っている。トルコが自己の歴史と地理の深みを合理的戦略の立案によって再統合できることは、この一対のダイナミズムの展開がポテンシャルのある状態に変化できる可能性を認めることである。トルコの内部のダイナミズムも、国際関係のグローバル、大陸的、そして地域的な基準でのダイナミックな諸要因、記述、解明、理解化、説明、行動指針化の諸次元を統合的に研究することは、トルコの戦略理論の不在の解消と、それに替わるオルタナティブの創出を実現するのである。
 本書もまた、この不在の解消を目指している。本書は3部構成である。第1部は基本概念と問題提起の3章から成っている。第1章での国家のパワーのパラメーターに関する定義と例証がなされる。第2章ではトルコにおける戦略理論の不在の背景、第3章では国際的関係を方向づける歴史的伝統の内外政のパラメーターに関する影響の研究がなされる。
 戦略分析理論の枠組を設定する第2部は4章からなっている。第1章では、戦略分析により地理の深みを理解し、そしてそれを実現するための主要な概念的、理論的装置の批判的視角による地政学パラダイムへの適用の要旨を示す。そしてこの枠組によって、独自の概念枠組として練り上げられた「近い地」、「近い海」、「近い大陸」のような圏域の定義が説明される。残りの3章では順に、トルコの「近い陸」、「近い海」、「近い大陸」の3つの圏域の独自性と、冷戦後の危機の連関にこの圏域を組み込んだ新しい戦略がトルコの外交に与えた影響を議論する。この分析枠組では、この圏域の間のシステマティックで首尾一貫した戦略を立案する上での主要因を確定するように努めた。
 またこの理論枠組の外の外交を扱う第3部は5章からなるが、まずトルコの外交に役立つ基本的戦略の道具としてのNATO、AGIT、ECO、İKÖ、KEİ、D-8とG-20を論じ、続いてバルカン諸国、中東、中央アジア、EUの政治を順に評価し、起こりうる未来の枠内で実施する必要があると考えられる外交の基本を、歴史的、地理的分析に基づく戦略の重厚性のアプローチによって提起する。

2017年4月14日金曜日

2017年4月11日 1時間半で分かるアメリカのシリア空爆(発表要旨修正版)

2017年4月11日 イベントバー・エデン
「1時間半でわかるアメリカのシリア空爆」
同志社大学客員教授 中田考
前置き
(1).事実
 6日夜(日本時間7日午前)、米駆逐艦がシリアのシュアイラート空港にトマホーク59発を発射
 * 米発表58発命中、シリア発表23発命中
 * 2014年以来シリアに対する7889回目の空爆。シリア政府軍に対して初めてというだけ。
(2).背景
 4月4日のイドリブでの化学兵器の使用 子供を含む100名弱が死亡
 * 化学兵器の使用は初めてではない。3月にも。そもそも2013年以来オバマの警告を無視し化学兵器使用を続け2014年には専任以上を殺傷。しかしロシアの反対で攻撃できず。
(3).米国の行動
 トランプはアサドによる化学兵器による空爆と断じて、化学兵器を積み込む空軍基地としてシュアイラート空港を空爆し化学兵器貯蔵庫と飛行機を破壊
 * 滑走路は破壊せず → 翌日から出撃
(4).事前の準備
 トランプは空爆前にロシアに通知
 * ロシア兵、シリア兵に犠牲者なし

1.歴史的背景 
 シリア・アラブ共和国 1961年アラブ連合共和国から独立 1963年革命によりバアス党(ハーフィズ・アサド)政権成立(アサド一族、イスラーム教シーア派の中の異端ヌサイリー(アラウィー派))
 1967年、第三次中東戦争でイスラエルに敗れゴラン半島を失う
 1980-1988年のイラン・イラク戦争ではイラクと同じバアス党政権にもかかわらず、アラブ連盟諸国の中で唯一、非アラブのイランを支援(今日に至るまでのイランとの同盟関係の元に)
 冷戦時はエジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、イラク、イエメンなどと共にアラブ社会主義諸国として共産主義陣営に属すがソ連の崩壊(1991年12月25日)で後ろ盾を失う
 1991-1992年の湾岸危機ー湾岸戦争において、アラブ社会主義諸国の中で唯一多国籍軍に参加
 ソ連崩壊後、、CIS諸国以外で唯一ロシアの軍事施設が残存
 2000年ハーフィズ・アサドが死に息子のバッシャールが大統領就任
 2011年アラブの春の余波で内戦勃発 2013年にはラッカが陥落し、アサド政権は首都ダマスカスなどのわずかな支配地を残すのみとなる
 2014年6月ラッカを首都にイスラーム国(IS)成立

2.アメリカの国内事情
* トランプVSヒラリー 一国主義VS国際主義
 アサド政権打倒を掲げたオバマ前大統領、ヒラリー候補に対し、ISとの戦いにアサドと共闘の可能性さえ示唆していた 180度の転換、なぜか? 
* オバマ政権2012年 二正面戦略の放棄・アジア(極東)重視(=中東からの撤退)
今回のシリア空爆(直接介入)は、一国主義の転換どころではなく、オバマ以来の二正面戦略放棄の転換のサインでもあるのか?
* 政権内のパワーバランスの変化:一国主義オルタナ右翼→国際主義+軍人
 フリン安保担当補佐官解任、バノンNSC(国家安全保障会議)中枢から排除
 娘婿クシュナー(ユダヤ教正統派、国際派)、マティス(軍人)らが中枢に
(4月6日リーベルマン国防相アサドの化学兵器使用100%確実と発言)
* ロシアのスパイ疑惑 フリン解任 対露強硬派マティス大将国防長官登用
 ロシア・スパイ疑惑を払拭するためにもロシアに対して強硬姿勢を取らざるを得ない 

3、中東の複合対立
* 宗派対立:世俗vs宗教 → イスラームvsユダヤ教(シオニスト、正統派、超正統派)、キリスト教、ヤジーディー → スンナ派(伝統派vsサラフィー(→サラフィー・ワッハービーvsサラフィー・ジハーディー)vs改革派(ムスリム同胞団))vsシーア派(12イマーム派、ヌサイリー・アラウィー派、ザイド派)
* 民族対立:アラブ人、ユダヤ人、トルコ人、ペルシャ人、クルド人
* 国家対立:サウジアラビア、トルコ、イラン、ロシア、レバノン、イスラエル、イラク
* シリアの同盟国:ロシア(ソ連以来の勢力圏、軍事基地確保地政学的重要性、国内のムスリムへの影響の恐れ、、独裁者同盟)、イラン(シーア派(反スンナ派)の宗派的同盟、レバノン(ヒズブッラー支援)への不可欠の通路)、エジプト(反宗教、世俗主義軍事独裁者同盟) 呉越同舟
* シリアの敵:トルコ(スンナ派伝統主義、改革主義、しかし当面の主要敵はクルド、ギュレン運動)、サウジアラビア(サラフィー主義(反シーア))、欧米(人権、反独裁??)、イスラエル(領土紛争、シオニズム)
* トルコの敵のクルド(テロリスト組織)を米、ロシアが支援 
* シリアの同盟国イランはアメリカの『テロとの戦い」の主要敵だったが、イランを主要敵とするISとアルカーイダが主要敵となり、三つ巴に
* 1月23-24日のアスタナ和平体制(トルコ、ロシア、イラン)崩壊(元々反体制派は署名拒否)

4.国際関係
* 西欧(米)の覇権の交代により、非西欧(中国、ロシア、インド、イスラーム)文明の再編状況
* 中華人民共和国、ロシア共和国が清帝国、ロシア帝国という世界帝国の継承国家として、西欧文明(とその世界帝国としてのアメリカ)に挑戦
* 文明の再編状況において、中核国家を欠くイスラーム文明において、トルコ(スンナ派伝統主義/改革主義連合)、サウディアラビア(+イスラーム国)(スンナ派サラフィー主義)、イラン(シーア派)が競合 ー イスラーム文明再興の障害(イスラーム主義vs(欧化)世俗主義)、
* トランプは国際介入主義のヒラリーに対して孤立主義のレトリックを用いたが「世界の警察官をやめる」というのはオバマの外交指針の継続でしかない。むしろ「アメリカの栄光を取り戻す」と軍事力増強こそがトランプの示差的特徴。
* トランプは、ロシアと中国の覇権拡大を容認せず、イラン、北朝鮮、イスラーム国の打倒を目指す

結論 トランプのシリア空爆とは何だったのか
* ロシアのメンツをつぶし挑発することになるにもかかわらず、シリア政府が化学兵器を使用したと断定し、国際法を無視して(国連の決議を経ずに)、攻撃したことは、トランプ政権のアメリカが今後も覇権を軍事力によって維持する、との重大なメッセージ。
* 空爆はロシアに事前に通告しており軍事的効果は極めて限定的(ほとんど皆無)
* そもそも化学兵器による犠牲者(最大でも累計2000人以下)はアサド政権が殺害した民間人20万人の中で無視できる数字であり、空爆がアサド政権に化学兵器の使用をやめさせることに仮に役立ったとししても戦局に影響は与えない→ シリア空爆はシリア人のためではない。
* 誰のためか?
 サウジアラビアのため?(3月16日ムハンマド皇太子米国訪問巨額投資、8日サルマン国王に電話報告)
 イスラエルのため?(バノンVSクシュナー、3月16,17日パルミラ近郊のシリア軍基地空爆)
* 誰のためでもなく、アメリカが人道を守る正義の警察である、とのイメージの再確立のため
* アメリカ(トランプ)は国連決議、国際法、地域大国(覇権挑戦国)に拘束されない、との決意(事実)の証明という象徴的意味
* 本当の狙いは極東:北朝鮮の無力化(それ自体が中国への警告)
 ティラーソン国務長官が9日「シリア空爆は北朝鮮への警告(同時に中国へのメッセージ)」
 ティラーソンはすでに3月17日の韓国訪問で「これまでの戦略的忍耐政策は終わった。軍事行動を含めて全ての選択肢がテーブル上にある」と発言
* カールビンソンなど攻撃空母群を朝鮮半島に展開
* アフガニスタンで非核兵器としては最大の破壊力を有する「全ての爆弾の母」爆弾を使用の示威行為
* シリア空爆は、トランプがオバマと異なり単独軍事行動を行う意思と能力を持つことを実証
* 北朝鮮への軍事オプションが口先だけの威嚇でないとの警告のメッセージ
* 但し警告(恫喝)はあくまでも警告(恫喝)であって、直ちに軍事行動を取る可能性は低い
* シリアでも、ロシアとの本格的な軍事衝突を招かないよう空爆は被害を極小化した象徴的なものに
* (ウクライナ問題を抱える)ロシア、中国という地域大国の覇権拡大の抑制を見据えた北朝鮮への恫喝の駆け引きの道具にシリア空爆は使われた。
* 鍵を握るトルコ。アメリカのシリア空爆でも蚊帳の外。今後もNATOの一員でありながらロシア、イランと組み続ける綱渡りを続けるか、サウジの意を受けて再びアサド排除のレトリックに立ち戻ったアメリカとの同盟に復帰するか(アメリカにクルド独立派勢力と絶縁する意思が見られない以上それも困難)難しい舵取りを迫られる。

2017年3月18日土曜日

アフメト・ダウトオール『戦略的縦深性』前書


前書

 ポスト冷戦期の戦略のテーマを定め、再評価するように努めることは大変難しい。というのは、それ自体が極めてダイナミックな問題を、それもまた極度にダイナミックな環境の文脈の中で主題化して理解する試みだからである。おそらくその歴史上最も重要な変化を経験しつつあるトルコが、やはり歴史上最も大きな変化の舞台となっている国際環境の中で、新たな変容を遂げつつあるのだ。形成途上のこのダイナミックな過程は、本書の序文で定義する概念化、解明、意味づけ、解説、オリエンテーションはどれも、どの頁でもすべてその全体において、極度に濃密な思考活動の断片にとどまっている。
 これらの方法論的困難にもかかわらず、論理的に首尾一貫しており、時空(歴史と地理)の理解の中で意味を有し、状況に照らして正当な戦略の分析をすることが、価値判断とは別に行うべき固有性を有することは、この問題構成自体に由来する。安定した構造であれば静態的な枠組の中で主題を定めて、平板な頭脳活動によって理解することが出来る。そのような(静態的)分析も、状況がもっと安定している時代であったならば明晰な事実を再構成できたであろう。しかしダイナミックな変化を経験している危機の移行期には、歴史的な影響力を考慮にいれた上で継続性のある戦略を練り上げることが重要となる。国の未来のオルタナティブを視野に入れた戦略分析の枠組が今こそ必要であり、本書もそれを目指したささやかな貢献となればと思う。
 社会の大きな変化は、時代に即したこの方法論の問題に真剣に取り組み、超克に努める戦略的アプローチ、分析、理論化が社会の歴史の舞台へ躍り出ること、そして歴史の舞台上のエスタブリッシュメントたちが既存の体制の推進力を変化させうる可能性の乗数効果での加速をもたらすことが出来る。近代のドイツの国力を成立させたドイツの戦略的オリエンテーションの基礎が、ドイツ統一の形成期の苦難の中で築かれたこと、安定的、累積的なイギリスの戦略思考がイギリス内戦後の進歩とその思想の向上の帝国拡張期の経験の中で、ロシアの戦略的オリエンテーションがすべてのパラメーターと19世紀のダイナミックな勢力均衡の中で形成されたこと、「アメリカの世紀」を現出させた戦略の累積が第一次、第二次世界大戦後の混乱期に集中したことは決して偶然ではない。
 ダイナミックな変化の過程にあある社会の中にあって、それに属する個体として当該社会に関する戦略を分析することは、急いで流れる波頭の高い川に流されながら、川床、流速、水流の方向、他の川との関係をなどの問題を研究することに似ている。自分が調査している川の中で自分自身も流されつつも、その流れの性質を理解し、その特質に鑑みて、その川に関して、表象、説明、解説、オリエンテーションの枠組を構成することを引き受けるのである。川の外からの傍観の中で(同時代の歴史の)流れに翻弄される人々の心情と人生を疎外することは、道義的に無関心な月並みで表面的な観察に成り下がる。一方、(歴史の)川に飛び込んで流れに身をまかせてしまっては、自分が飲み込まれた流れについて、事態を客観的に理解することはできず、自分の期待が混じっては、歴史の現実の意義を把握することはできない。社会科学の方法論において、このジレンマは、研究者「自身が試験管内で暮らす」と表現されている。
 このジレンマにおいては、川が(流される人々の)心情と人生を疎外することが道義的に責任があり、川に流されてしまえば、知的責任を負う余地は狭まる。道義的責任と知的責任の全体を理論的に調和させる研究者が、思考にあたってアカデミシャン自身の中で個人的な首尾一貫性を保つことも、社会文化的関係が普遍的真理の領域に影響を及ぶすことも非常に大きな力となる。思想家、知識人も、一般の人々と同じように、空間と時間、つまり歴史と地理の意味世界に、いやむしろ他の人々より以上に自己同一化できるので、自分が流された川だけでなく他の川の流れにも自己同一化してアプローチできるのである。
 一個人として普遍を感知でき、実存の意識とその深みと文明の主体としての特定の時代の流れを感じられる社会帰属の主体、そして歴史意識とその深み、つまりその意識が反映していると考えられる場を感得できる社会帰属の主体も、戦略的意識と縦深性を必要としている。個人のレベルでのミクロ・レベルから、社会、文明、歴史のレベルのマクロ・レベルへの向上、浸透は完成の探求であり、そしてすべての文化圏域は、この探求それ自体を真理の定義として表現している。
 本書では、この二つのレベルの意識の最も可視的である戦略的縦深性と、道義的学問的責任のバランスを取りつつ研究するように努力した。一連なりとみなしうるこの完成への冒険の歴史の縦深性と、実在の認識に関する諸々の部分を、同時代の同じ川を我々と共に流れゆく同志である我々の読者たちに捧げたい。
 本書の問題点は著者一人に帰されるが、主張すべきものがもしあるとすれば、主体という観点に立てば、同じ川を下る冒険を共にする者たちの匿名の文化の環境の産物である。同じ理由で、なによりもこの文化環境(伝統)の歴史的連続性を担保してきた先師たちとその一統、そしてこの環境(伝統)の全ての側面を共有してきた友人たちに、筆者は恩義がある。
 本書が時間把握の視角からは過去の歴史から未来への、空間把握の視角からは中心から周辺への架け橋となりますように。